〈懺悔、告白のような自伝的物語。ただし、以下は小説だからフィクション=虚構である〉
(1)視聴者センター
それは6月末に起きた。行雄がFUJIテレビの外で同僚と昼食をとったあと職場に戻ると、栗橋総務担当部長が彼を呼び寄せた。
「村上さん、いま石黒人事局長から連絡が入って、7月の異動で視聴者センターへ行って欲しいということです。これは内示ですから、正式には来週 発表になります。よろしくどうぞ」
栗橋は機械的に淡々と述べたが、これを聞いて行雄は耳を疑うほど驚いた。「視聴者センター」だって!? 彼はまったく予想もしなかった人事に愕然としたのだ。しかも、内示は総合開発局の天野局長からではなく総務担当部長の栗橋からである。
行雄はしばらく放心したような状態になり、目の前のいつもの仕事に身が入らなくなった。視聴者センターなんて、落ちこぼれの社員か定年間近の“たそがれ社員”が行くところではないか。彼は日頃そう思っていたので、この内示に呆然となってしまったのだ。
ただ、少し時間がたって、天野局長はいま出張中だから、やむを得ず栗橋が内示を伝えたことが分かった。やがて行雄は落ち着きを取り戻したが、その日は鬱々(うつうつ)とした気分で過ごしたのである。
7月に入って間もなく、人事異動が正式に発令された。どこの会社もそうだろうが、廊下などの掲示板に異動の内容が貼り出される。それを見て社員らは、あの人がこうなったのかなどといろいろな“評定”をするものだ。
この人は出世や栄転をし、あの人は降格や左遷に遭ったのだなどと噂をし合う。サラリーマン社会というのはそんなもので、行雄も30年以上 勤めていると、人事異動の明暗は分かっているつもりだった。
しかし、今回の異動は、まさに自分がその悲喜劇の渦中に放り込まれた感じがした。俺は定年まであと3年ぐらいだから、まさに“たそがれ社員”だ! ほとんどの同僚はそう思っているだろう。
仕方がない。あと3年、我慢し耐え忍んで過ごそう。そう考えると、行雄は開き直った気持になった。
その日、彼はアパート暮らしをしている池袋の住まいから、自宅にいる妻に電話をかけた。
「きょう人事異動の発令があって、視聴者センターへ移ることになったよ。仕方がないね」
「あら、そう、ご苦労さま」
妻の日向子(ひなこ)は平然として答えた。それがどうしたの?・・・という風である。
「あと3年だから、会社を辞めるつもりはないよ。我慢するさ」
「当たり前じゃないの! あなたはすぐに辞める、辞めるなんて言うんだから」
今度は日向子が怒ったように言った。
「でもな、視聴者センターへ行くとは思いもしなかったよ。これも会社の人事だから仕方がない」
「家のローンもあるし子供もいるし、あなた、あと3年は頑張ってもらわないと」
「うん、分かってる、言っただけだよ」
そう言って行雄は苦笑した。彼が愚痴をこぼすのは日向子も慣れているので、夫婦の会話はたわいなく終わった。
それから数日して、行雄は前の職場(総合開発局)から視聴者センターに移った。ここは正式名称が『視聴者なんでもサービスセンター』と言うが、長いので普段は『視聴者センター』で通している。
余談だが後日、彼が社外の人に名刺を差し出したら、その人はこう言って笑った。
「凄いですね、なんでもサービスするんですか、ハッハッハッハ」
行雄は少し照れ臭かったが、この職場の精神は“なんでもサービス”が基本なのである。
電話の相手はほとんどが不特定多数の視聴者だ。視聴者は神様か、あるいは恋人ぐらいに思っていなければならない。だから懇切丁寧に、相手を尊重して受け答え=レスポンスをするのだ。
こうして新しい職場での仕事が始まったが、はじめはどうしても慣れないものだ。異動で移ってきたのは行雄たち3人だが、まずは職場の先輩らのレスポンスを横で聞きながら、基本的なことを学んでいく。
