鉄は熱いうちに打て と、いうけれど・・・
物語を書いている最中だけに当てはまる言葉である。
自分の作品の粗は、すぐには、見えない。
鉄は熱いうちに打て と、いうけれど・・・
いつまでも、熱い状態であるせいだ。
鉄が熱い状態というのは、
たしかに、打って変形させることが出来るほど
柔らかい。
だが、この柔らかいということを
考え直せば
鉄の粒子?が、べちゃべちゃと 餅のように
絡み合っているーと、とれる。
絡み合ってる粒子とはなんぞや。
それは、
自分の頭の中
と
書いた作品
が、絡み合っている状態を指す。
どういうことか?
自分の作品を読み直したとき、
自分の頭の中
と
書いた作品
が、絡み合っている。
文章単独で読み直すのではない。
文章を読みながら
本来、書かねばならないことを
書いていなくても
自分の頭の中身が 補充・補佐をしてしまう。
花が咲いた。
と、しか、文章にはかいてなくても
頭の中では
赤い花が咲いている と、している。
そこで、文章を読んで
勝手に 頭の中で 補充する。
文章は
「花が咲いている」
なのだが、
補充する目で読むと
「赤い花が咲いている」
と、読んでしまう。
これが、「絡み合っている」状態。
すると、
頭の中に「赤い花」が在る状態。
ー熱い状態-絡み合ってる状態-ー
この時に、いくら読んでも、
「赤い花」を、文章に入れてない事に気が付かない。
自分の作品の 「粗」が、見えにくい
ホットな状態が長く続く。
そして、どういうわけか。
自分、何をかいていたっけ?
と、読み直さなければならないほど
「忘れる」ことがない。
(細かいところやどういう文章表現だったかは
おぼろげになるが 大筋がいつまでも残っている)
自分の作品の粗が見える様に成るということは
ある意味 文章技術などが、成長している、と、言うことだろうと思う。
ところが、いつまでも ホットな状態だから
ある意味 冷めた目(客観視)で
自分の文章を読めない。
だが、最近 ちょっとだけ
温度が冷めていると感じる。
ところどころ、
粗や不足点に気が付く。
が、気が付いたところで、
続きを読むと
それなりにカバーしている。
そのカバーがたどたどしい。
あ、これではいけない。と、カバーだけしている訳だから
当然だろう。
最初の時点で、含ませて、書いていれば
カバーする 書き方はない。
推敲が苦手なのは、
妙な記憶力が働いて
粗がつかめない のだと思う。
一発書きの盲点と
脳内でいつまでも 活性化している のと
この二つがネックになっているということに
やっと、気が付いたところである。
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