こんにちは。
ずっと前に書いてご紹介したかと思うのですが
折りたたみ傘
今年のゴールデンウィークはコロナの規制が緩和されたので
世の中が人出であふれて、
前半にお出かけ(まだご紹介してないです。写真整理したら かきま===す)
した後は、会社で店番しながら お片付けザンマイです
棄てられない性格なので、だんだんたまる一方
そろそろ片付けて行かないとなって年齢になってしまうので
ここで少しは片付けておきましょう と 一念発起!?
やだよ、小学校の作文まで出てきた…
なんて、読んでいたりすると 片付かない!
…
…
あ、傘!
折りたたみ傘です。
これ、小学校の時、おばあちゃんに買ってもらった傘!!
私の祖母は、そもそもちょっとハイカラな人でして
明治生まれの丙午(ひのえうま)
オカイコが嫌で、横浜の祖父の元へお嫁に行くって
さっさと田舎から飛び出てしまった人
昭和60年代当時は、明治生まれの年配の女性はほとんどが
着物で生活していた所を、
すでに祖母はスカートをはいて、伊勢佐木町の町を闊歩していたんです
私も、良く祖母のお買い物に連れて行ってもらって
伊勢佐木町のデパートで祖母が呉服を選んでいる間、
屋上の遊具で一人で遊んで
そのあとは、デパートのお好み食堂で ホットケーキを食べて帰る
そんな幼稚園~小学校低学年時代を 祖母と過ごしたもんです
ある時祖母と伊勢佐木町の町を歩いていたら
向こう側から来た 水兵さん(多分、横浜港に停泊していた船の船員さんか 学生さん)数名が
すれ違いざまに
「 うわ~ おばあさんなのに スカートはいてる ! 」
って、祖母の事をすごく珍しそうに見て行ったのを覚えています
そんな好奇心旺盛でハイカラな祖母は
当然の如く新しいものが好き!っていうか、すぐに目に留める人だったようで
当時は珍しかった
【軽量の折りたたみ傘】を
私と姉に1本ずつ買ってきてくれたんです
折りたたみ傘の歴史を調べたら、
日本では1950年ごろから折りたたみ傘の開発が進められて
1960年代には真鍮の軸でナイロン製の折りたたみ傘が出始めたそうです。
その後1965年頃にもっと軽量で3段に折れる傘(もう少し短くなる傘)が
出始めて、軸も真鍮からアルミに、生地もナイロンからポリエステルと
現在の折りたたみ傘の原型が出始めたんです
それを買ってきてくれたのです
確か、小学校の高学年
っていうか、オネエが中学に上がったからと言う事で
買ってくれたのだと思う
可愛い苺とリンゴの柄が私の
オネエのは緑色だったか青だったか…たしか違う柄だったなあ…
すごく気に入って、いつも持ち歩いていたんです
中学?高校に入るくらいまで使っていたかな
そのあと、長い傘を持ち歩くのがマイブームになって
折りたたみは持ち歩かなくなったのですが…
お片付けザンマイでまたしても出てきた~~~
あ==久しぶり! 元気ですね 相変わらず! って感じです
さて、今日のところはおしまいにします。
そう言えば、もうすぐ祖母の命日です
母のお誕生日のそばで亡くなれば、忘れられないよねって
母の誕生日のすぐそばで亡くなりました
祖母は、最後は認知症が入ってしまったり、血圧も高かったのか
母をすごく頼りにしながら亡くなりました
祖父が亡くなった年齢よりも長生きしたので
おばあちゃん、すごく嫌がっていたなあ…
「おじいちゃんより、年取っちゃったよ~」
って、良く言っていた。
でもね、天国に行くと、一番良かった年齢になるって
そんな事聞いたことがあるから
今はきっと、天国で祖父や父、母とみんなでワイワイ やりながら
【 あ~~~また、シャインがなんかやってるよ!!
ほら、次は誰が手助けに行く!? 】
なんて、順番に助けに来てくれてるんだろうな
いつもありがとうございます!!
傘、今はそんなに使わないけど、大切にします
やっぱり、捨てられないね
2023年は 負けない年! 転んでもタダじゃ起きないで、もっと高く飛び上がってやる年 ♬
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横浜 野毛山動物園とスヌーピーを応援しています!
東日本大震災2011年3月11日は決して忘れない。
あの時頑張った事を教訓に!
NIPPON ! がんばれ! 大和魂全開だ☆
東日本大地震の爪痕はまだまだまだまだ残ってるよ…新型コロナウイルスが普通の風邪みたいになりますように☆彡 …
自分ができることを探し続け、次に繋げることを目標にして行こうと思っています
心と気持ち、物の大切さを伝え続けます!
がんばれニッポン つながる! 日本
愛媛は一年中みかんの季節だよ!
愛媛県は宇和島から産直してます!
