半世紀近くも生きていると、美しいと思える人に出会う事がある。
それは生き様であったり、感じ方であったり、その人の目指すものによる。
中でも、美しものを美しいと感じる人や、楽しい事を楽しいと素直に表現できる人に出会うと、素敵な生き方だなと感じる。
絵や写真や書道などの芸術的な形であったり、また他の多くの表現法が考えられる。
自分の意見として、芸術や文芸に対してこなれた批評や反論のできる人も、好きだ。
気が付いていてみると、知人や友人など私のまわりにはそういった方が非常に多いように思う。
一人でも団体でもいいが、自分の好きなことに集中できる方がほとんどのようだ。
美しいものを被写体以上に美しく艶やかに表現する方が多いのには、感心する。
それは論文や批評文であったり、写真であったり、絵や書道といった事で表現されている。
物欲だけではなく、文化的な精神面でも豊かな方が多い。
芸術関係では、私のまわりには、○画○術監督や○画○台衣装や工芸デザイン家や彫刻家や複数の画家がいる。
その多くはもう亡くなられてはいるが、古い映画や時代劇などを見ていると、度々その名前に出くわす事がある。
また日本の某画伯の名を見る度に、今は亡き人たちを偲ぶ。
そんな時、嬉しさと同時に、私はこんな事でよかったのだろうかといった後悔の念に苛まれる。
私はこの半世紀、何という無駄な時間を過ごしてきたことだろうか・・・。
全ては、自分がまき、自分が選んで歩んだ道である。
後悔などするべきではない。
ただ、これからの時間は有意義に過ごしたい。
今から何ができるというわけではない無力に固まりのような人間ではあるが、美しいものを美しいと感じ、素直に美しいと表現できる生き方を歩みたい。
元気に歩める残された時間を、大切にかみしめるように使いたいと思う。
写真は前回と同じく、イラン。
去年秋にに行ったマスレという村で出会ったご年配の男性。
イラン人の方は日本人に比べてかなり年上に見えるので、想像するよりも十歳以上は年齢を引いた方が、実年齢に近づくかも知れない。
イラン人はハイカラで、第一印象は服装で見るという。
この男性は一体どういった生き方をされてきたのだろうか。
イランに行くと、人に出会う都度、そういった疑問が生じてくる。
言葉が通じない分、笑顔であったり 仕草であったり 服装やお顔の表情からそういった疑問を想像し 解決して楽しむことが多い。
先日ブログに写真を載せた鍛冶屋の男性といい、この男性といい、実直で親切なイラン人男性であった。
これらの男性のように、自分の顔に責任を持てる人生を歩みたいものである。
今日は一月二十三日。
先日十八日に今月を振り返ってから、かなりの時間、無駄に時間を過ごしてしまった。
さて、今年は何をしようか。
まだ始まったばかりで、今なら取り返しもつくというものだ。
やりたいことを箇条書きにする。
墨をすり、和紙に書き上げた。
覚え書きを、自分の机の前に貼る。
これでよし、万事オーケー。
これからは お金の節約よりもまず、時間の節約を考える年齢である。
いちについてぇ~ ようぃ~、
スタート!