車が動き始めるまもなしに
私はぐらりとした幻惑の中に落ちたと判る。
そして、異様な眠気に
目を閉じれば 極彩色の陽光が瞼の中で踊り狂う。
ーもしかすると・・・これがいけない?
例えば、車の外の景色を楽しむとかしたいのが
主の思いだとしたら?ー
今の私の状態では
憑依されているーだけ。
主がドライブを楽しみたいと思っていたのなら
これでは、いつまでたっても、主の思いは叶わない。
ぐらぐらに、負けまいと目をあけて
しっかり、外を眺め始めたとき
私のぐらぐらした揺れはなりをひそめた。
私がドライブを楽しめば、それで良いんだ。
と、糸口をつかんだ気がしていた。
ところが・・・
山道のせいだろう。
カーブの多さに、夫の運転テクニック
かなりのスピードで右に左に重心がずれていく。
なんだか・・・気持ちが悪い。
それは、憑依によるものでなく
車酔いに違いなかった。
これじゃあ、ドライブを楽しめない。
それにもまして、気分が悪くなる。
ーねえ。もう少しゆっくり運転してもらえない?ー
いささか切り口上になっていたせいもあって
夫は私の状態に察しがついた。
ー酔った?じゃあ、運転替わる?ー
ーいやいや、まだ、普通の道でさえ運転したことのない車を
こんな山道で運転する自信なんかない。ー
仕方が無いと、夫はかなりスピードを落とし運転し始めた。
多少、気分が落ち着いてくると
まわりを見渡せる余裕が出てきた。
ところが、何故か、今度は
運転自体が、怖くて仕方なくなってきた。
なぜだろう?
運転していたら、怖くない。
夫の言うように、車酔いもしない。
ーねえ、今、あなたの運転が怖くてしかたないんだよねー
ゆっくり走ってくれてるのに・・なぜ?
夫は、苦笑していた様に思う。
ーそれは、車がどこに向かって行こうとしているか
見てないからだよー
運転手は車が進む方向にいつも目を向けている。
ところが、助手席の私は
あっちを見たりこっちを見たりしていた。
車がどう進むのか
どの方向に曲がるのか
を、先に気取って、体幹と重心の調整なんかしないのだから
そのうち、車に酔いだす。
そうなのかと、
運転手目線でのドライブをしてみた。
白い車線が曲がっていくから
同じように車も曲がっていく。
逆に、白い車線をみていれば
車がどう動いていくか判る。
車線が右に曲がってる。
右にハンドルを切ってゆくイメージをもつ。
今度は左。カーブが深そう・・・
隣の席で同じように疑似運転してみたら
怖いも気分悪いも吹っ飛んでしまった。
夫の言葉は、名医の如く。
ーどこに行こうとしているか
しっかりつかんでないから、怖くなるんだー
しっかり、行き先をみようとしていないから
怖くなる。
その行き先を示すものを見ようとしてなかった私だ。
助手席のドライブの仕方に
二手あるのだと思った。
景色を楽しむドライブ。
ドライバーと同じ思いで疑似運転するドライブ。
あれ?これかな、と思った。
血だまりの主は
運転手と同じ思いで
おそらく 最愛の息子さんの運転に
同じように沿った目線で
二人、同じ思いでドライブしていたんだろう。
その楽しかった思いを
もう1度味わいたい。
そういうことだったのかもしれない。
それが正解だったと判ったのは
その日の深夜だった。
夢うつつの中で
私は男の人の声を聞いた。
ーもう思い残すことは無いー
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