乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

雑   12、1、2月

2010-11-08 | 舞台・音楽 雑感メモ



       歌舞伎美人から南座顔見せの案内が…。

       今年も十二月に薮用が入り 忙しくなりそう。

       家族には南座はやめると言い切っていたが…。

       案内を見ると血が騒ぐ。

       今年は夜がおもしろそうだが、個人的には『沼津』が一番見たい。

       昼夜見たい。困ったものだ。



京都四條南座

京の年中行事
當る卯歳 吉例顔見世興行
       東西合同大歌舞伎

平成22年11月30日(火)~12月26日(日)

昼の部(午前10時30分開演)

第一 羽衣(はごろも)

              天女       孝太郎
              伯竜       愛之助

第二 菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)

   寺子屋

             松王丸       吉右衛門
              千代       魁 春
              戸浪       芝 雀
          涎くり与太郎       種之助
            園生の前       扇 雀
            春藤玄蕃       段四郎
            武部源蔵       梅 玉

第三 阿国歌舞伎夢華(おくにかぶきゆめのはなやぎ)

           出雲の阿国       玉三郎
           名古屋山三       海老蔵
            女歌舞伎       笑 也
            女歌舞伎       笑三郎
            女歌舞伎       春 猿
            女歌舞伎       吉 弥
             男伊達       愛之助
             男伊達       翫 雀

   十三世片岡仁左衛門を偲んで

第四 伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)

   沼津

          呉服屋十兵衛       仁左衛門
           平作娘お米       秀太郎
            池添孫八       進之介
           荷持安兵衛       歌 昇
            雲助平作       我 當

夜の部(午後4時15分開演)

第一 歌舞伎十八番の内 外郎売(ういろううり)

   大薩摩連中

            曽我五郎       海老蔵
            小林舞鶴       孝太郎
           小林朝比奈       愛之助
            梶原景時       猿 弥
            大磯の虎       笑三郎
           化粧坂少将       春 猿
            梶原景高       薪 車
            茶道珍斎       市 蔵
            工藤祐経       段四郎

第二 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)

   七段目

   祗園一力茶屋の場

          大星由良之助       吉右衛門
           遊女おかる       玉三郎
           竹森喜多八       歌 昇
            大星力弥       種之助
           矢間重太郎       種太郎
            赤垣源蔵       歌 六
          寺岡平右衛門       仁左衛門

   心中天網島

第三 玩辞楼十二曲の内 河庄(かわしょう)

           紙屋治兵衛       藤十郎
          紀の国屋小春       扇 雀
           丁稚三五郎       翫 雀
           河内屋お庄       竹三郎
          粉屋孫右衛門       段四郎

第四 鳥辺山心中(とりべやましんじゅう)

           菊地半九郎       梅 玉
         若松屋遊女お染       芝 雀
           坂田源三郎  玉太郎改め松 江
         半九郎若党八介       薪 車
          お染父与兵衛       寿 猿
           坂田市之助       歌 六
         若松屋遊女お花       魁 春

第五 越後獅子(えちごじし)

           角兵衛獅子       翫 雀



       松竹友の会から松竹事情で強制的に歌舞伎友の会に変更。

       面倒だ。しかしもし顔見せ購入ならば、そろそろ会員の使用法も見定めておかねばならない。

       勢いつけてページを開けたが、なぁんだ!会員番号が変わるのみで さほど問題はない。

       むしろ利点。今までよりも関西で利用できる劇場が多い。

       しかし、劇団四季の『コーラスライン』の売り切れを見た時には、落胆。ショックは大きい。



       見ようと思いつつ 演目云々と相談して、
      「ええい!高いからいいや。」
      と投げやりに視野からほおむり去っていた平成中村座。

       少し行きたい気もあって今頃チケットをのぞくと、完売。あはは。ある意味良かった。



       まぁ、いいよ、ね。

       わたくしは一月は昼夜行くからね!

