歌舞伎『芦屋道満大内鑑 葛の葉』5,0★/5 中村扇雀、中村翫雀、坂東竹三郎 平成20年(2008年)1月 松竹座
私が心に残る平成20年松竹座の『芦屋道満大内鑑 葛の葉』を見た。
中村扇雀演じるこの歌舞伎演目は、高校生から歌舞伎を見ている私にとっても背負おう劇的で印象深いものであった。
まず前半、葛の葉の早替わりで心を捉え、加えて中村翫雀の所作が故藤十郎丈を匂わせ、心地が良い。
きツネ葛の葉のとしての所作や動きや極端な言い回しが、異形とする生い立ちの葛の葉にピタリとイメージが重なる。
また、本妻の葛の葉は、演じ方をずいぶん変えておられる。
中村扇雀の葛の葉は、きりりとした目つきでどこかしらお顔立ちも異形のキツネ(ネコ科)になりやすい。
いやいや、顔立ちや体型に加えて、所作や演じ方やメークなど、多くの努力の賜物と言えるであろう。
中村扇雀の葛の葉の障子に書き残す歌に、今回も感動した。
恋しくばたずね来きてみよ和泉なる
信太の森のうらみ葛の葉
はあまりにも有名だが、扇雀の芝居では
恋しくは
きツね(たツね)
きてみよ
和泉なる
信太の森の
うらみ
葛の葉
と書かれる。中村扇雀の教養と品格を感じる。
恋しくは
きツね(たツね)
きてみよ
和泉なる
が、まず達筆である。
【恋しくは】
は、【恋】とかき、次に下から上に【は→し→く】と書かれるが、【し】が長く、 【恋しくは】としての文字の形と配置が非常に美しい。
【たツね】の【た】は変体仮名で【き】とも読める様に工夫されている。
【たツね】は【きツね】
(に)、でもあるのだ。
【きてみよ】
【和泉なる】
で子(後、安倍晴明)が目覚めて葛の葉の元に来るが、子がぐずり続ける。
葛の葉は子供を引き寄せて荒らしながら左手で書くと鏡文字となる。
【信太の森の】
【うらみ】
は、
【恋しくは】
【きツね(たツね】
【きてみよ】
【和泉なる】
の儚い達筆さとは裏腹に、鏡文字で四角い文字。
これは葛の葉が森に帰り身を引く決意の表れでもあるように感じる。
それでも泣きぐずる子供。
葛の葉は筆を口にくわえ、
【葛の葉】
と、自分の決心を達筆な文字で書き切る。
『芦屋道満大内鑑 葛の葉』は民俗学者も度々問題視している。
異形である葛の葉は、信太の森という大阪の地形にも注目されているとも事。
いわゆる『土蜘蛛』と比較して解説されることも多い。
そんな事は私にとってはどうでも良いが問題は歌の
恋しくばたツね(きツね)来きてみよ和泉なる
信太の森のうらみ葛の葉
そのままとってもわかりやすい歌だが、
【うらみ】
は
恨み(身を引かねばならない身の上の)恨み
裏見(葛の葉っぱの裏をめくると、怪我は言えている。これをきツねに見立てている。)
と記す民俗学学者が多い。
話を中村扇雀の『葛の葉』に戻そう。
多くの役者で『葛の葉』を見たが、中村扇雀の葛の葉は芸術作品であった。
松竹座という近い環境で演じられたこともありリアルタイムで舞台を見る機会に恵まれた幸運に感謝している。
中村扇雀さんの『芦屋道満大内鑑 葛の葉』は、私の歌舞伎鑑賞の中で、10本の指には入っていることを付け加えておきたい。
それほどまでに扇雀の葛の葉は好きであった。
その後も松竹座で中村時蔵さんの舞台も見たが、また違った味を出されていた。
役者によって持ち味や雰囲気や多少話の受け取り方までもが変わる。
舞台って、面白いですね^^