視聴者からの電話の7~8割は、放送番組についての“問い合わせ”だ。放送予定や時間、出演者などに関する質問がほとんどだが、そのほか意見や苦情、要望などが当然含まれる。
また、放送番組とはまったく関係のない情報や意見、身の上相談や“罵詈(ばり)雑言”などもたまにかかってくる。これらの対応がけっこうむずかしい。放送には関係ないからと、無下(むげ)に電話を切るわけにもいかない。できるだけ懇切丁寧に応対するのだ。
こうして、行雄は少しずつ仕事に慣れてきたが、そんなある日、山崎室長が声をかけてきた。
「もうすぐ“FNSの日”が来るが、村上君もレスポンスをやってくれないか」
「ええ、もちろんいいですよ、やりましょう」
行雄は快諾したが、その日のメンバーは全部で4人だという。この『FNSの日』とは、FUJIネットワークのほとんどが参加して、休日に27時間の生放送をするものだ。いわば夏の看板番組だが、基本的に全て生放送というのが“ミソ”である。
そして、7月後半の土曜日、行雄たち4人は休日を返上してレスポンスに当たることになった。
(2)試練
その日は午後 出社し、6時からの生放送に対応することになったが、4時頃から電話が次々にかかってきた。ほとんどが放送予定や時間の問い合わせだが、圧倒的に多かったのは「Kー1(ケイ・ワン)」に関するものだ。
「Kー1」とはキックボクシングのような格闘技で、当時はとても人気のあったスポーツだが、全体が“生番組”なのではっきりした放送時間が分からない。行雄たちはだいたいの放送時間を説明し、視聴者に了解してもらった。
「生番組は本当に厄介だな。放送時間がはっきりしないから」
「仕方がないですよ、これがテレビの長時間番組です」
先輩の大森が愚痴をこぼすと、行雄と同期の吉川がすぐに受け答える。彼はこの視聴者センターに2年ほどいるベテランだ。
「村上君、放送が始まったらもっと大変になるよ」
吉川がさとすように言ったが、行雄は黙って聞いていた。どのくらい大変になるか見当もつかないのだ。
そんな話をしているうちに、午後6時から生放送が始まった。司会のアナウンサーがだいたいの放送予定を説明したあと、スタジオ・トークを中心に番組が進行していく。
すると今度は、Kー1の前のプロ野球中継に関する問い合わせが急に多くなった。
「もしもし、野球中継は何時に始まるの?」とか、「試合終了まできちんと放送するの?」といった視聴者からの問い合わせが増えてきた。
行雄たち4人はいい加減なことは言えないので、だいたいの放送時間を説明していく・・・ ところが、それに納得しない一部の野球ファンが声を荒げて叫んだ。
「そんな説明じゃ駄目だ! 何時に始まるんだ!?」
「俺たちを馬鹿にするのか! ちゃんと説明しろ!」
「お前じゃ話にならん、責任者を出せ!」などの激しい罵声も起きた。それでも行雄が必死に説明を続けると、最後に「バカヤロー!!」と言って、ガチャンと電話を切る者もいた。
中には明らかに酒に酔って電話をかけてくる者がいる。こうして深夜まで電話の応酬が続き、仕事が終わった時、行雄はその対応でクタクタに疲れ切ったのである。この日、彼が電話を受けたのは164本に達したのだ。
帰り際に吉川が声をかけてきた。
「ご苦労さん、ここへ来たとたんに大変な思いをしたね。まあ、いい経験になったかな、ハッハッハッハ」
FNSの日のレスポンスで、行雄は相当に傷つき落ち込んだ。一部の視聴者が予想以上に乱暴で聞く耳を持たなかったからだ。しかし、生放送をするテレビ局にも配慮が足りない面があったと思う。
生放送だから、大目に見てもらおうという魂胆があったのではないか。嫌なら見なければいいだろうという驕(おご)り、視聴率さえ取れば問題はないという姿勢・・・ しかし、結果は平均視聴率で12,1%と大したことはなかった。
