もう小半刻たつだろうか。
法祥も白銅も言葉を交わす事なく
魯をこぐ音と水音だけが、
舟のうしろへ流れていた。
悟るとは、さあと取れる事を言う。
法祥は考えても考えても
さあ、と、取れるものを掴めずにいる。
考えるだけ、無駄と言っても良い。
「法祥、おまえは、なにを考えるか判っておらぬ。
わしが、いうたのは、 自分で ということを
考えろというたのじゃ」
転がりだした岩を止めていたのは、小さな木であったろう。
その小さな木に、気がつけば
木を取り除くだけで、岩は転がりだしていく。
ちょうど、そのように、
白銅の言葉が法祥の「木」を取り除いた。
「ああ!」
気が付いたことに、感嘆の声が上がる。
「確かに私は、自分で やろうとしていない。
犬神の事も、私にはできないと
端(はな)からやろうとせず、あなた方に投げた。
あげく、私も巻き込まれて、舟をこぐ羽目になったと考えたし
あなたが、漕ぐべきではないかと考えていた」
「そういうことだ。
それが因だ 」
誰かをあてにする。
誰かに寄りかかる。
誰かを頼る。
「犬神も 誰かに寄り付き、誰かに 憑りつき」
「そうだ。自分で なにかしない。
依存と言っていいかもしれない。
おまえの生き越し 思い越し すべて、
憑りつくような やり口だろう?
少なくとも 今日のおまえをみていると
そうとしか思えない」
うなだれる法祥ではある。が
「けれど、私にはどうにもしてやれない。
だから、あなた方を頼るしかなかった」
仕方が無かった。そんな力も術も法も理も
備えていない。ただの死にぞこないの糞坊主でしかない。
そうだ、自分で生計(たっき)をたてず
托鉢と称して、食い物を恵んでもらう。
まさに、人々に憑くだけ憑いている。
人の善意をあてにして生きてきた。
「どうにもしてやれない、というがの
澄明とて、どうにもしてやれないのは同じだ。
とうてい、解決できないことを解いてきた。
それは、陰陽師だからということではない。
覚えておけ。
人の誠に天が載る。
あれの誠に、どれだけの神が加勢したか。
どうにもしてやれないのではない。
どうにかしてやるーーその思いひとつだ」
「わ・・私は・・」
「言わぬで良い。言わぬで良いが
この先、生きた屍のような生きざまを変えねば」
法祥の底にある痛み。
伊予とともに入水し、伊予だけを死なせてしまった。
だが、それだけではない。
どうにかしてやる。と、いうその言葉は
伊予と二人で生き越す道を求め、探さなかった法祥を
打ちのめしていた。
伊予の死に、法祥はどうにもできなかったと
自分に言い聞かせ自分をなだめていた。
その宥めが、宥めでしかないことは
今の法祥が、自ら示していた。
自分はどうにもできないという宥めにすがり、
どうにかしてやる、という覇気から目を背けていた。
「それでは、成る物も、成らぬようになる」
法祥、静かに頷いた。
「ところでの、おまえは
なぜ、銀狼が、邪な神だというか、
わかっておるのか?」
「先にいわれたように、憑りついて・・・」
法祥の言葉を半分も聞かぬうちに
白銅は違うと首を振った。
「憑りつくと守護するの違いは判るか?」
「憑りつくは、憑りつく側の身勝手で
相手を利用している。
守護は、相手の為だけを考えて守っている」
「ふむ・・・おおかたは合っているがの
大きな違いは、相手の根源力を増やすか
減らすか 場合によっては
生きとおす力を与えるか
生命をうばうか
それくらい違いがある」
「確かに・・・犬神に憑かれたものは
最後には狂うとききます。
それほどに、生命力を削がれる・・・」
「それは・・・少し違う。
憑りつくというのは、
そもそも、憑りつく側の根源力が少ないから
そうなるのだ」
「根源力が多ければ、相手に
さらに、根源力・生気を与えられる
と、いうことですね?
