96歳で亡くなったパークゴルフ仲間のM爺さん 奥さんが70歳ほどで
亡くなり独り暮らしの爺を強引にパークゴルフに誘い 空知のパークゴルフ場を
プレーして回り私より上手になった。我が家で日本酒を持ち込んで飲む日も多く
酔うと得意の民謡をよく聞かせてくれたものだ。
M爺は北方領土より奥の小さな島で「衛生兵」として‥日本へは昭和22年頃に
帰還したそうだ。秋田出身の次男坊の「冷や飯食い」で 全盛期だった北海道の
炭鉱を目指して北海道に渡り 日東茶志内炭鉱で働くようになったそうだ。
その頃 唄われた民謡で「北海金掘り唄」をよく聴かしてくれた。
◎ 大雪山から吹き来る風は お山(炭鉱)繁盛と吹いている。
◎ 内地出るときゃ涙が出たが 今じゃ北海道で笑い顔
◎ 親子三代でお山(炭鉱)に住めば 孫が道産子の三代目
1879年(明治12年)三笠(幌内)に炭鉱が開かれ 歌志内・芦別・赤平・美唄
・夕張など空知を中心に炭鉱の全盛期を迎えるが 1960年代石炭から石油へと
エネルギー革命があって 1968年には北海道の炭鉱はすべて閉山した。
まだ火力発電所もあって 歌志内や美唄では「露天掘り」が進められているが
その火力発電所も廃止計画されている。
M爺の「北海金掘り唄」の甲高い唄声が今でも聞こえてくるようだ。
亡くなり独り暮らしの爺を強引にパークゴルフに誘い 空知のパークゴルフ場を
プレーして回り私より上手になった。我が家で日本酒を持ち込んで飲む日も多く
酔うと得意の民謡をよく聞かせてくれたものだ。
M爺は北方領土より奥の小さな島で「衛生兵」として‥日本へは昭和22年頃に
帰還したそうだ。秋田出身の次男坊の「冷や飯食い」で 全盛期だった北海道の
炭鉱を目指して北海道に渡り 日東茶志内炭鉱で働くようになったそうだ。
その頃 唄われた民謡で「北海金掘り唄」をよく聴かしてくれた。
◎ 大雪山から吹き来る風は お山(炭鉱)繁盛と吹いている。
◎ 内地出るときゃ涙が出たが 今じゃ北海道で笑い顔
◎ 親子三代でお山(炭鉱)に住めば 孫が道産子の三代目
1879年(明治12年)三笠(幌内)に炭鉱が開かれ 歌志内・芦別・赤平・美唄
・夕張など空知を中心に炭鉱の全盛期を迎えるが 1960年代石炭から石油へと
エネルギー革命があって 1968年には北海道の炭鉱はすべて閉山した。
まだ火力発電所もあって 歌志内や美唄では「露天掘り」が進められているが
その火力発電所も廃止計画されている。
M爺の「北海金掘り唄」の甲高い唄声が今でも聞こえてくるようだ。