憂生’s/白蛇

あれやこれやと・・・

書き方という個性

2022-08-27 00:20:52 | 憂生日記 その1

タグ#小説のみにしてしまったのですが・・・(事後報告?)

実際の所、

その小説の分類

歴史小説 恋愛小説 推理小説などという

内容以前。

ざっとわけて

掌編

短編

中編

長編

と、あると考えているのですが

実際、何文字までが掌編で、 短編で

中編で 長編なのか

感覚というか、

書いている側の感覚と

読む側の感覚は違うだろうし

どんどん読み進めていける(面白いというべきか?)作品は

短く感じるし

読み辛さがある作品は、長く感じたり

随所でなるほど~~なんて思わされると

長いというより、「重みのある作品」という意味合いでの長さに捉えてしまう。

 

個人的に

3万文字までくらいだったら短編

5万文字までくらいが中編

長編は10万文字近い辺りからそれを超えるもの。

掌編は1万文字・・いや、原稿用紙で25枚は、

掌編とは、いいがたいか?

5000文字くらいか・・・

などと考えるわけだけど

実際の作品を考えると

このあたりの境界線はあいまいな気がしてくる。

 

で、調べてきた。

これも、色々違うようでは有る。

pixivの小説検索では以下のように定義されてます。
参考までに。

SS (4,999 文字以内)
短編(5,000 - 19,999 文字)
中編(20,000 - 79,999 文字)
長編(80,000 文字以上)

 

文字数といっても

よくやるのが、「・・・」

3点リーダー「…」を、使うべきなのだが

・・・を使う。

すると、既にここで 3文字と1文字の違いが出て来る。

そして、この「・・・」も3点では無い時がある。

「しかし、それは・・・・・」

と、書くと、論外に言いたいことが「・・・・・」はある。

話したいことをまとめようとしているのか

話していいだろうかとかんがえているかのようであったり

「しかし、それは…」

と、書くと、なにか、言いそびれた歯切れの悪さを表すようで

文章の外の含みにたどりつけない。

と、勝手に思ってしまって、「・・・・」を

多用するwwww

すると、「・・・・」も文字数になっていながら

ひょっとすると

内容は短編で、「・・・・」が多いため、文字数では

中編になっているかもしれない。

近いところでいうと「絵文字」的な使い方だと思う。

 

いつだだったか、

文章の中に「?」「!」(他にもあったと思うけど・・・)が

つかわれる頻度の高い作品・・とかを調べている人が居て

訪問してみたら

吾輩が「?」も「!」も1位だったということが有った。

作品数も多かったのと、ラフに書いていたSO2が敗因・・勝因だと思う。

いつ頃だったか覚えていないが

科白だけの小説?が(ネットに)登場してきて、正直面食らった。

👦「あのさ、俺」

👧「なによ?」

👦「今からはなすけど、怒るなよ」

👧「怒るようなことをいうわけ?」

こんな調子で延々と科白と顔が続く・・・

これは、プロトとか、科白起こしであって、

小説ではないのではないか?

と、疑問を持っていたら

北方健三だったか・・・

科白だけで3ページとか

その科白に答える科白が平気で1ページくらいあった。

多少「科白」外で補足?しているが

オーバーに模倣すると

「弁慶の奴は高い下駄を履きながら、馬に乗って

白河の関を超えていったんだが、その白河の関というのは、

当然のことながら山越えの道で、うっそうとした森を抜けていくことになる。

馬だって、ありがたくない道を大きな男が下駄で馬に乗る。

こんな様はわしも見た事が無い位だから、馬の方もさぞ驚いて

嫌がっただろうと思うと、弁慶も無鉄砲というか

考えなしと言おうか・・お前だったらどうするだろうと考え考えここまで来たが

途中の山並みのきれいな事、まさに心が澄むというのはこういうことだと

思っていると、鳥のさえずりも聞こえてきて・・・・・略」

心象風景になるのだろうから科白でいいんだろうけど・・

そして、文章力があって、描写力(情景描写ーこれは模倣できないww)があるものだから

科白とは思えなくなる。

そう考えると

👦「あのさ、俺」

👧「なによ?」

のほうが科白としては成立している気がしてしまう。

 

どうでも良い

のではなく

なんでも有り

なのだとは思う。

 

その昔、在る作家さんの作品の中、男の科白があって・・

「・・・・・・・・」  ニタリ

普通に書いたら、

「・・・・・・・・」 男はニタリと(ほくそえんだ。とか・・)

に、なりそうなものなのだが

全然違和感がないどころか、

その作品に「ムード」を作り出す効果が有った。

作品に

立体感というのか、ムードというのか、世界感というのか

ある種の世界が構築されていた。

そういう域まで、いってることが大事なんだろうと思った。

自分が同じやり方をしたら

間違いなくこける(保証できる)

そういう「個性」を成立させることができる「なにか」は

どこで、何で、はぐくまれるのか

判らないが

表現方法というのは、際限なく広がっていくものだと思う。

 

それは、音楽の世界でもそうだし

舞台でも、映画でもドラマでも

そうなんだろうと思う。

 

高村高太郎だっけ

そんな昔の人が言ってたことは

今も変わらない。

僕の前に. はない. 僕の後ろに. は出来る 

あるいは、

鶏頭なるとも牛後なるなかれ

ちょっと前は

流行に遅れまいとするのでなく

流行を撒いていくものになれ・・とか。

そんな人たちをして

インフルエンサーというのかな???



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