詳しくはヨロズヤフォーシーズンへご連絡下さいませ
ずっと前に書いてご紹介したかと思うのですが
折りたたみ傘
今年のゴールデンウィークはコロナの規制が緩和されたので
世の中が人出であふれて、
前半にお出かけ(まだご紹介してないです。写真整理したら かきま===す)
した後は、会社で店番しながら お片付けザンマイです
棄てられない性格なので、だんだんたまる一方
そろそろ片付けて行かないとなって年齢になってしまうので
ここで少しは片付けておきましょう と 一念発起!?
やだよ、小学校の作文まで出てきた…
なんて、読んでいたりすると 片付かない!
…
…
あ、傘!
折りたたみ傘です。
これ、小学校の時、おばあちゃんに買ってもらった傘!!
私の祖母は、そもそもちょっとハイカラな人でして
明治生まれの丙午(ひのえうま)
オカイコが嫌で、横浜の祖父の元へお嫁に行くって
さっさと田舎から飛び出てしまった人
昭和60年代当時は、明治生まれの年配の女性はほとんどが
着物で生活していた所を、
すでに祖母はスカートをはいて、伊勢佐木町の町を闊歩していたんです
私も、良く祖母のお買い物に連れて行ってもらって
伊勢佐木町のデパートで祖母が呉服を選んでいる間、
屋上の遊具で一人で遊んで
そのあとは、デパートのお好み食堂で ホットケーキを食べて帰る
そんな幼稚園~小学校低学年時代を 祖母と過ごしたもんです
ある時祖母と伊勢佐木町の町を歩いていたら
向こう側から来た 水兵さん(多分、横浜港に停泊していた船の船員さんか 学生さん)数名が
すれ違いざまに
「 うわ~ おばあさんなのに スカートはいてる ! 」
って、祖母の事をすごく珍しそうに見て行ったのを覚えています
そんな好奇心旺盛でハイカラな祖母は
当然の如く新しいものが好き!っていうか、すぐに目に留める人だったようで
当時は珍しかった
【軽量の折りたたみ傘】を
私と姉に1本ずつ買ってきてくれたんです
折りたたみ傘の歴史を調べたら、
日本では1950年ごろから折りたたみ傘の開発が進められて
1960年代には真鍮の軸でナイロン製の折りたたみ傘が出始めたそうです。
その後1965年頃にもっと軽量で3段に折れる傘(もう少し短くなる傘)が
出始めて、軸も真鍮からアルミに、生地もナイロンからポリエステルと
現在の折りたたみ傘の原型が出始めたんです
それを買ってきてくれたのです
確か、小学校の高学年
っていうか、オネエが中学に上がったからと言う事で
買ってくれたのだと思う
可愛い苺とリンゴの柄が私の
オネエのは緑色だったか青だったか…たしか違う柄だったなあ…
すごく気に入って、いつも持ち歩いていたんです
中学?高校に入るくらいまで使っていたかな
そのあと、長い傘を持ち歩くのがマイブームになって
折りたたみは持ち歩かなくなったのですが…
お片付けザンマイでまたしても出てきた~~~
あ==久しぶり! 元気ですね 相変わらず! って感じです
さて、今日のところはおしまいにします。
そう言えば、もうすぐ祖母の命日です
母のお誕生日のそばで亡くなれば、忘れられないよねって
母の誕生日のすぐそばで亡くなりました
祖母は、最後は認知症が入ってしまったり、血圧も高かったのか
母をすごく頼りにしながら亡くなりました
祖父が亡くなった年齢よりも長生きしたので
おばあちゃん、すごく嫌がっていたなあ…
「おじいちゃんより、年取っちゃったよ~」
って、良く言っていた。
でもね、天国に行くと、一番良かった年齢になるって
そんな事聞いたことがあるから
今はきっと、天国で祖父や父、母とみんなでワイワイ やりながら
【 あ~~~また、シャインがなんかやってるよ!!
ほら、次は誰が手助けに行く!? 】
なんて、順番に助けに来てくれてるんだろうな
いつもありがとうございます!!
傘、今はそんなに使わないけど、大切にします
やっぱり、捨てられないね
2023年は 負けない年! 転んでもタダじゃ起きないで、もっと高く飛び上がってやる年 ♬
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東日本大震災2011年3月11日は決して忘れない。
あの時頑張った事を教訓に!
NIPPON ! がんばれ! 大和魂全開だ☆
東日本大地震の爪痕はまだまだまだまだ残ってるよ…新型コロナウイルスが普通の風邪みたいになりますように☆彡 …
自分ができることを探し続け、次に繋げることを目標にして行こうと思っています
心と気持ち、物の大切さを伝え続けます!
がんばれニッポン つながる! 日本
がんばれ!日本列島!!頑張れ!!! 私も頑張る!
愛媛は一年中みかんの季節だよ!
愛媛県は宇和島から産直してます!
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