誰かに頼み事をするのが苦手。
でもこの身体のせいで、出来ないことがたくさんある。
だから誰かが手を差し伸べてくれる事も多くて、そのたび感謝の気持ちでいっぱいになるんだけど、その反面『申し訳ない』と思うこともいっぱいで。
気付けば「ありがとう」ではなくて「ごめんなさい」「すみません」という言葉ばかり、言ってる気がする。
それが苦しくなってきて、でもやっぱり助かるから「ありがとう」なんだけど「ごめんなさい」で…。
人に頼る事は難しい。
私もその人たちの役に立てるなら『困った時はお互い様だから』という言葉も素直に受け入れられるのに困ってるのはいつも私ばかりで助けてもらってばかりで、私が助けてあげられたことなんて1度もない。
すごく心苦しい。
JIJIの体育教室も、こういう状態な時は私の身体の都合上お休みさせるべきなのかもしれない。
色々と私のこだわりのせいで、JIJIの体育教室をお休みする事に抵抗がある。
金銭的な事じゃなくて、JIJIの精神面的な事でも。
療育に行ってない…という事がいつも頭の中にある。
体育教室に行く事になったのも『JIJIが行きたい』と言ったからだけじゃなくて、身体を上手に使うことができないと以前、作業療法士さんから言われたからだ。
たった1度お休みするくらい、なんて事ないはずなのに。
ずっとこだわり続けてるのは私で、自分自身の身体の具合が悪くても、休ませる勇気がなくて…。
以前は体育教室の帰りはJIJIとバスで帰っていた。途中で抱っこをせがまれたりすると、週末の荷物と17.5キロのJIJIの両方を抱えなくてはいけなくて、私の腰にはかなりの負担だった。
でも夏辺りからご近所のママさん(私はママさんのオウチを知らないけど、何故かこのママさんは我が家を知っている)が「家が近いから送ってくよ」と言ってくれ、真夏は熱中症とかあるから甘えさせてもらった。
それがまだに続いてて、たまにそのママさんがお休みの時は他のママさんが「今日は私が」と言ってくれる。
先週は荷物を持って階段をあがるのがナカナカ出来なくてゆっくり登ってる私に、後ろからスッと荷物を持ってくれて「いいよ、いいよ。私、体力だけは自信があるから」って、荷物を持ってくれた。
「大丈夫です」って断わるのも出来なくて、本当は大丈夫じゃなくて、すごく助かってるんだけど、なんだろううまく言えないけどモヤモヤしてしまう。
みんな良い人たちばかりなのに。
でも私は何一つお返しできず、甘えてばかり。
本当に身体のせいなのか? みんなこのくらいの痛みなんて、実はヘッチャラで、それでも本当は頑張っているんじゃないか?って思ったり。
今日も母に「今日は体育教室でね、でも午前中病院だから」と愚痴ったら、隣県に住んでるのに「私が迎えに行ってあげるよ」と言ってくれた。父が一緒なら、うちに遊びに来てもらうような感覚でお願いしようかなって思ったけど、父は忙しかった。
姉が言うには目があまり見えてないらしい。それにもう歳だし…そんな母が「私が行ってあげる」と言ってくれるなんて、私はダメだなって思って、その後、慌てて母に断わりの電話を入れた。
母はそれでも「行く」と言ってくれた。「あんたが私の目になってくれたらいい」と…。
やっぱり目が見えないのか…。
その一言で姉の言ってる事が本当だと気付いた。
遠くて滅多に会わないから、母が言わない限り私にはわからない。
目が見えなくても、私の変わりに行こうとしてくれたのか…。
私はもっと頑張らないといけないよね…。
何が言いたいかわからないと思うけど、とにかくココ最近ずっとモヤモヤして、イライラしてて。
思うように身体が動かなくて、落ち込んでたんだろうね。
さっき久しぶりに(病院に行く為だけど)外に出たら少し気分が楽になって気がした。
家にずっと隠ってるとダメだね。
JIJIは相当荒れてるし。
