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乱鳥の書きなぐり

【ならまち】元興寺〈小塔院跡〉  (10景)

【ならまち】元興寺〈小塔院跡〉

 ならまちにひそかにたたずむ元興寺〈小塔院跡〉にふらりとたたずむ。

 ふらりと吸い込まれるようにここに入ったものはわたくしだけではなく、ほかにも

 殿方が、

「何かありましたか?何もありませんよね?」

とおっしゃるので、笑みを返す。

 

 山門をくぐり奥まで入り込むと、平行に通ずる道路に続く。

 奥側の入り口付近の小塔院跡では道路が掘り起こされ、工事中であった。

 あるいは、工事されていたのは、小塔院跡地に含まれるか否かは、定かではない。

 左は山門、

 右横は、ならまちの古民家か、、

 築地塀跡か、、

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 奥まで入った山門

 左横では工事が行われていた。

 奥側の山門に掲げられた表札。

以下はウィキペディア    ▼

小塔院  

 本堂

 所在地 奈良県奈良市西新屋町45

 

 宗派 真言律宗

 本尊 虚空蔵菩薩

 別称 元興寺小塔院跡

 文化財 元興寺小塔院跡(国の史跡)

 

 小塔院(しょうとういん)は、奈良県奈良市にある真言律宗の寺院。

 本尊は虚空蔵菩薩。

 元は元興寺の伽藍の一部であった。  

 歴史 現在、奈良町と呼ばれている辺りに、養老2年(718年)、飛鳥の法興寺が平城京に元興寺として移されてきたことに始まる。

 

 小塔院は西小塔院もしくは吉祥堂とも呼ばれて金堂の南西にあり小塔堂が建立されていた。

 小塔院は称徳天皇が百万塔を納めるために建立したものという。

 また、元興寺極楽坊にある国宝・五重小塔が安置されていたともいう。

 金堂の南東には小塔院に向かいあうようにして大塔院もしくは東大塔院があり、五重塔が建立されていた。

 

  当時の元興寺の伽藍の跡地として現在残っているのは、元興寺極楽坊、元興寺塔跡および小塔院跡の三カ所のみである。  

 

 法相宗の有名な学僧である護命は小塔院僧正と呼ばれ、承和元年(834年)にこの小塔院で亡くなっている。

 

 現存の護命の供養のために作られた宝篋印塔は、鎌倉時代後期のものとされる。  

 

 宝徳3年(1451年)10月、土一揆による放火によって小塔院は全焼した。

 火災は以後も広まり続けて極楽坊と五重塔を残し、元興寺の伽藍は全て焼かれてしまった。  

 

 宝永4年(1707年)に虚空蔵堂(本堂)が建立されている。

 

  1965年(昭和40年)6月2日に元興寺小塔院跡として国指定の史跡となっている。

境内

 虚空蔵堂(本堂) - 宝永4年(1707年)建立。

 庫裏 護命の供養塔 - 鎌倉時代後期。

 地蔵堂

 山門

 

国宝が安置されていたと伝わる 西の塔跡(https://www.narakko.jp/shotouin/)

元興寺は、明日香村にあった法興寺(現・飛鳥寺(安居院))が平城京遷都にともなって移設されたお寺。もとは1つの境内地でしたが、火災や一揆などにより焼失・破壊が繰り返され、現在は極楽坊・塔跡・小塔院の3つのお寺に分かれています。

小塔院は元興寺金堂の南西に位置し、東大塔院(現・塔跡)に対し西小塔院、もしくは吉祥堂と呼ばれていました。称徳天皇が百万塔を納めるために建立したと伝わり、また現在極楽坊にある五重小塔(国宝)が安置されていたともいわれます。  宝徳3年(1451)の土一揆によって全焼し、現在は宝永4年(1707)に建てられた虚空蔵堂を本堂としています。昭和40年(1965)には元興寺小塔院跡として

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