<2003年10月3日に書いた以下の記事を、一部修正して復刻します>
沈没した北朝鮮の工作船
船尾から見た工作船
先日、東京の台場にある「船の科学館」(品川区東八潮)で、北朝鮮の工作船を見てきた。 月曜日の午前中なので人出は少ないだろうと思って行ったら、けっこう混雑している。一般の見学者の他に、修学旅行で上京した地方の高校生の姿も見られた。
工作船の母船は全長30メートルほどで、それほど大きいとは思わなかった。海底から引き揚げられただけに汚れもひどく、数多くの弾痕が残っていて痛ましい感じがする。 子船もみすぼらしい風情であったが、説明書きには最高時速93キロと出ていたので、ややびっくりした。
後から後から見物客が続くので、10分ぐらいしか見られなかったが、母船も子船も“残骸”そのものという感じで侘びしいものがある。 船に乗っていた十数名の工作員は、全員が海の藻屑と消えたようだ。彼らは何を思いながら死んでいったのだろうか。
別館の「羊蹄丸」のギャラリーには、海上保安庁によって押収された銃器類、備品、工作員の所持品などが展示されている。中には金日成バッジもあった。 展示物のほとんどは痛みがひどく、見ているうちに空しさを感じてくる。
見学に来る前は、新たな憤りや闘争心が燃えるのかなと思い、また、それを期待していたが、諸々の残骸を見ているとなんの感興も起きない。ただ空しくもあり、哀れである。工作員達は最期に、何を思い何をしていたのだろうか。
自爆したであろう彼らは、できるだけ工作活動の証拠隠滅を図っていたのだろうか。 あるいは「将軍様、万歳!」と叫んで、死んでいったのだろうか。 祖国・北朝鮮に残してきた家族らを想いながら、昇天したのだろうか。
憎むべき工作活動の証拠を見ながらも、なぜか憎しみや怒りは感じなかった。ただ哀れであり、空しいだけである。 もし自分が北朝鮮の人間として生まれていたら、運命の悪戯で、あるいはこのような工作活動をしていたかもしれない。 それを思えば、工作員達を憎む気にもなれない。彼らも“犠牲者”なのだろうか。
何十億円もかけて工作船を引き揚げたのだから、海上保安庁はこれを保存したいと願い、そのための募金活動もしているようだが、証拠は完全に明らかになったのだ。 こんな“忌まわしい船”はいずれ焼却処分にしてしまうか、「これ見よがし」に北朝鮮に送り返してやってもいいではないか。(工作員達の遺品も残っているので。しかし、国交正常化が実現するまでは、それは無理だろう)
海保の関係者に叱られそうだが、そんな勝手なことを思いながら「船の科学館」を後にした。工作船を見ようとする人達が長い列をつくっている。これからも、多くの日本人がここを訪れるだろう。 しかし・・・死んでいった工作員達のことも想おう。彼らは何のために、また誰のために死んでいったのか。合掌 (2003年10月3日)
(後記・・・この文は工作員の死を悼んでいるが、もとより工作船による活動を認めるものではない。 彼らの“工作活動”を心の底から憎むものだ。 2004年2月)