憂生’s/白蛇

あれやこれやと・・・

竈の神・・16

2022-11-12 19:19:56 | 竈の神  白蛇抄第18話

三井寺の船場があるはずだと、探していると

人影が岸辺に立ち、白銅らに手をふっているように見える。

ようよう船が近づいていくと

人影の姿がはっきりしてきた。

ー大師だー

三井寺の大師自ら、供連れもつけず一人、岸に寄るとは、いかなることだろう。

そして、白銅たちを待っているようにも見える。

大師は、寄ってきた舟を

繋ぐ場所を指示すると

白銅と法祥に深く頭を下げた。

舟を繋ぎ終え、岸にあがると

大師は、改めて 二人に合掌した。

「大師とお見受けしますが、いかなることで」

此処まで、来られたかと白銅が尋ねた。

「なにほどの事でもないのですが

ほんの少し前から、鐘楼の鐘が唸りましてな

なんぞと問うてみれば

黒龍と青龍のゆかりのものが舟でやってくるというので

ここまで、きてみれば あなた方がこられた」

確かに黒龍の子孫 青龍の守の白銅である。

「おそらく、眷属である琵琶の白龍が

つたえきたとおもえます」

三井の晩鐘 琵琶湖につたわる伝説ではあるが

三井寺では、白龍のために今も鐘をついている。

「なるほどの」

とは言ってみるが、

これといった由縁がない。

「これから、どちらへいかれるか・・

もう、じきに日も暮れますに

今日は寺にて、休んで頂いて

少し、老爺の話をきいていただけませんか」

言われてみれば、もう夕刻を迎える。

都への峠越えも、夜道ではままならない。

野宿でもかまわぬが、

屋根があるに越したことは無い。

「ありがたく、拝聴いたします」

と、いうことで、

二人は、大師のあとにつきしたがい

三井寺にはいっていった。

湯を勧められ、ひと風呂あびると

夜着も用意されており

着替え終われば、食事をどうぞと小坊主にあないされる。

あないされた場所は、本殿の中であった。

そこに大師と本尊、弥勒菩薩がまっていた。

般若湯と、この宗派でも呼ぶかは定かでないが

「まずは、一献」と

大師が薦める。

本尊の前でかまわぬのだろうか?

と、迷いもするが

采も趣向をこらしてある。

もてなしの心をむげにするは、ばちあたりであろう。

「心映えになるようにと、おもいましてな」

大師はぽつぽつと喋り始めた。

「白龍がなにゆえ、伝えに来たかは

私は判りませんが、白龍なりに、今までの礼をこめたと思うております。

琵琶の湖の言い伝えどおりに、白龍が子を成したとしても

もうその子供は年老いて、すでに亡くなっておるでしょう。

ならば、もう子の無事を知らせる鐘をつく必要はないでしょう。

けれど、私どもはずううと代を継ぎ、鐘をならしております。

おそらく、目のみえぬ白龍は、自分を思うてくれる心根に

ずいぶんと心映えして生き越してきたのでしょう。

それを、何故か、わかりませんが、

あなた方に伝えておきたかった。

そういうことに思えて、お立ち寄り戴いたのです」

箸をすすめるようにと、二人を促し

大師の話は続いた。

「ずいぶん前に、都の阿弥陀池で心中がありましてな・・・

男の方は助かったのですが、行方知らず。

女子は、伊予という名前だったと思いますが

池に沈んだまま

どんなに手を尽くしても、亡骸どころか、

端切れひとつも見つからずにいたのです。

ところが、先日、上がってきたのです。

阿弥陀池は冷たい山水が湧き出ているせいでしょう。

亡骸は、死蝋になって、

生きていた時のそのままの姿だったそうです」

法祥の箸が止まるのを、みてとると

大師はこほんと咳払いをした。

「お食事中に、このような話は失礼でした」

詫びたものの、それで話が終わるわけではなかった。

「仏が浮かぶ というのは、

思いが晴れた、と、言うことだと思うのです。

なにか、重い思い、例えば気がかり・悔いなどをもっておられると

それが重しになり、浮かばれないのでしょう。

どこかの僧都が、ご両親に話をされたそうで

いつまでも、娘さんと一緒に心中した男を恨んでいては

娘さんも、浮かばれないのではないか

好いて一緒になりたかったその心を認めてやってはいかがか

もっと早くそうしてやれば

その男は、自分たちの子になっていたわけだ。

赦してやる・認めてやるということでいえば

それこそ、今その男を養子にでもむかえてやるくらいの気持ちになる。

そういうことではないか

それが、死んだ後でも、許されない。

生きていても、許されない。

娘さんの心の行き所はどこにもなく

重く辛い思いを抱かえたまま

池からあがってこれぬは、そういうわけだ。

わしの言葉が嘘だと思うなら、そのままで良いが

本当だと思うなら

池に行って、

お前の愛した男であれば、私らとっても大事な息子だと思う

と、さけんでみろ。

ただし、本心で思っていなければ、通じぬぞ

と、僧都が告げたそうだ。

ご両親はずいぶん 惑い悩まれて、

やっと、仏が浮かばれずにいるその苦しみを

どかしてやれぬでは、親ではない。と

気が付かれて

その男、わしらのこどもじゃあ。と

なんども叫んだということだ。

すると、三日もせぬうちにあがってきた。

なおさらに

娘が、その男に憎しみをむけてほしくないことも

親が 憎しみの心をもっていてほしくないことも

ように判って

その男しか、娘が添い遂げたかった相手はいない。と

思うように成って

男の幸せを願うようになった。

と、いうことだ」

滂沱の涙の法祥に気が付かぬふりをして

大師は、白銅に般若湯を勧めた。

「心映えというのは、 心の隅にある闇も照らして

闇がおられぬようにすることなのだろう と 思うが

なかなか、そこまでは・・・

これが 少しは 代わりになってくれれば」

と、大師も杯を煽った。

「いえいえ、十二分に 映えております」

僧都といったが、それは 大師自身の事であるのは間違いない。

そして、法祥が、心中の片割れだった生き残った行方知らずの男と

気が付いていて、法祥の心の隅にある闇を拭い去ってやろうとしたのは

間違いない。

そして、白銅もまた、気がかりという闇を照らされ、

その拭い去り方をしっかりと見極めていた。

「大師、お名前を頂戴できますか」

「覚仙 と いう」

「なるほど」

「あはは」

と、大師は笑ったが、白銅のなるほどを解しての照れ笑いだった。

覚仙 

人の山は深い、その深さに迷い惑う。

その惑い・迷いを覚ます。

あるいは、心映えと同じといっていいが

その迷い・惑いから覚ましてやりたいという思いかた

志が 心映えという考えを連れてくるのであろう。

だから、なるほど なのであるが

それも、大師は解する。

言葉すくなく、心、表にださず

言葉多く 込める思い深く

面白い老爺であると思った。

 

そして、此方の事はいっさい尋ねようとしない。

自分が照らせることだけを差し出す。

お天道様というより

お月さまの様だと思う。

ひっそりと夜闇を照らす。

ーこういうお方もいるー

 

食事も引けて

布団にもぐりこんだあとも

まだ

月が白銅を照らしていた。



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