彼女の家をでると、駅に向かう。
今度は元来た駅を三つとおりこす。
ひなびた街並の路地をぬけ喫茶店を目指す。
いつもの場所が此処。
此処で彼を待って、二人でコーヒーをのみおえると
国道まで車をはしらせ、ホテルが立ち並ぶ山際の道に曲がる。
この山際の道は大回りの国道の近道になるから、
けっこう、車が通る。
バックミラーで後ろを確認しながら、目指す場所に滑り込む。
昼の日中の情事は時間を限られるから、いっそう燃え立つ。
彼の助手席に乗り込み、いつも通りの確かめ合いと密かな場所への告白。
愛しているとはいりこんでくるものを
私もよと受け止め、一つのものになる融合の至福。
だけど、今日の彼はすこし様子が違っていた。
いつもなら、待ちきれない物を誇示するが如く身体をすりよせ、私もそうであることを確かめてくる。
部屋にはいると彼は形ばかりのソファに座った。
「どうしたの?」
求めてこない彼への不安を押さえつけ、尋ねてみる。
なにか、他にあるのかもしれない。
「う・・・ん」
もう一度どうしたのと尋ねて彼の傍に座る。
そっと左手を彼の太ももに置いて、彼を覗き込む。
いつもなら、それで、彼が堰を切る。
嫌なことも心配事もなにもかも私がうけとめる。
安心の密壷に戯れる密蜂は、馨しい華の香りに浸りこむ。
だけど・・・。
「あのさ・・俺・・さっき、家にいたんだよな」
「え?だって、車・・なかった」
つじつまの合わない答えがなにもかもをさらけだしていた。
「オフセット印刷の現場立会いで休みだったから、ぶったおれてたんだ。
車は圭子が別の場所に止めたんだ。俺の車があったら、おまえが言いたいこといえないだろうってかんがえたんじゃないかな?」
「待って・・・じゃあ、あのメールは?家の中から?」
「そういうこと・・」
「じゃあ、なにもかもきいていたってこと?」
「俺が家にかえってきたのは、9時すぎてた。一風呂あびて、めしをくって、すぐバタン、キューだったわけさ。圭子も俺が起きてくるとは、思ってなかったんだろう」
「それって・・」
メールは助け舟?彼女の目の前で会いたいってメールをいれるということは、
私を選ぶってはっきり彼女に宣告する・・ということになる。
「私・・ひどいことしてたのね・・。貴方の気持ちが・・どちらにあるかを圭子につきつけてしまったのね・・」
彼はちょっと困った顔をしていた。
女同士に醜い争いを演じさせてしまった元凶が他ならぬ自分だという、くすんだ悲しみにもみえた。
「いや・・そうじゃない。俺、本当はお前をぶんなぐりにいきそうになった」
あ・・?
「圭子がおまえのことを傷つけまいとしてる。俺はだから、こらえた」
な?なにを堪えた?私が傷つく・・・。
「圭子の口からいわせたくないし、圭子もそんなことを言う女じゃない」
「なにを言わせるっていうわけ?そんなことってなによ」
彼は胸ポケットから、紙袋をとりだした。
「俺の子供かどうかもわからないけど、お前がそうだというのなら、そうだろう。
俺の子なら、堕ろしてくれ」
どういう意味?それ、どういう意味?
