タイヤ交換をして間もない12月のある日、
その頃はまだ車で通学できていたので、いつものように学校へ車で向かうと、
フロアのあたりからカタカタ音がするのに気づきました。
最初はそれほど気にもとめていなかったのですが、
「カタカタ」が「ガタガタ」に、さらに「ガタンガタン」と音が大きくなっていくのです。
車をとめて確認しようかと思いましたが、目的地まであとわずか、
朝の通勤ラッシュ時で車も多く、迷惑にならずにとめられる路肩もなかったので、
スピードを落としてそのまま進むことに。
しかし、音と振動は激しくなるばかり。
「ガタンガタン」が「ガッタンガッタン」になってきました。
この時点で原因はうすうす気がついていたのですが、目的地はすぐ目の前、
目の前の坂を上りきればもう到着です。
「あと100mなので何とか・・・」と思った瞬間に、今まで一番大きい音がしたと思ったら、
音と振動がなくなりました。
そして、U-Phileがフロントガラス越しに見たものは・・・
見てはいけない光景、
「自分の車」から外れた左前のタイヤが自分の車の前を転がってゆく姿でした。
「あっ」と思ってからは、すべてスローモーションの世界。
ゆっくりと車が左斜め前方に傾きだす、傾く、傾く。
そして、鈍く激しい衝撃とともに車は停止しました。
とまった場所は、通勤ラッシュ時で交通の多いY字交差点のど真ん中。
ほかの車のドライバーの好奇と失笑の視線が突き刺さって痛い、痛い!
なんとか気を取り直して、ほかの車にひかれないように自走不能となったインテグラから降り、
10メートルほど先にゆっくり転がってからパタンと倒れていた右フロントタイヤを歩道に上げました。
幸いなことに外れたホイールナットは車の近くで4本とも見つかりました。
ただ、挟んでいたホイールスペーサーは見事にバラバラ。
ほかの車のタイヤをパンクさせてもいけないので、それを拾い集め、
近くの公衆電話からJAFに電話してヘルプを求めました。
JAFの車が到着するまでの時間がおそろしく長く感じたことは言うまでもありません。
そうしたら、通勤途中の自動車修理工場にお勤めと思われるつなぎを着たおじさんが、
見かねて声をかけてくれ、外れたタイヤをつけてくれるというのです。
しかし、交差点のど真ん中、しかもちょっと上り坂、
さらにタイヤが外れているので車と道路の間にジャッキを入れる隙間がない状態。
が、なんということでしょう!その親切なおじさんは、
車載のジャッキを本当はジャッキをかけてはいけない車の中央部に無理矢理ねじ込み、
ジャッキアップを始めたではありませんか!
驚く自分を尻目に、あっという間にタイヤ取り付け終了。
お礼を言って、車を近くの邪魔にならない場所に移動しました。
本当は一刻も早くその場を立ち去りたかったのですが、JAFを呼んでしまった手前、
いなくなるわけにもいかず、そうこうしているうちにJAF隊員到着。
事情を話して、おそるおそる料金を聞いてみると、
「あ、いまJAFに入会してもらえばいいから。」とのお答え。
その場でJAFに入会しました、というかせざるを得ない状況でした。
入会金2000円也。それ以来ずっとJAF会員です。
とにかくへこみまくって、その日の学校の帰りにベルノに直行。
二度とこんな目に会いたくないので、純正のホイールを購入しようと思ったのです。
その旨を伝えると、なぜか結構待たされる。
おかしいなと思っていると、店の人が「オイル交換終了しました。」と声をかけてきました。
「あのぅ、お願いしたのはオイル交換じゃなくてホイール交換なのですが・・・」
ホイールの方は店に在庫があるわけもなく、新品の純正スチールホイールを注文して帰りました。
値段は、純正品のためアルミホイール並、それ以上の値段でしたが。
オイル交換ですか、料金は取られませんでした。
