まいすの本当の死因は、誰にもわからない。
だからこれは私の勝手な解釈にすぎないのだけど、
きっと眠っているうちに、心臓が止まってしまったのだろうな・・・
答えのないことをいまだにいろいろ考えているが、最後はやっぱりそこに行きつく。
心臓が止まってしまった理由は、やはり手術とそれにまつわる一連のことに、
老体が耐えられなかったのだと思う。
手術前は胸水も溜まり、おしっこも出ていなくて、非常に状態が悪かった。
今死んでもおかしくないという数値のまま、5時間の開腹手術を行ったのだ。
手術を乗り越えて、いくら数値が元に戻ったと言っても、
身体が完全に今までと同じになったわけではない。
そこに入院や処置、術後の強制給餌などストレスも加わったはずだ。
いつ何が起きても、不思議ではなかったのだ。
そんなことを思いもせず、単純に回復すると喜んでいた自分が大バカであったと
言うほかはない。
退院後のまいすが今日も生きているということを毎日喜び、一日一日をもっと大切にするべきだった。
そのことを考えると、今も後悔で胸をかきむしられる思いがするのだけど、
失った時間はもう取り戻すことができないのだから仕方ない。
まいすは、苦しむ様子を一度も見せなかった。
もちろん食べなかったり、動かずに寝てばかりいる時点で、具合が悪かったのは確かだ。
不調なことはわかっていた。しかし最初のうち、そんなに深刻に考えなかったのは、
吐いたり苦しそうにしている姿を見なかったからだ。
腎不全の末期。
何度も吐いて苦しんで、見ていて辛くなるような最期ということが、
多くの猫飼いさんのブログに書かれていた。
慢性腎不全になってから、いつかはそうなると覚悟していたのに、あまりにも呆気ない旅立ち。
おしっこが出なくなって、驚くべき数値を見て、主治医に最悪の可能性を言われて、
そこで初めて死を意識したけど、その時でさえまいすは、少し呼吸が早いものの
(皮下補液が吸収されなかったから)コタツで穏やかに寝ていた。
何もできずにただ見ているだけ。おしっこが出なければあと数日で死んでしまうかも。
と頭では理解していても、実感がなかった。
そしてまいすは、手術して回復して、死ぬかもという不安を最後まで感じさせないまま、
突然逝ってしまった。
ひとりで逝ってしまったのは、まいすの意思かも知れないと考えることもできるが、
私はそれは違うような気がしている。
う~に~は、ごはんも水も自分からは欲しがらなくなり、その時が来るのを静かに待っていた。
まいすは、死ぬ少し前まで、カリカリを食べていた。それも処方食だ。
日に日に回復していて、まいすは生きる気満々だった気がする。
自分でもわかっていなくて、気づいたら、あれ?って感じで逝っちゃってたんじゃないか。
だから死ぬときも、きっと苦しくなかったと思う。
看取れなかった帰宅直後の私は、動転して気が狂いそうだった。
でも時間が経つにつれて気がついた。
これが私の理想としていた旅立ち方であることに。
前のブログにも書いたことがある。
できれば、う~に~には眠ったまま逝ってほしいと。
どこも悪いところがなく、しいて言えば老衰で、普通にお散歩してごはんも食べて、
満足して眠って。
自分でも死んだことに気づかず、楽しい夢を見ているまま逝けたら、
それは一番幸せなことではないのか。
残されたこちらは、そりゃビックリするし、ショックだし、後悔もするだろうけど。
う~に~にとって苦痛がないというのが、私の気持ちよりも優先されるべき事項だから、
たとえ死に際を看取れなくても、それでいいと思っていた。
まいすは闘病中だったから、「どこも悪くなくてポックリ」とは違うけれど、
ほぼ私の願っていたとおりの最期だった。
回復途上なだけに、無念な気持ちは今もなかなか消えないけど、最後だけ考えれば、
ほぼ願いどおりだったのかなと思う。
泣ける漫画をご紹介します。
これ
→http://dekuchin.web.fc2.com/penta/penta.html
まいすが亡くなった後に、この漫画を発見して号泣。
「最後はコタツの中で眠るように息を引き取る」という言葉が出てくる。
まいすの旅立ち方そのものではないか。
まいすは、誰しもがそう願うようなやり方で旅立ったのだ。
そう思ったら、救われたような気持ちになった。
う~に~に望んでいた旅立ちを、まいすが実践してくれた。
私には想像よりもずっと辛いものだったけれど、きっとまいすも、
「これでよかったんでしょ?」と言っている気がする。
う~に~の顔に肘を乗せてる不敵なまいす
う~にゃん、寝ている場合じゃないよ~