過去日記から・・・
まあ、まだまだ、
自分だけの観念を振りかざしている、と、思う。
その観念を、しっかり、説明しきれていない。
だけど、
その青臭さの中に
ちょっと、光るものがあると思うのは、
自画自賛でしかないか(爆笑
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銀狼をかきながら、追従していることのひとつが見えてくる。
言葉のエネルギーが発動するというのが、言霊であるとするならば、
思いのエネルギーが発動するというのが、思霊であろう。
と、いう部分であるが・・・。
知らずに思ったというべきか、
感情にふりまわされてしまったというべきか、
「マイナス」な思いが発動するということがおうおうにしてある。
以前の日記でかいたことであるが、
「自分を苛めるものは、人にも苛められる。自分が苛めて良いような人間など、人がいじめて当然である」
と、いう極論を書いた。
様々な霊現象にみまわれたある女の子も、
「どうせ、自分なんか」という自分を苛めた思いをもっていた。
現象(苛められる・よくないことがおきる)がおきても、まさか、その原因が自分の思いであったとは気がつかないで居る。
よく、ひきよせの法則とか?(まともに読んでないので、言葉しかしらないので、意味あいがちがうかもしれない)
ハウツーとして、幸せになる方法として、語られているが、
ようは、上のことを応用しているのだとは思う。
ところが、ちっとも、引き寄せがうまくいかない。
と、言う場合が在る。
それは、なぜかというと、
「当て込んだ思い」「打算的な思い」であるからではないだろうか?
まさか、その原因が自分の思いであるとは気がつかない。
と、いうほどに、
「思い」の質を鑑みない。
憂生が引き寄せという考え方が嫌いなのは、引き寄せの根本が、「当て込んだ思い」であるわけで、
これも、お登勢のラストに書いている。
表現が違うが・・・。
*情けは人のためならずという。
情けをかければ、いずれ、それが自分に帰ってくるという意味だけど、
自分に良い結果が帰ってこないということは、
自分の思いが本物でなかったせいだ。*
ようは、自分が本物の思いをもつということがだいじなわけで、
情けがかえってこないかな?
良い事が帰ってこないかな?
こうすれば良くなるんだ。
などは、すでに思いが濁っている。
と、なると、「自分の思いがどうであろうか?」という詮議のほうが大事なわけで。
そこを忘れて、パワーを貰いたいとか、幸せを引き寄せるんだとか、では、
当て込んだ思いが、思霊になって発動するかもしれない。
もちろん、その結果についても、本人は
その「思い」のせいであると、きがつかずにいるんだから、幸せかもしれない。
あるいは、そこだけを取れば、充分、幸せを引き寄せているといえるかもしれない
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