新札の肖像人物だ。
そのため、もう多くの人たちが彼を語っている、渋沢栄一。
こんな話もある、結婚式の祝儀には相応しくないとか、曰く自宅に本妻と妾婦を同居させ、同時に出産させたとか。
まぁ当時の社会常識ではあったのだろう、余裕のある紳士は多くの婦女子を手助けするべきというような・・・
そんな栄一の語録を振り返ってみたい。
◆自己の本分はこうだ
私は天に対しても、神に対しても自己に幸福が訪れるように祈ったことはない。
ただ自己の本分を尽くす上に、不足がないか否かについて自省するのみである。
天は人為ではどうすることもできない。
だからこそ、人為を尽くして天命を待つのです。
清濁は併せのむ必要はない。
世の中は、清、すなわち良いことだけが行われなければならないはずで、
濁、すなわち悪いことがあることは根本的に間違っていると考えるのです。
彼の力を期待して、多くの陳情客がひっきりなしに訪れていた。
彼は求められれば、そのすべてに応じていたそうだ。
だが渋沢は、事を為すのに清濁は問うべきだと示す。
あくまで、清、のみに与せよと述べているし、実際にそれは、貫かれていたようだ。
→ふうん、当時の社会常識ねぇ・・・ 都合のいい言い訳のようにも聞こえますが・・・