毎日、私はblogに短歌人誌や歌集の中にある素晴らしい歌を載せさせていただいている。ここで何故その一首に感動し心が動いたか思いつくままに述べたい。なんだか生意気ですが…。
まずは、自然や景色が浮かぶのはもちろん、そこにある感情が伝わる一首。
「ああ とんぼ」見知らぬ人と声出して灯台の先の空を指差す
海野雪
とても鮮やかにシチュエーションが浮かばないだろうか。上句で場を提示し、下句でその場を踏み台にし飛躍する。実際にはとんぼを指差していたとしても作者とこの見知らぬ人の視界には灯台とその先に広がる空がある。その事実に裏打ちされているから、実際にはとんぼを見ていたとしても空を見ているという飛躍が許される。この一首を読んだ私もその場にいたような開放感を感じた。こういう体験があるから短歌が好きなのだ。私はこの一首からよく晴れて暑い夏の昼下がりを思い浮かべたが、多分、事実はそうではないかも知れないし、他の人の読みではまるで違うシチュエーションかも知れない。けれど、それはそれである。短歌はその短さゆえに読みもまた飛躍する余地があるのだから。そして、この文章を入力しながら、このとんぼが空中をホバリングしていたことに気がついた。とんぼによって一瞬、止まらないはずの時間が止まった。
まずは、自然や景色が浮かぶのはもちろん、そこにある感情が伝わる一首。
「ああ とんぼ」見知らぬ人と声出して灯台の先の空を指差す
海野雪
とても鮮やかにシチュエーションが浮かばないだろうか。上句で場を提示し、下句でその場を踏み台にし飛躍する。実際にはとんぼを指差していたとしても作者とこの見知らぬ人の視界には灯台とその先に広がる空がある。その事実に裏打ちされているから、実際にはとんぼを見ていたとしても空を見ているという飛躍が許される。この一首を読んだ私もその場にいたような開放感を感じた。こういう体験があるから短歌が好きなのだ。私はこの一首からよく晴れて暑い夏の昼下がりを思い浮かべたが、多分、事実はそうではないかも知れないし、他の人の読みではまるで違うシチュエーションかも知れない。けれど、それはそれである。短歌はその短さゆえに読みもまた飛躍する余地があるのだから。そして、この文章を入力しながら、このとんぼが空中をホバリングしていたことに気がついた。とんぼによって一瞬、止まらないはずの時間が止まった。