2010年度 144冊目 『玄奘三蔵、シルクロードを行く』
記録のみ
前田耕作 著
著者紹介
前田 耕作 (マエダ コウサク)
1933年三重県生まれ。1957年名古屋大学文学部卒業。1964年名古屋大学アフガニスタン学術調査団の一員として初めてバーミヤンを訪れ、以来、アフガニスタン、西アジア、中央アジア、南アジアの古代遺跡の調査を行う。現在、和光大学名誉教授、アフガニスタン文化研究所所長。専攻はアジア文化史・思想史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
岩波書店
岩波新書 新赤版1243
2010年4月
216ページ 本体 796円
シルクロードの繁栄ぶり、遺跡の発掘、玄奘の旅の一部が記された本書。
玄奘が十七年の旅を終えて長安に帰り、精力的に翻訳したとされる。
玄奘はどうして去勢説話(イラノ・ブディカ)の興味を持ち、書くも鮮明に書きとめたのだろうか。 46ー51
玄奘は、「男◯切除」の由縁を語る前の部分と「男◯再生」の因縁を語る後段の部分の奇妙なせつこうに気づいたのだろう。
「健駄羅(ガンダーラ)国カニシカ王」の「一黄門」の話
牛に善意 → 男性◯◯ 再生
古代の インドとギリシャの混交
ハッダ
「ヘラクレス型執金剛神像」出土 (ギリシャ彫刻のよう)
カーピシー(グレコ・バクトリア帝国 都)
「焔肩の座仏」
「舎衛城の大神変像」
ゾロアスターの生地 アフラ・マツダ
ミスラ神 (太陽と光を司る)
「天神」 (バーミアン / 東大仏 頭上)
サマルカンド
「アフラシアブ壁画」
馬 → 太陽神ミスラに
水鳥 → ズルワン神に
捧げられる
「アフラシアブの壁画」 79-81
アフアースィヤーブ (中央アジアのソグド / サマルカンド・ボカラ周辺)
上一行 及び 以下 本書ではなく、わたくし自身の考え、一部 他書による
今回『玄奘三蔵、シルクロードを行く』をわたしにとっては読んで大きな収穫があった。
「アフラシアブの壁画」はイランのペルセポリスの絵と根本的な部分が同じである。
時間をかけて調べて見ると、「アフラシアブの壁画」はイラン人が描いたという。
貢ぎ物、三人一組
ひとこぶラクダ
イランでは(外から連れてきたもの以外は)
ひとこぶラクダだけ
相違点
中国の絵御経を受けている
服装、調度品ほか
「アフラシアブの壁画」に描かれた
突厥(とっけつ)の人々 81
突厥(とっけつ)とは、トルコ系民族のことです^^
油彩技能 156-157
7C バーミヤン 小さな石窟から発見 1964 名古屋大学隊発見
粘着材として 芥子orくるみの乾性油
ほか興味深いところとして
ゾロアスター教
[要旨]
中国・天山山脈からガンダーラへ。「シルクロード」と呼ばれた古道のほとりで、東西の宗教や言語がまじりあう豊穣な文化をはぐくんだ西域・中央アジアの国々。今は歴史の彼方に失われたその姿を、旺盛な好奇心と鋭い観察力をもって記録に留めたのが玄奘三蔵そのひとであった。前人未踏の地をゆく、険しくも心躍る玄奘の旅を追体験する。
[目次]
第1章 不東の旅立ち
第2章 異文化の香り高い西域
第3章 シルクロードの十字路ソグディアナ
第4章 古代バクトリアゆかりの国ぐに
第5章 仏教文化の聖地;第6章 果てしなき道