(以下の文を復刻します)
宮沢賢治
『宮澤賢治 その愛』という映画(DVD)を見たが、賢治が妹トシ(とし子)に寄せる想いがいかに深いかを知った。これは家族愛、兄妹愛なのだろう。しかし、なにかそれを越えて神秘的、宗教的な感じさえする。
トシは肝炎や結核の闘病生活を経て、わずか24歳の若さで他界する。その時の賢治の悲嘆、憔悴は尋常のものではなかった。病床の妹を献身的に看護していた彼にとって、その死は痛恨の極みだったのだろう。
宮沢賢治は生涯 独身だったが、自分の短命(彼も病身であった)を予知して妻を娶らなかったという。しかし、それだけで妻帯しなかったのだろうか。どうも違うような気がする。それは、彼にとってトシは“永遠の女性”だったかもしれないのだ。
私は宮沢賢治のことはよく知らない。しかし、映画を見たり話を聞くと、彼は極めてストイックで宗教的な人柄であり、法華経の熱心な信者であった。そして、なによりも詩人であった。純粋無垢な精神の持主だったのだろう。
そういう彼にとって、2歳年下のトシは特別な存在だったかもしれない。彼女はとても聡明で(映画の中で、賢治は「自分よりずっと頭が良い」と友人に自慢している)、東京の日本女子大に入学するが、途中で病に倒れ帰郷する。母親や賢治らが必死に看病するのだが、やがて帰らぬ人になってしまった。 その時の賢治の悲嘆ぶりは先ほども述べたが、それは単なる兄妹愛、家族愛を越えたもののように思える。
トシが亡くなった翌年(1923年)の夏、賢治は教え子の就職を斡旋するという名目で、樺太(今のサハリン)の王子製紙に勤める先輩を訪れた。その役目はもちろん果たしたが、この樺太旅行は実はトシの“鎮魂”のためでもあったようだ。彼は幾つもの挽歌を書いて妹の魂に捧げた。「とし子、とし子」と呼んで・・・
こう見てくると、賢治のトシへの想いは単なる肉親愛ではない。それは最も純粋で崇高な異性愛のように思えてくる。つまり、賢治にとってトシは“永遠の女性”だったのだろう。 私は宮沢賢治のことをよく知らない。しかし、彼の純粋な魂や人柄を思う時、どうしてもそう捉えてしまうのだ。
今月、私はサハリン・樺太へ旅行するが、いろいろ調べているうちに宮沢賢治の話を知った。賢治ファンの何人かが彼の足跡を辿るという。私は全く別の目的で旅行するのだが、彼の話を知ったのは幸いである。 私の考えは間違っているかもしれないが、宮沢賢治にとって、妹・トシは最愛の女性、汚れを知らぬ“永遠の女性”だったと思わざるをえない。(2012年8月5日)
賢治が行ったという白鳥湖(サハリン・樺太)
白鳥湖のほとりで筆者(2016年6月)
父親も危ぶむくらいの賢治の妹に対する愛情はたしかに肉親愛とはちがったもののように感じました。はかない命の妹に対する賢治の狂わんばかりの愛は、男女愛、肉親愛を上回る崇高なものとして表現されています。
愛といっても、人の世にはいろいろな形の愛があるのではないかと思います。
兄の妹に対する愛は大昔から目立っていましたが、近親相姦的なものを乗り越え、多くは純粋で優しいものだったようです。
特に賢治の場合はトシが大きな支えであり、彼女が亡くなると、まるで“永遠の女性”のように偶像化された傾向があります。
その愛はとても崇高なものだったと思います。妹がいない小生にとっては、実に羨ましい限りです(笑)。