それが、守護するということ・・・」
「悟りが早いのはよいことだがの。
わしが言うのは、なぜ犬神が邪であるかということだ」
「守護とは逆に、憑りつく側の根源力が少ないので
相手から、根源力や生気をうばってしまう・・
と、いうことで・・・」
白銅が法祥をじっと見ていた。
その目は、法祥が言うことは
ただの鸚鵡返しでしかないと諭していた。
「根源力や生気をうばうだけでは、狂いはせぬ」
「では、なぜ?」
白銅に導かれていると判りながら
問いをだす法祥になる。
「おまえ、坊主なら、一霊四魂は知っておるだろう」
法祥、答えに窮す。
「私は奥義を修得するまえに・・」
伊予の事で寺を出ていくことになった。
多少、言葉は知っているが
陰陽師のいう一霊四魂と考えが違うかもしれない。
「なるほどの」
なにか、知っている様で、知らぬから
悟るにうとい、と、いうわけか。
「一霊四魂は、霊であるのは、判っておると思うが
これは、自分の柱のようなものだ。
実体は握りこぶし位の大きさで、
臍下丹田に巣をつくっている。
そして、四魂。
神代の時から、荒魂、和魂、幸魂、奇魂 と
存在していると言われているが
ようは、ー気ーだ。
思いといってよいだろう。
そのー気ー思いーの在りように
載ってくるのが、「守護」だと考えてよい。
極端に言えば 悪い思いをもてば
悪い守護がつく。
よい思いを持てば
良い守護が付く。
ところが、憑りつくというのは
一霊に載ろうとする。
柱を我が物にしようとするのだ。
ところが、そうは簡単に載ることができない。
と、いうのも、一霊というのは、
天の分かれだからだ。
柱を我が物にしたいと載ろうとするとき」
そこで、白銅はすこし、どう言おうか考えた。
法祥に判りやすい例えを考えた。
「そうだな。
例えば、柱をわがものにする「悪さ」をする虫がおろう」
法祥もすぐ思い浮かぶ。
「生木なら天牛(かみきりむし)
柱になっていれば、白蟻や木喰い虫がいます」
「そういうことだ。
憑くというのには、一霊に穴をあけて貪る場合がある
柱である一霊をぼろぼろにされてしまったら
狂う。
家一つ考えてもわかろう?
柱がもたなくなれば、家の寸が狂いはじめる。
それと同じだ」
「そ・・それが憑くということで
犬神は、そのようなことをしていると?」
「それは、判らない。男をみてみないと
銀狼が一霊を蝕んでいるのか
そうでなく、たんに 四魂を病んでしまっているのか
判らない」
やっと、法祥は得心した。
「だから、男に逢いに行く ということだったのですね」
「そういうことだ」
魯を漕ぎ続けていた白銅の手がとまり
余力で舟は軽く進んでいた。
「もうじきだ。三井に上がって都にぬけよう」
眼を凝らすと、むこうの岸が見える。
一角に小さく三角にみえる屋根は三井寺であろう。
「あとは、私があないします」
法祥にできることは、喜んでてつなうことだと思った。
三井寺の船場があるはずだと、探していると
人影が岸辺に立ち、白銅らに手をふっているように見える。
ようよう船が近づいていくと
人影の姿がはっきりしてきた。
ー大師だー
三井寺の大師自ら、供連れもつけず一人、岸に寄るとは、いかなることだろう。
そして、白銅たちを待っているようにも見える。
大師は、寄ってきた舟を
繋ぐ場所を指示すると
白銅と法祥に深く頭を下げた。
舟を繋ぎ終え、岸にあがると
大師は、改めて 二人に合掌した。
「大師とお見受けしますが、いかなることで」
此処まで、来られたかと白銅が尋ねた。
「なにほどの事でもないのですが
ほんの少し前から、鐘楼の鐘が唸りましてな
なんぞと問うてみれば
黒龍と青龍のゆかりのものが舟でやってくるというので
ここまで、きてみれば あなた方がこられた」
確かに黒龍の子孫 青龍の守の白銅である。
「おそらく、眷属である琵琶の白龍が
つたえきたとおもえます」
三井の晩鐘 琵琶湖につたわる伝説ではあるが
三井寺では、白龍のために今も鐘をついている。
「なるほどの」
とは言ってみるが、
これといった由縁がない。
「これから、どちらへいかれるか・・
もう、じきに日も暮れますに
今日は寺にて、休んで頂いて
少し、老爺の話をきいていただけませんか」
言われてみれば、もう夕刻を迎える。
都への峠越えも、夜道ではままならない。
野宿でもかまわぬが、
屋根があるに越したことは無い。
「ありがたく、拝聴いたします」
と、いうことで、
二人は、大師のあとにつきしたがい
三井寺にはいっていった。
湯を勧められ、ひと風呂あびると
夜着も用意されており
着替え終われば、食事をどうぞと小坊主にあないされる。
あないされた場所は、本殿の中であった。
そこに大師と本尊、弥勒菩薩がまっていた。
般若湯と、この宗派でも呼ぶかは定かでないが
「まずは、一献」と
大師が薦める。
本尊の前でかまわぬのだろうか?
