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乱鳥の書きなぐり

『砂の女(シナリオ)』『砂の女は私の中にいる(安部公房・岸田京子 対談)』新潮社  『安部公房全集 018』より

『砂の女(シナリオ)』『砂の女は私の中にいる(安部公房・岸田京子 対談)』新潮社  『安部公房全集 018』より

 

 

 若かりし頃何度も読んだ『砂の女』を読み返したが、ずいぶん違って感じる部分もあった。

 しかし覚えている言葉や展開も多く、また最後の、7年目の失踪届け出、ああ、安部公房だなと感じた。

 この【失踪届け】でしめてなければ、十代半ばで安部公房を好きにならなかったかもしれない。

 今回『砂の女』を読んで、中学、高校生といった若かりし頃を思い浮かべ、血の循環がを増し、足元がしゅうしゅうと市血潮が早く流れるのを感じた。

 この感覚は何だ?

 齢を重ねた中に、新な息吹が吹き込まれる心地のよさ。

 私は、ずいぶん安部公房が好きだったんだとあたらめて感じた。

 

 男 無益だよ、、、、悪あがきだよ、、、、(要約)

 男 、、、、何がラジオだ、、、、誰だって考えているのは自分の事だけさ。さんざん利用されて、、、、いい気になって尻尾をふって、、、、気づいた時には、藻ぬけの殻なんだ、、、、僕らだけが穴にとり残されて、、、、(226 要約)

 男にまだ脱出の希望があった時、男は上のような言葉を発していた。

 条件さえ違えど、人が生きる上で、現実味を帯びた言葉だ。

 

 人が現実と真正面から向き合い、希望が阻害されたと知った時、どのような気持ちになるのか。

 また、自分のいないところで、失踪というレッテルを張られ裁判で審判を下された時の怖さを思うと恐怖感にかられる。

 この話も突拍子もない事例に思えるが、その実 カフカの『変身』と同じく、ある意味リアルで恐ろしい。

 

 

 

『砂の女(シナリオ)』

 197-233頁

『砂の女は私の中にいる(安部公房・岸田京子 対談)』

 234-241頁

 

『安部公房全集 018』1964-1964年

新潮社 

495頁

1999年

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