「わたしは耐え忍んで主を待ち望んだ。主は耳を傾けて、わたしの叫びを聞かれた。」詩篇40:1
信仰を持って生きるとは、忍耐して神様のわざを待つことです。どうなるのかわからないまま、ただひたすら忍耐することは大変苦痛です。しかし、限りない愛であなたを愛してくださる神様に期待して、良きことを備えて下さる希望を抱き、忍耐して待つことはむしろ楽しいことです。今日あなたが置かれている境遇のなかで祈りつつ、主がなして下さる出来事を待望しながら、生きようではありませんか。(KE)
信仰を持って生きるとは、忍耐して神様のわざを待つことです。どうなるのかわからないまま、ただひたすら忍耐することは大変苦痛です。しかし、限りない愛であなたを愛してくださる神様に期待して、良きことを備えて下さる希望を抱き、忍耐して待つことはむしろ楽しいことです。今日あなたが置かれている境遇のなかで祈りつつ、主がなして下さる出来事を待望しながら、生きようではありませんか。(KE)


桜の流れも被写体として面白いものです。我々も流されて生きている
のでしょうね。忘れもしないあの日、主はしっかり私の手を捕らえて
下さいました。私は弱い何の優れたものがない拙いものでしたが、人生
が実のあるものとなり、苦しみから楽しいものとなりました。主の恵み
や真理が解ったのですから。弱い私が強められまだ生かされているのです。
まさに奇跡です。時に試練もありますが、これも我が心身の訓練。不思議
に生かされています。
あ~里山はいいです。こんな自然も創造して下さいましたよ。