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乱鳥の書きなぐり

法隆寺の柱はギリシャのパルテノン神殿のentasisと類似した形状。これはイランの建物でも木の建築柱で認められます。(11景)




  法隆寺の柱はギリシャのパルテノン神殿のentasisと類似した形状。これはイランの建物でも木の建築柱で認められます。(11景)



 
 法隆寺の柱はギリシャのパルテノン神殿のentasis(エンタシス)と類似した形状を保っています。

 写真は法隆寺の大講堂と中門つなぐ回廊にある柱ですが、妻室の近くの柱の形(ただし短め)にも認められます。

 
 パルテノン神殿のentasis(エンタシス)は紀元前400年代頃に作られ、その約一千年後に法隆寺の回廊なども建てられたようです。

 中には法隆寺の柱はパルテノン神殿を真似て作ったと言われる方々も多くいらっしゃいますが、私は確信していません。

 大学時代にギリシャにも行きましたが、ヨーロッパはあくまでも石の文化であり、日本は木の文化。形状は真似たのかもしれませんねとしか私にはわかりません。

 他にも何かギリシャから法隆寺に伝わったようなものがあれば、教えていただければ幸いです。

 
 法隆寺から程なく近い藤ノ木古墳方は、馬具の飾りなども多く出土しました。

 その文様装飾は、アフガニスタンの文様に似ていると、藤ノ木古墳の博物館(?)のスライドで見たことがあります。

 西からの影響も多いのだと感じました。

 
 イランの多くの古い建物などをみましたが、その中で、法隆寺と同じ形状の柱をみたことがあります。

 上にあげたイランの建物は木で造らており、柱も見事に美しい形で、法隆寺を思い浮かべていました。

 ただ、年代と場所と名前を忘れてしまいましたので、機会があれば家族に聞いておこうと思います。


 

 法隆寺の回廊の屋根を見上げると、美しいカーブが認められます。

 ここは大講堂をでてすぐ右の場所です。(大講堂 向かって左)

 

 ここは大講堂を出て右(大講堂 向かって左)をさらに進んだところで見上げました。

 やはり屋根のカーブが美しいです。

 法隆寺の中でも残念なことに大講堂は雷で焼けたらしく、再建されています。

 その時に、確か、中国の様式を用いたと何かで読んだことがあります。

 柱にせよ、回廊の屋根のカーブにせよ、美しい形状だと何度言っても感じます。

 
 

 先ほどから何度も書いている、大講堂です。

 法隆寺は学問の寺と言われていますが、大講堂はまさに学問をするばだったとボランティアガイドのカタカタお聞きしました。

 ここで学呂(?)たちが勉学や研究に勤しんだのかと思うと、仏像のオーラを感じながら、メラメラとやる気が起こってまいります。

 
 に向かってすぐ右には、大講堂の入口があります。

 

 大講堂向かって右にはまだ蕾を固く閉ざした紅梅の梅が植えられています。

 もう少しすれば、梅も楽しめそうです。


 

 中門中側から南大門の方向を見ています。

 中門の外側には、法隆寺の仁王像の阿吽像が力強く西院伽藍を守っています。

 私の好きな仁王像二体の一つです。


 

 ここは回廊近くの扉の一つです。

 少し新しそうですが、施錠の形は面白いので、記録しておこうと思います。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 

コメント一覧

自閑様 再び、乱鳥です。
追記
自閑様

イランのターケボスターンという遺跡に何度も行きましたが、入り口に、飛天の文様の壁画がございます。

これが、知られている中で一番古い飛天の文様かもしれないということを聞きました。
(確か??300年頃って言っていたような??)

自閑様がおっしゃいますように、飛天の文様は中国から仏教と一緒に伝わったようです。
中国から西に伝わりペルシャあたりの経由で、日本に伝わったと考えておられる学者さんも多いとのことでした。

お夕食の時に、漠然と聞きましたので、年代などは忘れてしまい、申し訳ございませんm(_ _)m

またまた話は飛びますが
ターケボスターンで思い出すのは
遺跡の外れた公園(?)内には自然の浅い池がありました。
イラン人の方々は、その家に、小銭を投げ入れておられました。
ある日たまたま、遺跡(公園?)の管理人達が池の中に入り、小銭をいっぱい集めておられました。

モスクや廟の六角形(8角形だったかも??)のタイル張りの人口池(?)がある場合があり、イラン人達は水の中に小銭を投げ入れていました。

日本でもこういった光景を見ることがありますので、興味深いなと感じていました。


自閑様
いつも嬉しいコメントを頂戴しありがとうございます。
感謝申し上げます。
乱鳥
jikan314様
自閑様
アフガニスタンには行ったことはないのですが、唐草文様に関係の深い中国やエジプトに行き、各種の蔓草文様を見たことがあります。
日本にはどい打った経緯で伝わったのかは諸説ある様で、私はあまりわからないのですが、正倉院展などを見ましてもその文様は多く、思いを馳せています。
日本では平安時代にはすでにこの蔓草文様は伝わっていて、古典(何か忘れましたm(_ _)m)に出て来ると聞いたことがあります。平安時代より前から伝わっていたとは思いますが、古典に描かれているなんて、素敵ですね^^

飛天のモデルもギリシャ神話にあるのですか^^
ギリシャ神話はほんの少ししか読んでないので、教えて頂き、嬉しいです!!!
飛天の模様(絵)はイラン(ペルシャ)のゾロアスター教の関係で、ヤズどや他の地方で、顔は鼻の高い男性で体は鷲の様な絵や壁画を多く見ました。そちらの説もあるとか聞いたことがありますが、私はあまりよくわかっていません^^;;

話は飛び申し訳ないのですが、学生時代から「騎士獅子狩文様」が好きでした。
まさか高校大学の頃にはイランに行けるとは思ってもいませんでしたので、イランの各地で壁画を見ることができ、天にも登り思いでした。
これが私の本当の飛翔でございまする(あらあらアホなこと)

法隆寺はただいま観光客の方が少なく、また、修学旅行生もいらっしゃいません。
よって、のんびりと楽しむことができます。
今年は神社仏閣を色々と歩きたいと思っていますが、何しろ、寒いです。^^

自閑様
風邪を引かれませんように


  空財布 冬に食いたや 富有柿    ジタバタジタラズノトリ







jikan314
乱鳥様
実際にギリシャやイラン、アフガニスタン?に行かれた乱鳥様が見る法隆寺も感慨深いものがあるかと存じます。
高校の時に習ったヘレニズム文化と仏教として、ガンダーラが有るかと拙い記憶であります。
アレグサンダー大王が、ガンダーラ地方を制圧した後、インドのクシャーナ朝となり、ギリシャ人のバクトリア王国も築かれ、ギリシャ人の弥蘭王問経(ミランダ王の問)もあります。仁王様はヘラクレスがモデルとかテレビで見ました。
この時の唐草模様が仏教と共に日本に入ったとか。
飛天のモデルもギリシャ神話に有るかと。
法隆寺を訪れた時、ちょうど修学旅行生と重なり、騒音と共に過ぎ去る彼らを見て、数十年前の自分を思った次第です。
拙句
柿を食ふ間もなく生徒去る景色
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