「貴方がおっしゃっていたように、「基の傷」が、なんであるかは、催眠療法でひきだしてこないと本当のことは解からないのです。
ただ、私は往診にいった時に、瞳子さんの様子から、これは、虐待が弾きがねになってると感じたのです。
それは、私がこの20年精神科にかかわって、色んな事例をみてきた医者の勘でしかなかったのですが、
篠崎さんの顔をみて、通院の事実とか思い出して、いっそう「ありえること」だと、思えたのです。
うかつに治療すれば、瞳子さんが廃人になりかねない。
覚醒していく段階で、フラッシュバックや人格分裂や興奮で、瞳子さんが何をしゃべりだすか、わからない。
それにより、事実を知ったお母様がショックで気が狂ったり、自殺。
篠崎さんもどうなるか。瞳子さんをそのままの状態であの家においておくことも、いつ爆発するかわからない爆弾を置き去りにしておくのに似た不安にかられましたが、とにかく、刺激しないでおくしかなかったのです。
なにか手立てがないかさぐるため、まず、私は柚木先生に篠崎さんのかっての病状を尋ねることにしたのです」
私は一瞬の混乱の前に女医に教授の病名を尋ねていたことを思い出した。
本来なら患者のプライベートをしゃべるはずがない女医が答えるわけも無かったのに、女医は、教授の症状を話そうとしていた。
それは、やはり、私が虐待に気がつきながら、女医が心配するような激情や興奮やパニックにおちいることがないとわかって、
やっと、なにもかもを話しても大丈夫な私を確認したからだろう。
「篠崎さんは宮城の出身なのですが、父親を早いうちに亡くして、ずいぶん苦労なさって教授にまで昇格された型です。
ところが、今では考えられないことですが、まだまだ、片親だとか、田舎出身とかをネタにされて、
前任の教授グループから、何かといびられて、ずいぶん辛酸を舐めさせられていたのです。
そして、それが、大事な研究発表の頃と重なり、篠崎さんは孤立無援の状態に陥っていたそうです。
そこから、鬱病を発症していたのですが・・・。
柚木先生はその鬱病にアンダーチルドレン特有の怒りっぽさ、今でいう「キレル」ですよね。
それが現れてきていたというのです。
その怒りの時に柚木先生はもうひとつ別のことに気がついたと仰っていました。
アスペルガー症候群という、自閉症の一種をご存知でしょうか?」
「いえ?自閉症は聞いたことがありますが・・・」
「アスペルガー症候群というのは、知的障害を伴わないことが多く、
幼い頃に周りの人間との心理的、愛情接触の不足から、人の思いをうまく汲み取ることが出来ないこともあります」
教授が片親をなくし、母親が幼い教授をかなり小さな時に保育所に預けたと聞かされたことを私は思い出していた。
そのときに心理的、愛情接触の不足がおきたのだろう。
だが、教授が人の思いを汲み取ることが出来ないとは思えなかった。
「アスペルガー症候群の症例によると、ほとんど通常の成人とかわらない生活をおくれる上に、
自閉症の患者でものすごい数を記憶したり、特異な才能を持つ人がいますよね。
これと同じように、自分の興味のあること、熱意をもてることには、常人よりはるかにすばらしい功績を残すことが多いのです。
ですから、気をつけてみていないと秀でた人の裏に症状が隠れて見えなくなるのですが、
このアスペルガー症候群にありがちな症状は人の思いをくみとる能力が薄いということなのです。
通常の生活ではさほど、目立たない状態ですが、精神的に耐久力がなくなったときなど、
余裕が無くなって、人の思いをくみとりにくいという症状が裏目に出てしまうのです。
人の思いを汲み取らないということは逆を言えば、言われた言葉額面どおりに受け取ってしまうという状況につながります。
人の思いを汲み取ることが出来れば、たとえば、教授が「田舎者がふてぶてしい」と言われても、
たとえば「ははあ、この人は私をねたんでるな。自分の研究が思わしくなくて、私のことが癇に障るんだな」とか、
そんな風に人の思いを見つめることが出来るのですがアスペルガー症候群の場合、その言葉を額面どおりに受け取ってしまうのです。
そして、教授はアンダーチルドレンという症状ももっていて、
「ふてぶてしい。目障りだ」など、言われた言葉を額面どおりに受け取り、ふてぶてしい、目障りな自分に切れてしまうか。
鬱病のほうでうけとるともっとおちこんで、自殺までしかねないほど、自分を責めてしまうんです。
ですが、逆を言えば、責任感の強い人ですからそのおかげで、研究発表を成功させなくてはいけないと柚木先生の治療を受けにいったのだと思います」
「篠崎さんが通院していた頃、瞳子さんは、5.6歳ですよね?