と、迷いもするが
采も趣向をこらしてある。
もてなしの心をむげにするは、ばちあたりであろう。
「心映えになるようにと、おもいましてな」
大師はぽつぽつと喋り始めた。
「白龍がなにゆえ、伝えに来たかは
私は判りませんが、白龍なりに、今までの礼をこめたと思うております。
琵琶の湖の言い伝えどおりに、白龍が子を成したとしても
もうその子供は年老いて、すでに亡くなっておるでしょう。
ならば、もう子の無事を知らせる鐘をつく必要はないでしょう。
けれど、私どもはずううと代を継ぎ、鐘をならしております。
おそらく、目のみえぬ白龍は、自分を思うてくれる心根に
ずいぶんと心映えして生き越してきたのでしょう。
それを、何故か、わかりませんが、
あなた方に伝えておきたかった。
そういうことに思えて、お立ち寄り戴いたのです」
箸をすすめるようにと、二人を促し
大師の話は続いた。
「ずいぶん前に、都の阿弥陀池で心中がありましてな・・・
男の方は助かったのですが、行方知らず。
女子は、伊予という名前だったと思いますが
池に沈んだまま
どんなに手を尽くしても、亡骸どころか、
端切れひとつも見つからずにいたのです。
ところが、先日、上がってきたのです。
阿弥陀池は冷たい山水が湧き出ているせいでしょう。
亡骸は、死蝋になって、
生きていた時のそのままの姿だったそうです」
法祥の箸が止まるのを、みてとると
大師はこほんと咳払いをした。
「お食事中に、このような話は失礼でした」
詫びたものの、それで話が終わるわけではなかった。
「仏が浮かぶ というのは、
思いが晴れた、と、言うことだと思うのです。
なにか、重い思い、例えば気がかり・悔いなどをもっておられると
それが重しになり、浮かばれないのでしょう。
どこかの僧都が、ご両親に話をされたそうで
いつまでも、娘さんと一緒に心中した男を恨んでいては
娘さんも、浮かばれないのではないか
好いて一緒になりたかったその心を認めてやってはいかがか
もっと早くそうしてやれば
その男は、自分たちの子になっていたわけだ。
赦してやる・認めてやるということでいえば
それこそ、今その男を養子にでもむかえてやるくらいの気持ちになる。
そういうことではないか
それが、死んだ後でも、許されない。
生きていても、許されない。
娘さんの心の行き所はどこにもなく
重く辛い思いを抱かえたまま
池からあがってこれぬは、そういうわけだ。
わしの言葉が嘘だと思うなら、そのままで良いが
本当だと思うなら
池に行って、
お前の愛した男であれば、私らとっても大事な息子だと思う
と、さけんでみろ。
ただし、本心で思っていなければ、通じぬぞ
と、僧都が告げたそうだ。
ご両親はずいぶん 惑い悩まれて、
やっと、仏が浮かばれずにいるその苦しみを
どかしてやれぬでは、親ではない。と
気が付かれて
その男、わしらのこどもじゃあ。と
なんども叫んだということだ。
すると、三日もせぬうちにあがってきた。
なおさらに
娘が、その男に憎しみをむけてほしくないことも
親が 憎しみの心をもっていてほしくないことも
ように判って
その男しか、娘が添い遂げたかった相手はいない。と
思うように成って
男の幸せを願うようになった。
と、いうことだ」
滂沱の涙の法祥に気が付かぬふりをして
大師は、白銅に般若湯を勧めた。
「心映えというのは、 心の隅にある闇も照らして
闇がおられぬようにすることなのだろう と 思うが
なかなか、そこまでは・・・
これが 少しは 代わりになってくれれば」
と、大師も杯を煽った。
「いえいえ、十二分に 映えております」
僧都といったが、それは 大師自身の事であるのは間違いない。
そして、法祥が、心中の片割れだった生き残った行方知らずの男と
気が付いていて、法祥の心の隅にある闇を拭い去ってやろうとしたのは
間違いない。
そして、白銅もまた、気がかりという闇を照らされ、
その拭い去り方をしっかりと見極めていた。
「大師、お名前を頂戴できますか」
「覚仙 と いう」
「なるほど」
「あはは」
と、大師は笑ったが、白銅のなるほどを解しての照れ笑いだった。
覚仙
人の山は深い、その深さに迷い惑う。
その惑い・迷いを覚ます。
あるいは、心映えと同じといっていいが
その迷い・惑いから覚ましてやりたいという思いかた
志が 心映えという考えを連れてくるのであろう。
だから、なるほど なのであるが
それも、大師は解する。
言葉すくなく、心、表にださず
言葉多く 込める思い深く
面白い老爺であると思った。
そして、此方の事はいっさい尋ねようとしない。
自分が照らせることだけを差し出す。
お天道様というより
お月さまの様だと思う。
ひっそりと夜闇を照らす。
ーこういうお方もいるー
食事も引けて
布団にもぐりこんだあとも
まだ
月が白銅を照らしていた。
朝食を戴くと、さそくに、足駄をはむ。
大師も寺の外まで出て、二人の出立を見送ってくれた。
「おまえは、三井寺には寄ったことはないのか?」
都まであないするというくらいだから、
そちこち、顔をだしていそうな気もする。
「いえ、私は・・行方をくらますに必死でしたから」
そうだった。生き残ってしまった法祥が
都近くに居れるわけはなかった。
「最初に、導師にかくまってもらって、
それから、あちこちうろついて
死ぬべきだろうと、考えてみたり
伊予の霊にひきとめられたり・・・」
「なるほど。だが、生きておって良かったの」
大師の話に、法祥も確かにそう思っていた。
「しかし、たいしたお方だ」
いつのまにかに、伊予の親の心をやすらげ
どういうひきまわしか、
親の心のかわりようを、法祥本人に伝えることがおきる。
「それが、守護ということなのでしょうか」
一辺倒に量り、得心しようとするのは、
法祥の若さゆえの生真面目さだろう。
「いや、いや・・・生まれもった、徳だろうのお。
わしも、得心させられたことがある」
白銅が得心する?
