絵入 好色一代男 八全之内 巻一 井原西鶴
天和二壬戌年陽月中旬
大阪思案橋 孫兵衞可心板
『絵入 好色一代男』八全之内 巻一 二はづかしながら文言葉(ふみことば) 【1-2-1、2、3】 井原西鶴
はづかしながら文言葉(ふみことば)
文月七日の日、一とせの埃(ほこり)に、埋(うづもれ)し、かなあんどん
油(あぶら)さし、机(つくへ)、硯(すゞり)石(いし)を、洗(あら)ひ流(なが)し、すみわたりたる
瀬ゞの、芥(あくた)川となしぬ、北ハ金竜寺(こんりうじ)の、入相(いりあひ)のかね
八才の宮の御歌(うた)もおもひ出され、世之介も、はや
小学(せうかく)に、入べき年なればとて、折ふし、山崎(やまざき)の叔(おじ)の
もとに、遣(つかハ)し置(をき)けること幸(さいはい)、むかし宗観法師(そうかんほうし)の
一夜庵(やあん)の跡(あ)とて、住(すミ)そゝきたる人の、滝本流(たきもとりう)を
よくあそはし来る程(ほど)に、師弟(してい)のけいやくさセて、遣(つかハ)し
けるに、手本紙(てほんかミ)さゝげて、「はゞかりながら、文章(ぶんしやう)をこの
まん」と申せば、指南坊(しなんぼう)、おどろきて、「さハいへ、いかゞ
書くべし」と、あれば、今更(いまさら)馴/\しく、御入候へ共、たへかねて
申まいらせ候、大形(おゝかた)目つきにても、御合点(かつてん)有べし
二三日跡に、姨(おば)さまの、昼寝(ひるね)をなされた時、此方の糸(いと)
まきを、あるともしらず、踏(ふミ)わりました、「すこしも
くるしう、御さらぬ」と、御腹の、立さうなる事を、腹(はら)
御立(たて)ひハぬハ、定而(さためて)、おれに、しのふで、いゝた事が
御座るか、御座るならば、聞(きゝ)まいらせ、候べしと、永/″\(なが)
と、申程(ほど)に、師匠(しセう)も、あきてはてゝ、是迄(これまで)ハ、わざと
書(かき)つゞけて、「もはや鳥(とり)の子も、ない」と、申されけれは
「然(しか)らは、なお/\書(かき)を」と、のぞみける、又重而(かさねて)たよりも
有べし、先是(これ)にて、やりやれと、大形(かた)の事(こと)ならねバ
わらハれもせず、外にいろはを書て、是をならハせ
ける、夕陽(セきやう)端山(はやま)に、影くらく、むかひの人来(きた)りて
里にかへれば、秋(「禾に亀」(あき))の初風(はつかぜ)はげしく、しめ木(き)に、あらそひ
衣(ころも)うつ、槌(つち)の音(をと)。物(もの)かしましう、はしたの女(おんな)
まじりに、絹(きぬ)ばり、しいしを、放(はづ)して、恋(こひ)の染(そめ)ぎぬ
是ハ、御りやうにんさまの、不断着(ふだんき)、此(この)なでしこの
腰形(こしかた)、口なし色(いろ)の、ぬしや誰(たれ)と、たづねけるに
「それハ、世之介の、お寝巻(ねまき)」と、答(こた)ふ、一季(ひとき)おりの
女、そこ/\に、たくみ懸(かけ)、「さもあらば、京(きやう)の水(ミづ)てハ、あら
はいで」と、のゝしるを聞て、「あか馴(なれ)しを、手に懸(かけ)さすも
たびハ人の情(なさけ)」と、いふ事あり」と、申されければ
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