「嘘よ。子供なんかできてない。だから、そんなものいらない」
だけど、彼は紙袋を私のひざにおいた。
「だったら、慰謝料・・手切れだと考えてくれたらいい」
「待って・・よ。いったい、何で、そんな風に・・急に・・」
「俺には急じゃない。俺は圭子がおまえとのこと、うすうす知ってるとおもってた。
知っていながら、一生懸命俺を好いてくれてた。
俺は、おまえに会うたび、だんだん、自分がむなしく思えてきてな。
お前も俺と同じ。一生懸命好いてくれるだんなをふみつけにする。
そんな女のために俺は圭子をふみつけにして、そんな俺のせいで、おまえがだんなをふみつけにする。
なんかな、このままじゃ、恐ろしい地獄におちていくようで・・俺は怖かったよ。
だけど、圭子はなにもかもわかってたのに、おまえのことを心配してた。
俺の心配はおまえじゃなくて、圭子にあったんだ。
圭子がなにもかも知ったら、どんなに悲しむか。
だから、微妙な関係のままを続けていくことで、お前と圭子の仲もこわしたくないと思っていた。
だけど、圭子はなにもかもわかっていた。判っていて、そして、お前と決別するって、そういうのなら、もう、俺はこんなことをする必要がない。
それでも、まだ、俺のどこかでおまえを追いかけていたけどな・・。
今日のおまえの一言でしっかり、踏ん切りがついた」
彼のいう事の半分も私には理解できない。
残りの理解したつもりの理解の、その半分以上が信じられない。
「私・・の・・ひ・と・・こ・・と?」
「俺がそれを聞いた時、おまえをなぐりにいきたくなった。だけど、圭子が言いたいこともいわず、じっと、こらえたことを思うと俺がとびこんで、お前をなぐったら、圭子が悲しむ」
「そ・ん・・なに貴方を怒らせるようなことを・・言っていた?」
「それは、おまえのせいじゃないんだけどな。だけど、俺がおまえをどう思ってるかはっきりわかった・・」
「いったい・・なにを言った・・?」
「俺はおまえのその言葉をくりかえしたくもない。
ただ、俺がその時、お前をどなりつけただろう言葉なら、いえる」
「言って・・そして、怒って、怒ってよ。怒って・・よ」
怒りさえぶつけることができなくなったら、もうおしまいなんだ。
怒って、怒って、怒りをぶつけきって、感情がなだらかになれば、彼は私を許す。
だが、彼はおそろしく冷ややかだった。
その冷ややかさがどこからわきあがるかを見知らされることになるなんて、
思ってもいなかった。
私を許した彼は再び私を求める。
そんな甘い計算なんか、成り立たないと知らされる。
「女房をなぶりものにする男なんか居やしない。
嬲られてる自分を喜んでる女が
俺の女房をこけにしているのに、
女房はなにもいわずにこらえてた。
俺にとって、おまえは、嬲り、捨て去ってもいい、つまらない女だ。
そのつまらない女にうつつをぬかす俺もつまらない男でしかなかったってことだよな。
もう、そんなことをあばきたてて、お互いのつまらなさぶりにみじめになるのも、
それをみないふりをするのも、やめようと思う。
俺はもう、お前に、みじめな自分をみせつけられたくない。
俺に必要なのは、圭子だけだ」
嘘だ。嘘に決まっている。
それを確かめて、彼にも、しっかり、ごまかしなんかできないって
はっきり、わからせなきゃ・・・
私は彼に身をよせていった・・
「おねがい・・最後に・・もういちどだけ・・抱いて・・」
なしくずしでもつれあえば、彼を満足させる女が私しかいないことに気がつく。
必死でこらえてるものが、堰をきっていく。
そして、ふたたび、追い求めるしかなくなる彼の切望が彼を牛耳っていく。
いつまでも続くメビウスリングの仲。
別れ話の一度や二度はある。
すでに一度はきれた二人がそうであったように、
再びめぐり合うまでの時の長さを縮めたいだけ。
甘やかな結びあいが、時を縮め、
わずか後に私は二度目の別れ話を無事にのりきったことを知る・・
けれど、
私の手をふりはらい、彼はソファをたちあがった。
「圭子には、わざとメールをいれたことは話してある。
それにもう、これ以上、君のために時間を裂く気はない。
もうひとつ。
身重の圭子を気使うこともできない君が妊娠しているわけがない。
そんなことさえ、黙ってこらえた圭子だ。
友人を夜叉のような心にかえてしまったことだけをわびていたよ。
悲しいほどいためつけられた自分のことなどなにもいわず
君をせめもせず、俺をせめもせず・・」
さよならの声がとおざかる。
おまえとよばなくなった彼、彼の心が先に遠ざかり
やがて、その姿もみえなくなり
この6年間の月日が金にかわってしまったと
紙袋が、ソファーの上で私を静かにあざ笑っていた。
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