「よ・・よめにゆくのか?」
晃鞍は余呉から帰ってきた理周に尋ねた。
「どうすれば・・・」
正しくは嫁に行くのではない。
昨日の夜にひとつとて、
やぶさかな想いを滲ませなかった薬師丸を考えてみても、
薬師丸からの申し出を艘謁から聞かされたときには、
狐につままれた気分だった。
「き・・・きのうは」
理周はその薬師丸と一緒だった。
判っていることであるが、改めて問い直さずに置けない晃鞍である。
「そう・・なのです」
昨日の薬師丸を見ている限り、こんな申し出が
既に成されていた事さえ微塵だに感じさせなかった。
ゆえに一層不可解なのである。
「すると・・・?」
もう既に約束はかわされたものなのか?
その身体で証をたてたことなのか?
晃鞍には理周の惑いが見えない。
嫉妬が目を狂わせ、狭い疑心だけにとらわれている。
同じ頃同じ事にもがく男がほかにいることさえ晃鞍は及びつかない。
「いくのか?もう、きめたことなのか?」
薬師丸が理周をもうもぎとったのか?
薬師丸の手におつることをえらぶのか?
枝を離れた果実は落ちるしかない。
この晃鞍の手でなく、薬師丸・・・。
もがく心は何にもがいているのかさえおぼろにする。
理周の女をもがれた事をもがくのか?
薬師丸の手に落ちる事をもがくのか?
「私は・・・」
男など、うとましい。
ましてや疎ましい生き物でしかない男に恋を知らされる事もない。
「ただ・・」
いつまでもこのまま、ここにいてはいけない。
いつか、どこかで、自分を変える風が吹く。
それが、今なのかもしれない。
風に身をまかせるか?
成ってゆくこと、そのままに身をまかせ、
風に身を投じ、ふきながされてゆく。
これが自分の運命。
そう、きめてしまっていいのか?
翼のある鳥は風を自由にあやつる。
翼をたたむか?
繋がれた鳥は風切り羽があっても、もう、二度と飛べはしない。
「ただ?」
「いつまでも、このままではいられない。それだけはわかっています」
「このまま?」
「艘謁は私を本当の娘のようにおもってくれております。
晃鞍は兄のよう。孤児(みなしご)の私をここにすまわせてくれて・・」
晃鞍の耳はもう、理周の言葉をきいていなかった。
「わしは・・理周には・・兄か?兄でしかないか?」
理周をもぎとられることより、
薬師丸の手に落ちることより、
鋭い痛みをあたえて理周のたった一言が晃鞍の胸を断ち割った。
理周は耐えた。
晃鞍の手は理周の女を求め
優しい兄は今、理周に屈服を要求していた。
流れ落ちる破瓜の印が晃鞍を安堵させていた。
「わしのものだ」
晃鞍は何度もそういった。
「理周。妻(さい)になれ。わしの妻になれ」
違う。このままではいけない。
どんなに望まれても晃鞍は理周には兄でしかない。
首を振る理周を羽交い絞めにして晃鞍は理周を頷かせる事に必死だった。
「理周。これは・・どういうことだ?」
理周をいためる動きを大きくして、
晃鞍にとって女でしかない事を理周に教える。
痛みは理周の臓腑をえぐる。
晃鞍を憎む気にはならない。
が、理周の心は晃鞍になびかない。
「理周は・・晃鞍の妹です」
「違う」
「晃鞍は理周の兄です」
「違う、違う」
兄なら妹にこんな痛みを与えてまで
自分のものにしようとは思いはしない。
「晃鞍・・・」
理周はこらえつくした。
悲しい習性(さが)が理周をこらえさせた。
ただ、成すがままにまかせ時が過ぎ行くのを待つ。
晃鞍の抑制が生じてくるのを待つしかなかった。
失った代償は大きい。
が、理周は晃鞍をまった。
「理周・・本意なのじゃ」
晃鞍の言葉は理周に届きはしない。
「ずっとまえから・・こうしたかった。理周とこうなりたかった」
理周の沈黙は晃鞍の心を受け入れたせいではない。
だが、抗う事を諦め、晃鞍の蠢きを受け止める女は
確かに晃鞍の物になったかのように思わせた。
男は本懐を遂げるまで、正気ではない。
いつの間にか理周は悟っていた。
流れ落ちる涙は兄をなくしたせいである。
なのに・・・。
「理周、わしがおまえを護ってやる」
悲しみを一人で堪える理周をしっている。
洗いざらした手拭いに落とした理周の涙が
十三の晃鞍の心に植えつけた罪である。
「泣くな・・わしが・・護ってやる」
悲しい刻を労わり抱えてやれなかった晃鞍の痛みが
言わせる言葉を確かに理周は兄の言葉と聴いた。
「理周・・本意じゃに」
本意になどなってほしゅうなかった。
ただ一人、理周の女を意識しない男だったはずの晃鞍も
己の恋情に負けた。
「理周・・いかぬの?なあ?いかぬよのお」
薬師丸の所にいけるわけがない。
晃鞍の心を知らされ、この有様を拭うて、いけるわけがない。
「どこにも・・いきませぬ」
晃鞍は、晃鞍のものになると聞き終えたのかもしれない。
晃鞍の元にも行かない。
どこの誰のものにもならない理周はたった独りだった。
ここを出てゆくしかない。
晃鞍の理周への恋情を受け止めきったあとは、ここを出るしかない。
それが理周の出した答えだった。
誰のものにもならない。
すなわち理周にはもう寄る辺がなかった。
『兄さん・・・兄さん』
理周は晃鞍のあって欲しかった姿を胸の中で何度も呼んだ。
妹として、最後に尽くせる事は晃鞍にあらがわないでおくことだけ。
晃鞍の思いの始末を最後まで受けとめるだけだった。
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