ウヮーヌマキ(豚小屋)と外便所
小学生までは祖父と祖母の間が私の寝床だった。
ウヮームヌなどの幽霊の話を聞きながら寝たあとの便所は怖かったので
祖母に付き添っててもらっていた。
独りでいけるようになったのが小学校3年生だった。
実話、
祖父が家族会議を提案して、私の努力目標(自立)がそれだったから覚えている。
その頃は殆どの家はトーグラとウイヤー(母屋)と呼ばれる二棟からなる茅葺屋根だった。
小便所は母屋とウスムトゥ(炊事場)を繫ぐ渡り廊下(ハイヨー)の北側にあったので寝ぼけても独りで行けたが、
大便所は豚小屋に並んで外にあった。
私の屋敷近くには
幽霊の住むと言われている鬱蒼と茂ったガジュマルの大木があった。
夏になると海に魚釣りに行くのが一番楽しかったが、
潮時があるので何時も行けるわけではないので、
トンボやセミを追っかけたりおやつ代わりのバンジロウ(グアバ)の実を探し回って遊んだ。
バンジロウの実は熟度によって、固い順番から
カッパチ、サーノー、アンクルイに分けられる。
熟度を調べるため、カッパチのバンジロウには爪の後が付いているものだった。
特に通学路脇の木には目立って付いていた。
みんなして食べごろのサーノーになるのを待っているのだ。
隠すため枝をねじ曲げて葉っぱのなかに押し込んだりしたものだったが、
たいてい誰かに先を越されてしまった。
バンシルイヌスドゥ(盗人)という遊びが流行った。
他人の山畑の中に生えているバンジロウの木を見つけて
競争でもぎ取る遊びだ。
大木になれば木のぼりの上手なものが一番大きいのが収穫できる。
時には枝を折って叱られたりした。
また、蜂に刺されて目を膨らして、
恥ずかしくて押入れに隠れていたらそのまま寝入ってしまったこともある。
低学年の頃はヤマグ遊びの上手な兄たちのあとをついて回り、
獲物のおこぼれをもらうのだが、
時期が早いころは熟れているのが少なく
カッパチを貰って食べることになる。
その結果が大変なことになった。
夜中にウンコがでなくなってしまった。
祖母が終わるまで外で待っていてくれるのだが、
どんなに力んでもでてくれない。
おなかが張るので我慢できないので力んでみるが
どうしても出てくれない。
尻の穴を祖母に竹の棒でほじくってもらった。
それでもなかなかでなくて、
とうとう祖母が指で穿り出してくれた。
それも豚の脂を塗ってまでの悪戦苦闘の想い出。
幼いころの夏の夜のことであった。
暮が近づいてくると冬の風物詩
正月用の豚つぶしの光景が目に浮かぶ。
あんな時代もあったのだと・・・。