勢は澄明に聞かされたことを考えている。
血の中から沸く想いは己一人のものでありながら、己の勝手にはならぬ。
想いを追う事は、既に間違いである。
だが、苦しい。
初潮が全ての兆しだった。
―初潮のあと―
澄明も同じ事を言った。
勢は自分を知らせた一つの初潮のあとの出来事と
己に生じた想いを思い返していた。
勢はふすまに照らし出された鬼の影をじっと見詰ていた。
勢は . . . 本文を読む
主膳が野点の趣向を思いついたのも、
一つには勢の歳の端のせいもあった。
そろそろ、嫁にださねばならぬかとも思う。
まだ、早くもあるがかなえとであった日の事をかんがえている。
自分がそうだったように政略的な婚姻を勢に強いたくはない。
若き日の己のように勢に焦がれる男が現れる気がしてならなかった。
心のどこかで勢を恋いうる男に自分を捜そうとしたのかもしれない。
かなえと自分の恋がくりかえ . . . 本文を読む
ひどく・・苦しい。
勢を想うと体中の血が騒ぐ。
体内の血は急に加速し巡り巡って熱気をこもらせてゆく。
勢。
その名を呼んでみても、狂おしさが増すばかりだった。
熱気は抜け道を探すかのように一点に集中し始めてゆく。
一点は切なく張り詰めてゆく。
―これが・・・これが、ほたえか?―
勢にそれをぶつけることなぞ赦される事ではない。
悪童丸は一度は躊躇った手で、ほたえが張り詰めさせた物を . . . 本文を読む
緋毛氈が土に柔らかい。
野点の席に現れた三条は彼の父に同道され主膳に頭を下げた。
幾人かの要人を呼んだのは、勢のためだけではない。
婿選びだと知っておれば、
他の御仁も年頃の会う子息を主膳の元に使わせていただろう。
主膳とて、娘を売るような気はない。
邂逅というものは、偶然が作る。
ただ、偶然を生じさす機会をおおくつくる。
天の時、地の時、人の時があろう。
あの日あのとき。主膳が . . . 本文を読む
―苦しい―
この身にまとう鬼の血がさわぐ。
鬼が・・・恋しい。
鬼が・・・ほしい。
悪漢のごとく勢を押さえつけその激しさで
この鬼恋しい想いをみせつけられたい。
勢は鬼なのだ。
人であろうとすればするほど、一層鬼が恋しい。
当り前かもしれない。
己の基底が鬼でもある。
鬼をゆるすまいとする事は己自身を否定することである。
たわめられた思いは一層元にもどろうとする。
けれど・ . . . 本文を読む
「結実じゃの」
悪童丸の師。薊撫の呟きである。
無論、これも鬼である。
悪童丸に法を教えて早五年。
弟子の飲み込みの速さと
その速さを支える必死さを愛した。
最後に教えた縁者の印は、己の身を護るためのまさかの時のものである。
伽羅から童だった悪童丸に法を伝えよと頼まれた時。
薊撫は笑って断る気でいた。
ところが如月童子の孫に当るといわれた。
つまり、光来童子の子であるといわれた . . . 本文を読む
行が明けた。
告げられた悪童丸がめをしばたたかせた。
「もう?」
「うむ。わしにおしえられることはもうない」
使徒になってはや五年。
悪童丸も十七になる。
ここに着たときに比べ背も伸びた。
声も変わった。
胸板も厚くなった。
なによりも勢が触った角も若人らしく伸びた。
童だった面影が消え、時に憂いを見せる顔が一層おとなびている。
「わしが教えられる事はなくなったが・・」
薊 . . . 本文を読む
「ひさしぶりに」
勢の元に現れた精悍な若人が悪童丸であると判るまで、
勢の瞳は確かめるように鬼を見詰め続けていた。
青磁の瞳。
柔らかな薄茶色い髪。
そして、何よりも
「勢・・わしじゃろうが?悪童丸じゃが」
自分の名前を呼ばわった。
「あ・・」
言葉もうせはてる勢に
「まだ・・・嫁にいかなんだかや?」
笑うている。
「あ・・悪・・・」
つぶらな瞳から落ちるものは再会の喜び . . . 本文を読む
父。光来童子が愛した女性。
悪童丸が童子を思う気持ちがかなえへの追慕をうませた。
かなえを一目見たかった。
母を一目見たかった。
父の愛した女性を一目見たかった。
自分の生まれた証を見たかった。
だが、解るはずが無い。
どんなにいとしいものか。
解りえるはずが無い。
どんなに愛したか解るはずがない。
愛しながら会わない。
会わないとわかれる女性と何故結ばれずにおけなかったか。 . . . 本文を読む
鬼の陵辱から護るはずの己が勢をだいた。
悪童丸は勢にあう前に無事に行を納めた事を伝えるべき人、
伽羅に会いがたくなっていた。
当然。
伽羅も悪童丸を育てたものの直感であろう。
そろそろ、悪童丸が帰ってくるのではないかという予感を
むねにいだいていた。
が、あらわれない。
ちごうたか?
