憂生’s/白蛇

あれやこれやと・・・

笑う女・・・3

2022-08-19 20:59:02 | 笑う女

此処に来たときに
所長は俺達に介護精神の基本を
ひとつ、訓示してくれていた。

それは、米国に渡ったある女子介護員の
話からだった。

恵美子の父親のように
専属で介護員をやとうということは、
よくあることで、
ベビーシッターなども、
その顕著な例である。
仕事をこなしてゆく人間の家庭内事情を
労働により、
補佐、援助し、賃金を得る。
こういう仕組みがうまく出来上がっているから、
渡米した女子介護員もまもなく、仕事にありつくことができた。

ところが、
前任の介護員は、非介護者に対し、
とおりいっぺんの介護しかしていなかった。
食事をたべさせ、
排泄物を世話し、
ただ、傍にいるだけの存在でしかなかったといっていい。

女子職員は、非介護者にたいし、わずかでもの自立を
促しもせず、
ただ、身体の介護だけをしてきた現状に憤怒を覚えた。

女子職員が行ったことは
自分で排尿するというしつけだった。

尿意さえ意識できぬ少年に
尿意を自覚させる。
これができれば、少年のパッドの中に
尿をたれながすだけという悲惨な状態を改善できる。

女子職員は小さなスポイトを用意し
トイレの前に少年を連れて行くと、
少年の眼の前で
スポイトにすった水をトイレにおとしてゆく。
こんなことを毎日、毎日くりかえしたという。

女子職員を雇った少年の両親も
彼女の行動を
奇異なものとしか、みていなかったのである。

ところが、半年。
トイレの前で、少年のズボンをずりさげては、
スポイトからしずくを落としていた
彼女が少年の尿器から、
ぽたりぽたりと、尿が落ちてくるのを
見ることになるのである。

「どんな、些細な事でも改善される可能性がないと、
諦めた介護は介護になりえない」

此処に来た、初日の所長の言葉が
恵美子の父親の悲しい思いに
握りつぶされてゆくようである。

だからこそ、
残念であったが、
俺達は恵美子の女性らしさという可能性だけでなく、
別の精神面からの充足も出来るはずだと、かんがえたし、

父親に、すてられ、
諦められた
恵美子を
俺達こそがあきらめてはいけないと、
このときは、強く思ったものだった。


俺たちが笑子の担当になったのにも、
いくつかの複雑な要因があった。

この施設に預けられっぱなしの非介護者は、
何人かいる。
夕食をケアすると、さすがに夜勤の介護員は2名~3名になるが、
職員の休日は交代制でとるしかない。
つまり、世話を出来る人員が最低ふたりは必要になってくるということである。
主介護者には、副介護者が補佐や休日交代につく。
つまり、副介護員は複数の非介護員の担当をかねてもいる。

主担当は、江崎になり、
彼は笑子を主体に介護することになり、
俺と徳山は副介護員として、補佐に当たる一方で
他の非介護者の世話をしてゆくことになったのである。

笑子が女性職員を排除する方向でなければ、
休日の交代人員や宿直の交代介護員も一人でたりるところであるが、
ランダムに女性を使うことが出来ないとなると、
宿直のあけの休日と担当者のひとりの休日が重なると、
笑子の直担当がいなくなるということになる。
こういう理由で特別に担当が3人になった。



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