いずれにしろ、行雄はレスポンスで良い経験をしたのだと思う。その日のことは永く忘れることができなかったからだ。
視聴者センターに来てもう一つ、パソコンから逃れられないことが分かった。以前の職場(電波企画部)では“ライン部長”だったから、パソコンの作業は全て部下たちに任せていたが、ここは自分で作業しなければならない。
山崎室長がこう言った。
「村上君、9月か10月の“日報作り”は君にやってもらうよ」
行雄はもちろん承知したが、日報とそのまとめの“月報作り”はパソコンを操作しなければならない。定年間近になって荷が重いなと彼は思った。
しかし、そうは言ってられないので、行雄は日報を担当中の山口先輩を手助けしながら、その操作を学び始めた。
「パソコンなんて簡単さ、すぐに慣れるよ。それに便利だからな」
山口はそう言って、文字の入力を行雄に教えた。彼はもともと器用な男だが、教え方もツボを心得ている。数日して、行雄はだいたいの入力方法を覚えたのである。
彼は以前からワープロをやったことがあるが、何事も体験、実践だと思った。やってみれば、パソコンも意外に簡単にできる。しかし、文字が全て入力するとは限らない。
「山口さん、SMAPの草彅(くさなぎ)剛の漢字が入らないですね」
「ああ、草彅の“ナギ”は平仮名でいいよ。それはしょうがないさ」
行雄の質問に山口が答えたが、この当時は入力できない漢字が間々(まま)あった。 草彅以外にも、例えば中国の有名な政治家・鄧小平(とうしょうへい)の“トウ”の漢字がなく、行雄はやむなく『登』で済ませたりした。
しかし、仕事がらタレントなどのホームページにアクセスするようになると、彼は次第に、自分も将来 パソコンを購入して『ホームページ』を開設してみたいとも思うようになった。
視聴者センターに放り込まれたのは心外だったとしても、パソコンやインターネットと親しくなったことは、行雄にとって良かったのかもしれない。
また、行雄は以前のライン部長から、室付き部長に“格下げ”になったことがどうしても気になった。“局次長待遇”になったと山崎室長から聞いていたが、それがどういう身分なのかよく分からない。そこで彼は直接、石黒人事局長に電話で質すことにした。
石黒とは入社同期だが、今や彼は行雄よりもずっと高い地位についている。いずれ重役(役員)になるだろう。
「局次長待遇とはどういうことなの?」
「うん、ラインから外れても、給与など待遇面では上がるということさ」
石黒はそれ以上のことは言わなかった。こんなことを電話で人事局長に聞いてくるのは行雄ぐらいだろうか。
彼は少し呆れた様子で、「まあ、給料日を待ってなよ」と言っただけで電話を切った。
それから数日して給料日が来た。行雄が給与の明細書を見ると、役職手当がなんと10万円増えているではないか! したがって、支給総額も約10万円増えたので彼はすっかり満足した。サラリーマンとはしょせん“現金”なものである。
しかし、行雄は同期の4人がすでに重役になっていたことに、完全に差をつけられたと痛感した。そればかりではない。後輩の社員が次々に自分を追い越して出世していくではないか! 正直言って、妬(ねた)ましく思うこともあった。
行雄は若い時分、相当な“立身出世主義者”だった。テレビ局に入った頃ゆくゆくは社長に、それが駄目なら副社長か専務ぐらいにはなってやろうと本気で思っていた。
ところが、会社生活を続けるうちに、自分の能力不足や要領の悪さ、不器用や無骨さに気がつき、そういう野望は無理だとだんだん諦めるようになった。
だから、妬ましく思うと同時に、会社の人事をひっくり返すことはできないと諦め、ある格言を思い出すようになった。それはゲーテの言葉である。
『人生は欲して成らず、成りて欲せず』 まさに諦めと悟りの心境になったのだろう。
(3)日々是好日?