それはどんなことであるのだろう。
法祥の、続きを待ち受ける顔に
笑いをかみ殺しながら
白銅は、自分が得たことを話し始めた。
「お前の身上と大師の「心映え」の話と
澄明からの伝えと、を、まぜくりあわすと
やはり、ー思いを救わねば 真の救いにならぬーと思うのだ」
話が飛躍している様に聞こえるのは、
澄明の報せが、どういうことか、わからないせいかもしれない。
「澄明さんは、いったい、なにを?」
ついつい、悟るに早い者ばかりに囲まれていると
法祥も一言二言三言で、理解できると勘違いしてしまう。
「そうだったの、つたえてなかったの」
と、法祥にわびる。
「澄明は 銀狼のほうが憑いているのでなく
一族の方が 銀狼に憑かせてしまう、一種の呪縛があるのではないか
と、いうのだ」
法祥には、もっと詳しく説明しないと、
よく判らないかもしれないと思う白銅に
「ああ。判ります。
導師がいっておりました。
私が伊予だけを死なせてしまったのでなく
伊予の方に、死ぬ定めがあり、
むしろ、私の方がその定めに引きずられた。
そういう風に、引きずられる、巻き込まれるというのも
一つの呪縛ということになるのでしょうね」
「そ、そういうことだ。
だが、その呪縛により、実際には
相手が不幸になったり、
相手の親を苦しめ
ひいては、自分を苦しめる。
これが、銀狼だとする。
銀狼と一族の間に、
呪縛のもとになった何かがあるだろうと思うのだ。
それを解かねば、真の救い・解決にならぬとおもうのだ」
法祥が考え込んだ。
「では、伊予も、呪縛の元になる何かがあったということでしょうか?」
迷ったが、白銅は話すと決めた。
「わしが、勝手に思うことだがの。
大師がいうたことが、そうだろうと思うのだ。
伊予は、たぶん幼い時から
親の言う通りにと、背くことなく生き越してきたのだろう。
ただ一度でも、伊予の思う通りに生きて良いと、
両親に、心底から思われたかったのだろう。
だが、どうにもならない。
生きたいように生きられぬなら
死んでいる様なものだ、と、諦念しながら
どこかで、死んだら 親は 自分たちが間違っていた、と
思ってくれるだろうか・・とかな。
親を責めるような自分の心に、呵責もおぼえただろう。
だが、心の底に恨む思いが沈んでいき・・・」
「わ・・わかりました」
伊予が、哀れだった。
親を恨む心になる自分に、打ちのめされ
好いた男とは一緒になれず
親の決めた婿と添わねばならず
行き場のない思いを抱かえ、
生きていくめどうを見つけられず
いっそ、死んだ方が・・・
そのきっかけと弾みが法祥だったのであろう。
「私が・・もっと
伊予の思いを救うてやれれば・・」
「成ってしもうたものは、もうどうしようもない。
それよりも、澄明のいうとおりであれば
銀狼と一族の間にある、呪縛
その元になった思いを、救うてやることが
伊予への返しになるのではないか?」
法祥は、やっと、白銅が舟でいうた事の意味が判った。
「だからこそ、ー自分でー
ーなんとかしてやろうーと、成れ。
ということですね。
そうでなければ、また、私は
犬神という名の伊予を救えないまま
ただただ、流され、まきこまれた生き越しになる。
そう・・おしえて・・くださって・・」
あとの言葉は、法祥の涙に埋もれた。
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