おもうが、胸に潜んだ感が外れてない気がしてしかたが無い。
やれ、とうてみるか。
薊撫のもとを . . . 本文を読む
「わしもおくればせに悪童丸をよみすかしてみたのじゃがの」
口ごもるように低い呟きになる薊撫がいぶかしい。
「なんじゃという?」
何がみえたというか?
邪鬼丸のような非業というのではあるまいの?
「陰陽師がうかぶのじゃ」
「陰陽師?」
邪鬼丸の死体を持ち帰ろうとした時の事が鮮やかによみがえる。
邪鬼丸の身体を括った縄は刃物も通らなかった。
結び目を解こうとした時、はっきりと判った。 . . . 本文を読む
―童子。光来童子。おまえを救いも出来ず、
悪童丸も救えず・・・伽羅はなくしかないか―
長浜城の堀囲いの屋根の上に、
東雲(しののめ)時から伽羅がとまっている。
烏かなにかのようにつくねんと屋根のうえにいるのだから
正にとまっているとしか言いようがない。
伽羅が待っているのはいわずと知れた悪童丸がことである。
白々と夜が明け始め、陽光は雲の隙間を探り、
山の端から黄金 . . . 本文を読む
悪童丸は百歩も千歩も主膳にゆずっている。
そのためだけに、勢を他の男の手の上に出さねばならない。
それでも、勢が悪童丸を求むるなら、何もゆずらぬ。
そのためへの布石でもあった。
三条のもとへとつぐ。
そこで幸せに暮らせるならそれでもいい。
だから、三条の姿を映した。
もう一つある。
それでも、悪童丸への心が本意であるなら、
三条に抱かれるは勢もつらい。
馴らすというと語弊がある . . . 本文を読む
ばさりと伽羅の前に落とされた指指をみつめた。
「な?」
血だらけの口元はしゃかれた舌のせいだ。
「陰陽師か?澄明か?」
悪童丸がうなづく。
「どうすればよい」
切り離された指をつなぐ術があるのは知っている。
だが、斜にさかれた悪童丸の舌では韻も唱えられない。
「お・・おお・・う」
とにかく指をもとの場所につけて押さえろというようだった。
念誦を与えて元の形にもどそうというらしい . . . 本文を読む
舌が癒え、指を治しきる頃に式神が現れた。
『自然薯をほる。てつなえ』と。
示された場所に陰陽師がまっていた。
「よう・・辛抱してくれた」
陰陽師が悪童丸にかけた最初の言葉だった。
「おまえは?」
何を考え、われらをどうしようとしている?
「あしきにせぬというたであろう」
ちらりと自然薯の葉をみつめる。
「なくなる陽根のかわりがいるのでな」
つまり・・。
「かえしてくれるという . . . 本文を読む