恩知らずの私を お許しください。
沖縄、那覇に行く機会が幾度かあったのですが、電話をすることができませんでした。
私の郷土研究も少しづつではありますが、シニグ祭りから、墓地や遺跡の調査など進めてきております。
沖縄との交流の旅も重なり、いろんな人とも出会いながら
那覇文芸の上間さんと直接お話したいと思うことが何度もあったのですが、
とうとう実現しないで今日を迎えてしまいました。
歳を重ねていくと、もういくら生きられるかを真っ先に考えるようになってきて、
懐かしく会いたい人も絞られて来るように思われます。
役場を辞めてもう10年がすぐそこに来ていますが、当時はどうやって生きていこうかと悩んで、
アルコール依存症にもなって、4年前からやっと立ち直ることができました。
アル中毒の全盛期の出会いだったと回顧していますが、
それが幸いして郷土研究の調査が上手くいったような気がします。
古いお墓(ジシ)を探し回ってそこにあった正中まで飲みました。
数週間前から偶然に考古学に入門しました。
神がかりとしか言いようがありません出会いでした。
宜野湾市元教育委員会課長の呉屋義勝先生と先史調査を開始しています。
「与論島」 沖縄の原風景が残る島 先史から現代まで 琉球と奄美を結ぶ点 ゆーぬ島」
なんとなく ストーリーを書き出そうとしています。
同じことを何度も繰り返し語りたくなると老人の証
自慢話 になりましょうか・・・・。
別添の冊子に私の小文 島語り」を載せてもらっています。
今のところ5巻までですが スタッフが帰ってきたら続きが出せると思います。
近況をお知らせするとともにいつか私どもの郷土研究会との交流もできればと願って書きました。
郷土研究会もなんとか二か月に一回の定例会もこなして、臨時に勉強会なども開催できるようになっています。
会誌の発行が待たれているのですが、2号の発刊を五月の定例会に向けて準備中です。
詫びとお礼にもならない失礼なお手紙上間様へ
お許しください。
泡 盛窪 拝