支離滅裂な私です。
でもこの身体のせいで、出来ないことがたくさんある。
だから誰かが手を差し伸べてくれる事も多くて、そのたび感謝の気持ちでいっぱいになるんだけど、その反面『申し訳ない』と思うこともいっぱいで。
気付けば「ありがとう」ではなくて「ごめんなさい」「すみません」という言葉ばかり、言ってる気がする。
それが苦しくなってきて、でもやっぱり助かるから「ありがとう」なんだけど「ごめんなさい」で…。
人に頼る事は難しい。
私もその人たちの役に立てるなら『困った時はお互い様だから』という言葉も素直に受け入れられるのに困ってるのはいつも私ばかりで助けてもらってばかりで、私が助けてあげられたことなんて1度もない。
すごく心苦しい。
JIJIの体育教室も、こういう状態な時は私の身体の都合上お休みさせるべきなのかもしれない。
色々と私のこだわりのせいで、JIJIの体育教室をお休みする事に抵抗がある。
金銭的な事じゃなくて、JIJIの精神面的な事でも。
療育に行ってない…という事がいつも頭の中にある。
体育教室に行く事になったのも『JIJIが行きたい』と言ったからだけじゃなくて、身体を上手に使うことができないと以前、作業療法士さんから言われたからだ。
たった1度お休みするくらい、なんて事ないはずなのに。
ずっとこだわり続けてるのは私で、自分自身の身体の具合が悪くても、休ませる勇気がなくて…。
以前は体育教室の帰りはJIJIとバスで帰っていた。途中で抱っこをせがまれたりすると、週末の荷物と17.5キロのJIJIの両方を抱えなくてはいけなくて、私の腰にはかなりの負担だった。
でも夏辺りからご近所のママさん(私はママさんのオウチを知らないけど、何故かこのママさんは我が家を知っている)が「家が近いから送ってくよ」と言ってくれ、真夏は熱中症とかあるから甘えさせてもらった。
それがまだに続いてて、たまにそのママさんがお休みの時は他のママさんが「今日は私が」と言ってくれる。
先週は荷物を持って階段をあがるのがナカナカ出来なくてゆっくり登ってる私に、後ろからスッと荷物を持ってくれて「いいよ、いいよ。私、体力だけは自信があるから」って、荷物を持ってくれた。
「大丈夫です」って断わるのも出来なくて、本当は大丈夫じゃなくて、すごく助かってるんだけど、なんだろううまく言えないけどモヤモヤしてしまう。
みんな良い人たちばかりなのに。
でも私は何一つお返しできず、甘えてばかり。
本当に身体のせいなのか? みんなこのくらいの痛みなんて、実はヘッチャラで、それでも本当は頑張っているんじゃないか?って思ったり。
今日も母に「今日は体育教室でね、でも午前中病院だから」と愚痴ったら、隣県に住んでるのに「私が迎えに行ってあげるよ」と言ってくれた。父が一緒なら、うちに遊びに来てもらうような感覚でお願いしようかなって思ったけど、父は忙しかった。
姉が言うには目があまり見えてないらしい。それにもう歳だし…そんな母が「私が行ってあげる」と言ってくれるなんて、私はダメだなって思って、その後、慌てて母に断わりの電話を入れた。
母はそれでも「行く」と言ってくれた。「あんたが私の目になってくれたらいい」と…。
やっぱり目が見えないのか…。
その一言で姉の言ってる事が本当だと気付いた。
遠くて滅多に会わないから、母が言わない限り私にはわからない。
目が見えなくても、私の変わりに行こうとしてくれたのか…。
私はもっと頑張らないといけないよね…。
何が言いたいかわからないと思うけど、とにかくココ最近ずっとモヤモヤして、イライラしてて。
思うように身体が動かなくて、落ち込んでたんだろうね。
さっき久しぶりに(病院に行く為だけど)外に出たら少し気分が楽になって気がした。
家にずっと隠ってるとダメだね。
JIJIは相当荒れてるし。
支離滅裂な私です。