2013.01.24 XML
断酒入院日記より(与論島発) (2)
昨日、アップを間違えたのでもう一回書こう。
H24.10.23 与論発
フェリーあけぼの丸にて妻につきそわれて乗船。
与論・沖永良部間は甲板にて島を眺めながら語り合った。
揺れがひどくなってきたので、
徳之島までは一眠り。
徳之島出港時に食堂にてエビ定植を食べる。
船は相当揺れていた。
名瀬港着岸時はそのまま寝床で寝ていた。
普通のときはここまでの時点で缶ビールの酔いでい
いきもちになっていただろうにとの想い出がよぎる。
起きたのは6時ごろ、
船の揺れがなくなっていたのでそろそろ鹿児島湾の入り口だと思い
外に出てみると島が見えていた。
硫黄島を甲板にでて妻に説明。
屋久島、種子島がうっすりと見えた。
佐多岬を通過したら、開聞岳、桜島の景色を楽しみながら朝日を浴びた。
素晴らしい朝を迎えた。
入院する指宿の街の景色も船上から確認。
9:20着予定だった船は8:50着岸。
タクシーを拾って鹿児島南駅に直行、
余裕を持って指宿・枕崎線に乗ることができた。
前もって連絡していたので、受付・検査もスムーズに終わり、
正午の竹元院長先生に診断を受けた。
前頭葉(頭部写真)のレントケン写真を見ながら説明を受ける。
細胞がどのぐらい消失しているのかが気になっていた。
やっぱり思ってた通りの説明だった。
来て良かったと心底思った。
これ以上の馬鹿にはなりたくないので、
スケジュールをこなして帰る入院手続きをして、
やり遂げて帰る決意、
命が大事で仕事はどうにかなるだろうと思った。
一時的に信用を失っても、
元気にいれば何とかとりもどせるとの前向きの姿勢は変わらない。
もっと大きな心をもとう。
そして、日々の暮らし方をこちらに合わせて組み直そうと思った。
そして、
学んだことを与論で生かせるように工夫しよう。
「内観」について、自分なりの方法も研修しよう。
外観することについても、自分の考え方をまとめてみよう。
まずは正直に話せる友達をつくることだ。
それこそ「聖なる予言」に書かれている偶然の一致が始まる。
エコー検査を待つ時間に記録する。
真弓はその間に入院手続きを済ませ、
生活用品をそろえて預けてあった。
日帰り日程の船に間に合うためには時間が制限されていた。
携帯や免許証、その他ひげそり用具なども点検をうけて、
ぬきとられてあった。
初めはB棟で入院生活に入った。