篠崎さんは、孤立無援の孤独な状態で、そこに、瞳子さんが父親をしたってくるわけです。
鬱病になるほどの外因性ストレスが嵩じて来ると、物事の判断が鈍ってくる。
この状態で、瞳子さんの感情が娘としてのものか、女性のものか、解からなくなって混乱してくるのです。
そのうえ、自分の存在価値が希薄になってますから、瞳子さんの好意が篠崎の唯一の心のよりどころになってしまって・・・。
篠崎さんの思いはけして、虐待なんかじゃなかったのでしょう。
どこにも、逃げ場がなく、慕ってくる瞳子さんにすがってしまった・・・こういうことじゃないのかと思うんですよ。
いいかえれば、瞳子さんの「御父さん大好き」が、アスペルガー症候群にも披瀝してしまったんだと思います。
そのまま、言葉どおり受け止めて、瞳子さんを恋人かなにかのように勘違い・・
いえ、むしろ、娘として認識する、あって当たり前のはずの判断力が欠損していたか、ゆがんでしまっていたのでしょう」
私は女医の推量を黙って聞いていたが、今の瞳子がみせているのと同じ、判断力の低下、人を認識できなくなっている部分が酷く気になった。
「精神病は遺伝するものなのですか?」
食中毒で腹をこわしたという話はよく聞くが、同じものを同じ量食べても、
体力の違いとか、抵抗力の違いなのか、酷い症状を引き起こす人もいれば、けろりとしている人もいる。
それと同じように、たとえば、瞳子と同じような目にあっていながら、外因性ショックだけで、乗り越えてしまう人もいれば、廃人になるほどの症状を露呈する場合もあろう。
結局、瞳子があそこまで狂ってしまったのも、
一つには遺伝による精神体質があったからなのかもしれないと、私は教授を責めたくなる気持ちを抑えるために、
病気になってしまったんだからしょうがない。
親が盲腸になった人はやはり子供も盲腸になりやすい。と、自分の怒りの矛先に鞘をはめたかった。
「いえ。精神病自体は遺伝しません。
ただ、精神病になりやすい環境たとえば、、物事の受け止め方考え方というのはやはり、親子の場合よく似てきますよね。
だから、同じような症状を見せてくることはありえます」
と、いうことは、当時の教授は今の瞳子とよく似た症状だった可能性も大きいということになる。
瞳子の認識異常・・・を考えると、当時の教授が瞳子に対しての認識に異常をきたしていたのは、
ああいう状態なのかもしれないとおぼろげに理解が出来た。
私はまだ、確定したわけでない教授の虐待ではあるが、それを、どうにか、許すために、教授の症状への理解を欲しがっている。
教授が異常性欲者でしかないのなら、あまりにも瞳子が哀れすぎる。
悲惨な状況下の精神の弱さを攻められはしない。
伝染病が流行って体力が無いものが罹患したといって、どこの誰が、罹患した人間を責められるだろうか?
ましてや、教授はかなり、追い詰められた状態だったのだから、へたをしたら、教授は発作的に自殺したかもしれない。
そう、考えれば、瞳子が父親を救ったのだ。
父親を死の淵から引き離した瞳子はほめられこそすれ、何故、レイプされ、そのうえ、気が狂うような、そんな目にあわなきゃならない?
幸せになる権利を人並み以上にもっている、瞳子をなんで、そんな目に合わさなきゃならない。
私は神をものろいたくなる自分を抑えた。
のろったら・・のろったら、穴二つ。神を呪うは、それは、また、教授を呪うのと同意だ。
人をのろうようなそんな恐ろしい思いに負けたら、私は人で無くなる。
人でないものが、人など救い出せはしない。
なにもかも許し、受け止めてみせる。
それができて、初めて私が瞳子を救える。
瞳子にいえる。
許してやれ。受け止めろ。
出来るはずだ。私が出来るのだから。
私じゃなければ瞳子を救えないのだから。
許してやれ。受け止めきってしまえ。
私がまず、やらなきゃ、瞳子の倣いが成り立たなくなる。
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