       家族にも誘いをかけた。OK也。 戦略勝ち^^V



1月 壽 初春大歌舞伎

 <昼の部>土屋主税(つちやちから)/男の花道

 <夜の部>八陣守護城(はちじんしゅごのほんじょう)
          吉田屋/明智小五郎と人間豹

          坂田 藤十郎/松本 幸四郎/片岡 我當/片岡 秀太郎/市川 染五郎 ほか



       歌舞伎の師匠と勝手に尊ぶHT殿のページを拝見すると、またもやタイムリーな情報。

       松竹座二月は 仁左衛門

       来年九月の件でしょげかえっていたわたくしだが、相殺。いや!おつりがくる。

       一月二月を考えると、家族の大型連休とデコレーションケーキを一気に頂いたくらいに嬉しい。

       関西も見捨てられてなかったんだぁ。

       じんわりと 涙流れる。


2月 二月大歌舞伎

 <昼の部>通し狂言
彦山権現誓助剱( ひこさんごんげんちかいのすけだち)

 <夜の部>通し狂言
盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)

          片岡  仁左衛門 ほか



       来年は嬉しいが、とりあえずは顔見せ。

       チケット販売は押し迫る。

       行くなら前半のみ…。

      



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藤ノ木古墳 石室見学    2010年11月

2010-11-08 | 民俗考・伝承・講演




            藤ノ木古墳
           

             石室見学







 藤ノ木古墳 石室を見学させていただいた。

 元閉塞壁のあった部分には、保護道が儲けられている。

 両壁の自然石は比較的小さく感じられる物も積まれている。

 天井部分石には大きな石が横たえられ、水が滴り落ちる。

 触ってmiるとさほど冷たいという程でもない。

 藤ノ木古墳内部は壁全面に水銀朱が施されていたはずだが、水滴落ちる部分は色は認められない。

 それでも目を凝らす。

 すると、ぼんやりとしたこなれた赤が浮かび上がってくる。




 上の写真は古墳の外側から離れて写した物だが、内部が赤く染められていたことが 部分的に感じ取れる。

 石棺に至っては、かなりはっきりとした赤が見られ、当時の腐敗防止技術や赤に対する魔除けや境界といったことが肌で感じられた。




 わたし的に注目すべき点は赤を漆ではなく水銀朱画使用された点。

 先日読んだ『漆の文化史』 四柳嘉章 著  岩波新書 2009年には水銀朱産出地は伊勢が主で、量が少なく、全国的には漆を使用したと書かれていた。但し、古墳や石棺内部や木簡などには水銀朱を使うのが主だったのかもしれないが。わたしには知識が無い。

 奈良の生駒郡や北葛城郡では伊勢信仰が根強く、伊勢から水銀朱を運んだのかと思っていた。

 しかし実際には藤ノ木古墳の水銀朱は奈良の二上山などで産出したものが使われていたという。

 質問に答えていただき、目からうろこだった。




 江戸には近くにあった宝積寺(ほうしゃくじ 火災に遭う)から巫女が古墳にまいられ、鈴のついた石器を使用して祭儀を取りはからったと ご説明いただいた。

 では、東寺入りギ値を塞がれていたはずの閉塞壁部分。一体巫女はどのようにして石棺まで近づいたのだろうか?

 この疑問に係の方は丁寧に答えて下さった。それによると、積まれた石の上部分に空間があり、そこをはって前に進んだともこと。

 距離にして数メートルはゆうにありそうな真っ暗な岩場の上を、匍匐(ほふく)前進するのは容易ではなかっただろうと感じた。


 上の図を見ていただくと石棺の両側のスペースはほとんどない。

 石棺蓋には縄をつけて運ぶ突起部分(名前は知らない)が元は六つあったらしいが、初めは縦に入れて運んだ石棺を横向けるにあたり突起がじゃまになるので取り除いたと説明されていた。

 なるほど。納得がいく。


  

 上二冊は今回購入した本と冊子。

『斑鳩町の古墳』斑鳩町教育委員会(1990年)と『斑鳩の古墳展』斑鳩文化財センター(平成22年11月)

 充実していてそうだ。


   

 みなさま
 
 最後までおつきあい下さいましてありがとうございます。
        
                  

                  関係者の皆様方には心から感謝申し上げたいと思います。

                  ありがとうございました。


    

 最後に、

 わたしは古墳に関することを、全く知りません。

 間違いやお気づきの点がございましたら、お教え下さいますようお願い申し上げます。







                           2010年11月6日7日

                           奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺西

                           藤ノ木古墳 石室公開日














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