憂生’s/白蛇

あれやこれやと・・・

―鬼の子(おんのこ)― 16 白蛇抄第14話

2022-09-06 07:05:09 | ―おんの子(鬼の子)―  白蛇抄第14話

勢は澄明に聞かされたことを考えている。

血の中から沸く想いは己一人のものでありながら、己の勝手にはならぬ。

想いを追う事は、既に間違いである。

だが、苦しい。

初潮が全ての兆しだった。

―初潮のあと―

澄明も同じ事を言った。

勢は自分を知らせた一つの初潮のあとの出来事と

己に生じた想いを思い返していた。

 

勢はふすまに照らし出された鬼の影をじっと見詰ていた。

勢はそっと、後ろを振り向いた。

誰もいない。

すると、この影は?

蝋燭の明かりに照らし出されふすまに揺らめく影は

己自身の影と言う事になる。

もう一度勢は辺りをゆくりとみまわした。

間違いない。

―そうなのか?―

―そうなのだ―

己こそ鬼なのである。

今しがた、映った影を勢は恐れはしなかった。

いや。それよりも、確かに心に流れ込んだ慕情を勢ははっきりと見詰た。

悪童丸でない事はわかっていた。

が、その鬼の影に勢の心が動いた。

恐れではない。

狂おしい欲情というほうがよい。

その影の主に抱かれたいと言う思いが、確かに勢を振り向かせた。

そして、その勢の行動が、己こそが鬼であるということに

目を見開かせる事になる。

―ゆえに抱かれたいとおもうたかや―

己の中に巣食う、心の顛末を垣間見た途端に

勢は鬼への慕情と言う心のわけも一挙に知る事になった。

そして、何もかもが紐解け始めた。

勢は鬼の子である。

母、かなえは小研ぎの小束を悪童丸に渡してくれと言い残して、

楼上から身を投げた。

つまり・・・・。

悪童丸の父親こそが勢の父親ではないか?

 

悪童丸とは姉弟あるいは兄妹である。

そうなる。

同じ日に生まれた、同じ歳の子。

双生である。

「同じ日に同じ母から生まれながら、姿かたちが違うだけで・・」

悪童丸をすてたのは、鬼でない。

人。

考えられるは・・・海老名。

互いが違えば、すつられたは勢である。

二つ違えば、勢も悪童丸もすつられていた。

何もかも読めた。

霞がかかったように見えなかった母の死のわけもみえた。

母かなえは悪童丸に会った後に楼上から飛んでいる。

「あなたこそ、悪童丸にあうまで、勢の事もおんの子としらなかった」

そのかなえの真意はどこにある?

小研ぎ。

あれはおそらく、光来童子のものだ。

その小研ぎを母が息子である悪童丸に、鬼である悪童丸にわたす。

かなえの心は光来童子のものでしかない。

そういっている。

そういいたかったに違いない。

勢の父親が鬼なら、主膳は勢の父親ではない。

だが、この世に弟がいた事を、

勢がおんの子である事を素直に受け止めたのと同じに

やはり、主膳は父親でしかない。

血だけが情をはぐくむものでない。

たとえ、赤の他人とわかってみても、

依然として主膳は勢の父親でしかなかった。

これはどういうことか。

血のつながりがなくても親子の情はある。

ならば、

血のつながりがあっても恋情を育つ。

表面に現れていることの裏側の仮定が

現実になるのはもう少し先の事になる。

 

人として生きよう。

こう考えれば考えるほど埋められる鬼の血は腹のそこで唸る。

唸る声を宥めながら人としての生き様を模索し、

勢は澄明に言われた運命の人を見てみようと決めた。

三条と共に生きる。

人としての人生を送る事を三条こそが選び掴ませてくれるかもしれない。

勢を人として生きる事に執着させるに足る方である事を祈りながら

春の茶会の日を待った。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