2011年度 16
『土佐日記 蜻蛉日記 紫式部日記 更級日記』(岩波書店)から 「土佐日記」
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『土佐日記 蜻蛉日記 紫式部日記 更級日記』(岩波書店)から 「土佐日記」
新日本古典文学大系24
岩波書店
1989年 佐竹昭広編集
P.10~33
一年に何度か訪れるわたしの読書スランプ
今がちょうどその時期で、一月からずっとつづいている。
仕方がないので古典の先生に教えていただいた「土佐日記」を昨日から読む。
短かい日記文学だが、これがまた時間がかかる。
おなじみの出だし。
読みゆくうちに、これは女性の姿を借りたと冒頭に書かれてはいるが、男性社会が見え隠れし、非情におもしろいなと感じる。
女性にはわかり得ない決まり事や男性ならではの記録といった行動…。
あはは、だ。
最近ではサラリーマンに「土佐日記」がうけているという。
「土佐日記」に出てくる身のこなしが働く者にとって必要らしく、そういった関係本が多く出ているらしい。
なるほど。
「土佐日記」を教訓として受け入れるか、うじうじした女々しい男性と思うのかは各個人の感覚の相違。
紀貫之ねぇ……。
こういう内容を書くためには、女性という立場で徒然に書き連ねる方が好都合だったのでしょうね。
読む前はまさかと思っていた「土佐日記」だが、先生がおっしゃっていた通りだったな。
読み始めて間もなく「せっかく来たのに甲斐もなくもうお別れしなくてはいけない」など書かれているが、男性としてはいかがなものだろうか。
大湊の泊からあと、行くか初夏をほんの一部を抜き出しても、次のような感じ。

行く先に立つ白波の声よりも遅れて泣かむわれやまさらむ


こんな感じがずっとつづく。
誰がなにがしを持ってきただの、なにがしをお返しせねばならないだの、女のわたしが聞くに絶えない。
ポジティブ歓迎、ネガティブ御免……
「土佐日記」を読んだあと 魅力的な作家のKT氏やAK氏や 尊敬できる人たちを思い浮かべ、ほっと一息をつきたくなる、そんな日記文学だった。
こんな感想を書くと、おそらく古典文学ファンの方達におしかりを受けることだろう…。
ご意見やお気づきのがありますようでしたら、お教え下さいますれば嬉しいです。
「土佐日記」では亡くなった子に対する思いを描いた表現は好きだった事も付け加えておきたい。
古典文学としては素晴らしい「土佐日記」はことばも美しい。
日を改めて再度読んでみたいが、この作品は女性よりも男性に好まれるのではないか。ふと、そんな感じがした。