晃鞍が十三の歳であったろうと思う。
寺の門の前に行き倒れの女が仰臥した。
小さな手が門を叩き、
幾度と僧を呼ばわる幼い少女の声が響いた。
でてみれば、息絶え絶えの女がへたりこんでいる。
晃鞍は慌てて父親を呼びに堂に入った。
寸刻のちに、女は担ぎこまれた布団の中で息をひきとったのである。
母親の枕元に座る少女は泣き声も上げなかった。
身体の弱かった母親が、いつか逝く。
覚悟がついていた。
何度かこんな覚悟が現実になるかもしれない事をくぐりぬけて、
ここまできたのかもしれない。
その時がとうとうやってきた。
少女は事実を受け止めるだけしかなかった。
何ゆえたびをしていたのか、判らないが
弱い身体をおって、歩き続ける母親の姿は
少女の心の中に祈りを作らせたのかもしれない。
もう・・・。苦しむ姿をみないでいい。
かすかな安堵が少女のなかにある。
「綺麗な顔をなさっておる」
おもいのこすこともなかったのか。
身体をおそう苦しみから、解き放たれた仏の顔は
むしろ、あでやかに見えた。
少女の思いをさっした艘謁は母親が安らかに浄土に旅立ったとつげた。
「はい」
利発そうな大きな瞳が潤んだ。
「母人はほっとしておる。ひとつ、気になったは
おまえのことであるがの・・」
「・・・」
幼すぎる少女がことは心残りであろう。
「わしがみる。あとがことはわしにまかせよというてやったからの」
「はい」
女は、艘謁に心を託すと、みがるになった。
「あがっていきよろう」
「母さまは・・楽になられた・・のですね?」
「そうだよ」
こくりとうなづく少女の頬に、やっと涙が伝い落ち始めた。
透明な雫が次から次あふれかえり少女は声も上げず泣いた。
晃鞍はそっと手拭いを少女の手にのせてやった。
晃鞍は今も覚えてる。
少女は涙を拭うおうともせず、晃鞍の渡した手拭いを握り締めた。
落ちてくる涙が膝に置いた手の甲におちてゆく。
握り締めた手拭いの中に滴れ落ちる涙が手の甲から
次々と線をえがいていた。
震えるような指先に渾身の力が篭っていた。
少女は声を殺して泣いていたのだ。
少女の名は理周といった。
母親の弔いを済ませてやると、
寺の無縁仏の段組にそとばをおいてやった。
はじめ艘謁は、理周を黒壁町の妻に任せる気でいた。
ところが、理周がいやだというのである。
「ここにおいてください」
寺には母親が眠る墓がある。
むりのないことであろう。
歳を聞けば九つ。
もう直に十になるとこたえた。
が、幼くても女子は女子である。
年端が行けば、女になる。
どうするか、まようたが、女子のつややかさを匂わすまでには
幾分いとまがあろう。
今無理に悲しみにくれる少女を母親の側からひきはなすこともなかろう。
気が落ち着けば妻の元にいくといいだすやもしれぬし、
それより先に、どこかよい養子先や奉公先があるかもしれない。
少女の中の女を危惧するのも、いささか甲(かん)走りである。
こうして、理周はしばらくは母堂で、
艘謁や、晃鞍と寝食をともにしたのである。
喜んだのは晃鞍である。
一人っ子であった晃鞍は同門の徒という兄弟こそ指に余るほど居たが、
世に言う、姉や妹という、女兄弟はいない。
母親とも随分早いうちに居をべつにし、
女の持つ柔らかな物腰に餓えてもいた。
庇うてやらねば成らぬという、想いを沸かされるのも
そこはかとなくおもはゆい。
晃鞍は妹をえたのである。
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