第四部 Generalist in 古都編

Generalist大学教員.湘南、城東、マヒドン、出雲、Harvard、Michiganを経て現在古都で奮闘中

大学教員になって感じた事

2017-01-30 11:29:35 | 総合診療

皆様 こんにちわ

今日はひさしく故郷の長崎に帰って、大阪、滋賀、岡山、滋賀医、長崎の学生さん達の自主的な取り組みの発表やワークショップを見させてもらいました。

彼らの情熱というか、前向きな学びに非常に元気をもらいました為に、つらつらと最近大学教員として働いてみて日本という国の教育現場を認識した自分の思う事を書いてみます。

 

私の過去の記憶をたどると、何かを暗記して試験問題を解いたりすることに非常に長けている人が医学部には多いと思います。しかし、実際の現場において自分たちは何を問題と認識して周囲と協調して取り組み、実際に折れずにアクションを起こしていけるかどうか?という所にまで達している人は非常に少ない印象です。批判する点を見つける事は誰にとっても極めて容易な事ですが、それに対して改善していくアクションを取れる人はそんなに多くありません。特に熟達した脳は衣食住完備のComfortな状態に依存しやすく、左脳では重要性を理解していても右脳が変化や改革をUncomfortと認識してしまうのは脳科学的にも仕方が無い事かもしれません。

しかし人類が遭遇する未曾有の情報過多の現代はきわめて不安定であり、変動の幅が大きく(volatility)、不確実(Uncertainly)で、複雑(Complexity)で、また曖昧(Ambiguity)です。ようは知らないうちに色々と変わってしまっている事も多く、今まで使えたルールや制度が突然使えなくなってしまう事さえもあります。変化はもはや必然で、現代の人には確かな適応力が必須となっています。

 

教員として試験問題も初めて作って見ました。

試験に受かる為の最低限度の勉強を効率良くすることが若い人にはカッコよく思われる風潮がありますが、本人にとってGoodではないのは明白です。言われた科目や内容だけを勉強しているのはあまりEpisode記憶化もされ難い為に定着せず、試験には受かりますが3ヶ月後には忘れてしまい、教育のアウトカムを自分の成長であると定義すると非常に効率が悪い事は明白です。(それは社会に出れば誰でも直ぐに分かります、言われた事しかしない・出来ないとどうなるか・・)。もちろん試験が大事である事は明白です、まただからといって今の日本の教育現場では、試験の点数以外に学生や受験者を評価する尺度とシステムの構築が極めて乏しい状態です。

 

例えばHarvard の大学院の入学試験は何よりも、受験者がどういう人間でどういう事をしてきて(業績などが有って)、リーダーシップをとるなどの苦労した経験があるかどうか?また出願者を良く知る信頼できる推薦状が必要であったりと、試験点数以外の尺度を超重視している事は有名です。リーダーシップを取った経験は、試験の点数よりも圧倒的に意味があります。言うこと聞かない仲間、反対意見を言ってゴネる同僚、なかなか主体的に動かない人などなど、それぞれ色々なDiversityを持った集団の中でOut putと結果を出すことから得た学びは実学として最強だと思います。だから欧米ではリーダーシップの経験の有無が入学試験や入社試験に圧倒的に重要視されています。

 

残念ながら、日本の【試験の点数】を重視した医学教育では、どこの大学を卒業したからといってあまり医師としての能力の差は変わりません(臨床医に限れば特にそうかもしれません)。純粋な筆記試験である医師国家試験の合格率を見たって大学のヒエラルキーや入学時の成績があまり強い意味を持た無い事は誰しも分かっております。

 

社会に出た、現場の人は良く分かっていると思うのですが、問題を見つけた時にそれを分析して、仮説や目標を立てて、周囲と協調して行動し、折れない心でやり遂げられるかどうか?

最近の言葉で言えば、それがグリットだったり、レジリアンスだったり、そういった人間としての実力を数値化して評価する方法が難しいからだと思います。自分の授業中に医学生達に伝えると皆さんドキッとされているのですが、暗記や知識だけのトレーニングではやがて高度な教育を受けたとされる人でさえAIやコンピューターに仕事を奪われ駆逐される事も予想されます、否、近い将来必ず起こるでしょう。

 

また教育をする側も厳しく評価されフィードバックを貰いながら学生と共に成長していく事もmustです。教育とは本来「無償の愛」的な要素が強いのですが、仮に愛が無かったとしても少なくとも聞き手のレベルを知り、聞き手の需要を知り、聞き手の記憶に定着し、聞き手の成長を促すような教育手法の検討と活用が必要です。その意味で、学生が寝てしまうような授業を行うのは教員・学生双方にとって効率が悪く、時間の浪費になりやすいです。これは間違いなく知的労働時間の浪費です。

 

 加えて、仮に授業を一生懸命聞いていたとしても期末試験に答えられないような教育方法であれば、そもそも教え方や試験内容に問題が無いかどうかやはりフィードバックを受ける必要があると思います。日本は約140年前のドイツから輸入した大講義制を中心とした医学教育システムを踏襲 1)し続ける以外に、どうすれば学生・教員の双方に取って有効な教育が提供できるかについてサイエンスに基づいて検討と実施をしていく転換期に入っていると感じております。学会などで論じるだけでは無く実際のアクションが必要な時であると思います。

 

 今回、ここ長崎に全国から集まった学生達は社会や大学において問題を認識できる非常に高い感性と行動力を持ち、自己成長を自分達でやりとげていけるようなSelection biasがかかった学生達だとは思います。地域医療だったり、医学教育だったり、実際の問題を、学生が自分たちの視点でそれぞれが補う形で勉強しあい、さらに自分達だけでなく周囲の人へ還元していく姿勢は本当に彼らは日本の宝であると思います。

出雲の地に来て、無限の可能性と希望に満ちた学生さんを見ていると、やはり教員として大学にきて良かったと感じています。

 

人生はいつもトレードオフの関係にあり、この半年は臨床現場の最前線からやや離れてさみしい気持ちもしていましたが、そういう若者をサポートする為に働く今の自分も新しい経験と学びの段階に入っているような気がしています。それを考慮されてか我がお師匠様は自分に厳しく接し、フィールドを与え、内観させてくれたのかと思います。また直属の上司のO先生があまりにもSystem1(感性・直観)とSystem2(分析的)のバランスがとれた方で、自分の強い点と弱い点をうまく利用しつつ勉強させていただいています。今のところ自由に活き活きとやりたいことができていて、全てにおいて大学関係者皆様に感謝です。

 

UPが滞っておりますが、大学病院・大学内の仕事に専念しており、夜は合間にHarvard ICRTの授業や他の仕事をしているためで(言い訳・・)、なんとかココだけは自分の為に頑張って続けたいと思います。今後ともおつきあい下さい。

 

※今回長崎まで行って参加して良かったです。色々な各大学の先生方とコネクションを持つことが出来て正の連鎖が生まれました。また強烈なSystem1同士が出会った時には大事な事は数分でプランと構想が完成する事が再認識されました。次は9月に一撃かまします。

 

1) 石原恵三, 北関東医学 36(3) 221-223, 1986