日記を書くということは、
自分の整理であるところが大きい。
書くことで、はっきり、自分を意識できるところもある。
つい、つい、こういうことをかいたら、
みっともないなとか
あほじゃとおもわれるだろうとか、
間違いをかいとるかもしれんとか
おもうわけですが、
ここは、あえて、かいてみる。
すると、考えていたことが、
ぱっと、頭からとりはらわれたり、
逆に頭で認識していることがはっきりしたり
裏側の思いにきがついたり
思いか考えかもわからなかったところが
あとから、よみなおすと
はっきりみえてきたり。
まあ、そんなんで、
こいつ、あほやろとおもわれることもかく。
最近、不思議だと思ったこと。
僕らはもう1人じゃない
と、いう歌のフレーズ。
実は憂生はこの歌を歌ってる人の
ドラゴン・ナイトだったかな、
この曲が好きで
ついでに歌詞をしらべたんだけど・・・
そのフレーズの中で
僕らは友達みたいに踊る・・・
と、言うところと同じなんだろうとおもうけど・・・。
僕らはもう1人じゃない
この歌詞は矛盾がある。
僕(ら)なのだからすでにひとりじゃない
で、あるのに、
なぜ、そう歌うか。
隠されている歌詞があるということになる。
僕は一人だと思っていた、僕らはもう一人じゃない。
裏返すと
みんな、もう一人じゃないとわかっている。
すると、僕らは友達みたいに踊る
本当は友達じゃないんだけど、同じ思いで踊るから、友達みたいだ。
と、いうことだろう。
言葉の後ろにあるものが、なにかを
よみとっていくくせというか、そんなものがあって
そこから、おもうのは
歌い手は孤独を大事にしていた人だろうと思う。
時に孤独にうちのめされたこともあったろう。
でも、その孤独があったからこそ
僕らという意識もうまれ
同じ思いをもつということができるとわかったとおもえる。
マイナスにみえるものが、
逆にプラスをそだてることもあれば
プラスにみえることが
逆にマイナスをそだてることもありえる。
人生、ひとつとして、無駄なことはないという。
自分のプラス、自分のマイナスをしっていくことも
だいじなことなのだろう。
良いとか、悪いとか、関係なく
自分のくせをしっておくこと・・・・。
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