その直前にそのディーラーで左のドアパネル1枚丸ごと交換をしていたので、
そのサービスでタダということにしてもらいました。
そんなオチもついたこの一件以来、友人からしばらく「マンセル」と呼ばれていました。
(なぜ「マンセル」と呼ばれたのか興味のある方は、F1グランプリ1991年のポルトガルGPの記録を調べてみてください。)
この「U-Phileマンセル事件」は、相当インパクトがあったらしく、最近久しぶりに会った大学時代の友人にこの話をされました。

なぜホイールナットがゆるんでタイヤが外れたのか。
単純な話しで、ホイールスペーサーを挟んだ分ホイールナットのかかりが悪くなって、
緩みやすくなっていただけでした。
あとで調べたら、スペーサーの厚みが3ミリ程度なら大丈夫のことが多いようですが、
自分が使ったのは5ミリだったので、ホイールの緩みがないかまめにチェックして、
緩みがひどいようであれば、ホイールナット自体を換えなければいけなかったのです。
そんなこと言われなかったしー(涙)。

そんなキャブレター仕様のインテグラで大学の卒業旅行と称して、
北海道一周岬巡りツアーを友人と二人でやってみたりして、
この車は、学生時代の思い出そのものだったような気がします。
就職してからも1年間乗っていたので、通算で4年間乗っていたことになります。
夏タイヤが減ったので、タイヤをライケンからファルケンジークスへ交換して、
「グリップが良くなったー。」とか言って、峠道をブンブン走っていたら、
抜けかけていたショックアブソーバーが完全に抜けてしまい、
プヨンプヨンと揺れが収まらない車になってしまいました。
さらに、キャブ仕様の車だからなのか、使い方が悪いのかわかりませんが、
マフラーに排気ガス中の水分が結露した水がたまって、マフラーが錆びてしまうのです。
このインテグラには4年乗りましたが、4年間に2回もマフラーを交換する羽目に。
その後は、車の免許を取った妹の練習機として2年間活躍。
見るたびにあちこちこすられてボコボコになってゆくインテグラを不憫に思っていましたが、
妹が新車を購入することになり、下取り(実質的には廃車)に出されることになりました。
すっかりボロボロになったインテグラが引き取られていく様は、
何か非常に切ない気持ちになりました。
ほんとにいろいろな思い出が詰まっていたので。
その頃はまだ車で通学できていたので、いつものように学校へ車で向かうと、
フロアのあたりからカタカタ音がするのに気づきました。
最初はそれほど気にもとめていなかったのですが、
「カタカタ」が「ガタガタ」に、さらに「ガタンガタン」と音が大きくなっていくのです。
車をとめて確認しようかと思いましたが、目的地まであとわずか、
朝の通勤ラッシュ時で車も多く、迷惑にならずにとめられる路肩もなかったので、
スピードを落としてそのまま進むことに。
しかし、音と振動は激しくなるばかり。
「ガタンガタン」が「ガッタンガッタン」になってきました。
この時点で原因はうすうす気がついていたのですが、目的地はすぐ目の前、
目の前の坂を上りきればもう到着です。
「あと100mなので何とか・・・」と思った瞬間に、今まで一番大きい音がしたと思ったら、
音と振動がなくなりました。
そして、U-Phileがフロントガラス越しに見たものは・・・
見てはいけない光景、
「自分の車」から外れた左前のタイヤが自分の車の前を転がってゆく姿でした。
「あっ」と思ってからは、すべてスローモーションの世界。
ゆっくりと車が左斜め前方に傾きだす、傾く、傾く。
そして、鈍く激しい衝撃とともに車は停止しました。
とまった場所は、通勤ラッシュ時で交通の多いY字交差点のど真ん中。
ほかの車のドライバーの好奇と失笑の視線が突き刺さって痛い、痛い!
なんとか気を取り直して、ほかの車にひかれないように自走不能となったインテグラから降り、
10メートルほど先にゆっくり転がってからパタンと倒れていた右フロントタイヤを歩道に上げました。
幸いなことに外れたホイールナットは車の近くで4本とも見つかりました。
ただ、挟んでいたホイールスペーサーは見事にバラバラ。
ほかの車のタイヤをパンクさせてもいけないので、それを拾い集め、
近くの公衆電話からJAFに電話してヘルプを求めました。
JAFの車が到着するまでの時間がおそろしく長く感じたことは言うまでもありません。
そうしたら、通勤途中の自動車修理工場にお勤めと思われるつなぎを着たおじさんが、
見かねて声をかけてくれ、外れたタイヤをつけてくれるというのです。
しかし、交差点のど真ん中、しかもちょっと上り坂、
さらにタイヤが外れているので車と道路の間にジャッキを入れる隙間がない状態。
が、なんということでしょう!その親切なおじさんは、
車載のジャッキを本当はジャッキをかけてはいけない車の中央部に無理矢理ねじ込み、
ジャッキアップを始めたではありませんか!
驚く自分を尻目に、あっという間にタイヤ取り付け終了。
お礼を言って、車を近くの邪魔にならない場所に移動しました。
本当は一刻も早くその場を立ち去りたかったのですが、JAFを呼んでしまった手前、
いなくなるわけにもいかず、そうこうしているうちにJAF隊員到着。
事情を話して、おそるおそる料金を聞いてみると、
「あ、いまJAFに入会してもらえばいいから。」とのお答え。
その場でJAFに入会しました、というかせざるを得ない状況でした。
入会金2000円也。それ以来ずっとJAF会員です。
とにかくへこみまくって、その日の学校の帰りにベルノに直行。
二度とこんな目に会いたくないので、純正のホイールを購入しようと思ったのです。
その旨を伝えると、なぜか結構待たされる。
おかしいなと思っていると、店の人が「オイル交換終了しました。」と声をかけてきました。
「あのぅ、お願いしたのはオイル交換じゃなくてホイール交換なのですが・・・」
ホイールの方は店に在庫があるわけもなく、新品の純正スチールホイールを注文して帰りました。
値段は、純正品のためアルミホイール並、それ以上の値段でしたが。
オイル交換ですか、料金は取られませんでした。
その直前にそのディーラーで左のドアパネル1枚丸ごと交換をしていたので、
そのサービスでタダということにしてもらいました。
そんなオチもついたこの一件以来、友人からしばらく「マンセル」と呼ばれていました。
(なぜ「マンセル」と呼ばれたのか興味のある方は、F1グランプリ1991年のポルトガルGPの記録を調べてみてください。)
この「U-Phileマンセル事件」は、相当インパクトがあったらしく、最近久しぶりに会った大学時代の友人にこの話をされました。

なぜホイールナットがゆるんでタイヤが外れたのか。
単純な話しで、ホイールスペーサーを挟んだ分ホイールナットのかかりが悪くなって、
緩みやすくなっていただけでした。
あとで調べたら、スペーサーの厚みが3ミリ程度なら大丈夫のことが多いようですが、
自分が使ったのは5ミリだったので、ホイールの緩みがないかまめにチェックして、
緩みがひどいようであれば、ホイールナット自体を換えなければいけなかったのです。
そんなこと言われなかったしー(涙)。

そんなキャブレター仕様のインテグラで大学の卒業旅行と称して、
北海道一周岬巡りツアーを友人と二人でやってみたりして、
この車は、学生時代の思い出そのものだったような気がします。
就職してからも1年間乗っていたので、通算で4年間乗っていたことになります。
夏タイヤが減ったので、タイヤをライケンからファルケンジークスへ交換して、
「グリップが良くなったー。」とか言って、峠道をブンブン走っていたら、
抜けかけていたショックアブソーバーが完全に抜けてしまい、
プヨンプヨンと揺れが収まらない車になってしまいました。
さらに、キャブ仕様の車だからなのか、使い方が悪いのかわかりませんが、
マフラーに排気ガス中の水分が結露した水がたまって、マフラーが錆びてしまうのです。
このインテグラには4年乗りましたが、4年間に2回もマフラーを交換する羽目に。
その後は、車の免許を取った妹の練習機として2年間活躍。
見るたびにあちこちこすられてボコボコになってゆくインテグラを不憫に思っていましたが、
妹が新車を購入することになり、下取り(実質的には廃車)に出されることになりました。
すっかりボロボロになったインテグラが引き取られていく様は、
何か非常に切ない気持ちになりました。
ほんとにいろいろな思い出が詰まっていたので。