そんな時に、山崎室長が行雄ら新入りの3人に言った。
「視聴者センターに所属する電話交換手と見学案内係りを紹介するよ」
彼はそう言って、まず電話交換室に3人を連れていった。ここは上の階の少し離れたところにあり、十数人の女性が交代で業務に当たっているため広々とした部屋だ。
このあと、見学案内係りの女性たちとも会ったが、彼女らはセンターの一隅にいるため顔はよく合わせている。ここも6人ぐらいが交代で社外の見学者を案内しているのだ。みんな若くて愛想がよく、可愛い顔立ちをしている。
これらの女性は全員が契約アルバイトだが、レスポンスの方にも女性アルバイターが数人いた。したがって、職場の雰囲気は意外に若々しい感じもする。定年間近のオジサンたち(オバサンも2人いた)の中に、娘たちみたいな女性が混じっているのだ。
行雄は彼女たちからもパソコンを習い、逆にFUJIテレビの雑多なことを教えたりした。また、食事の時間には、オジサンたちも彼女らと近くのレストランなどへ行くので自然と親しくなっていったのである。
ある日の昼過ぎ、レスポンスをしていたS嬢が行雄に声をかけてきた。
「あの~、変な女性から電話が入っているんですよ。代わってもらえませんか」
変な電話やクレームなどには行雄ら社員が応対することになっている。彼が受話器を取り上げると、若そうな女性の声が聞こえた。
「さっきから、タモリが私のことをじっと睨んでいるのよ。なんとかならないかしら・・・」
「えっ? そんなことはありません。タモリはスタジオのカメラを見たりするから、あなたは睨まれていると誤解しているのです」
「でも、気持が悪いからテレビを消して、もう一度つけたらやはり私を睨んでいるのよ。タモリに睨まないでと言って!」
これは手ごわい“クレーマー”が現われたものだ。心しなければならない。
「いいですか、タモリはカメラを見たりするので、テレビをつけている人は誰でも自分を見ているように思うのです。『笑っていいとも!』は何十万、いや何百万人もの人が見ているんですよ。だから、タモリはあなただけを見ているのではありません」
「でも、タモリはずっと私を睨むのよ。目を離して、もう一度見たらやはり睨んでいるじゃないの、なんとかして!」
「睨まれるのが嫌なら、テレビを見なければいいでしょ」
「そんなことはできないわ、そこにテレビがあるんだもの」
「困りましたね、どうすればいいのかな~」
こういうやり取りがしばらく続いて、行雄はどうしていいか分からなくなった。ガチャンと電話を切りそうになったが、それは最悪だ。そんなことをすれば、相手は怒ってすぐにまた電話をかけてくる・・・
「今、いくつもの電話がかかってきているんですよ。申し訳ないですが、その方にも出なければなりません。すみませんが、これで切りますよ、切りますよ」
行雄はとっさに嘘(ウソ)をついて、静かに受話器を置いた。
このあと、その女性からの電話はなかったが、翌日、また同じような時刻にかかってきたという。
こうした“要注意人物”はいつも数人はいる。変な電話には気をつけるようにと、レスポンスの担当同士がすぐに申し送り事項をまとめるのだ。ほとんどは正常な問い合わせなどが多いというのに・・・
特に困ったのが夜勤の当番の時だ。レスポンスは午後9時に終わるが、その直前に“奇怪”な電話がかかってくることがある。
「おい、電波を飛ばすな、飛ばすな!」
ドスの利いた男の声で、電波を止めろと何度も言うのだ。行雄ははじめ、相手が何を言おうとしているのか分からなかった。
「はあ~、なんですか?」
「電波を飛ばすなと言ってるんだ! 電波を飛ばすな!!」
「・・・・・・」
なんと答えていいのか分からない。そのうち相手は電話を一方的に切って、また他の電話にかけてくる。そして同じことを言う。
こういうことが繰り返されるのだが、先輩に聞くと、あの男のことを『大島』と呼んでいるのだそうだ。
この変な男は伊豆七島の大島に住んでいるから、そういう呼び名がついたという。どうもテレビ電波に恨みを抱いているようだ。
“大島”は夜9時前に何度も電話をかけてくるが、長時間のクレームではない。その点はあっさりしていて良いが、放っておくと延々と30分以上も苦情を言ってくる人がいる。
ある日、午前中のワイドショーについて、司会者の発言が“不公平”だと中年風の男性から苦情が入った。行雄はできるだけ丁寧に受け答えをしていたが、長時間になりいい加減に疲れてきた。
そこで「番組担当者には伝えます。他にも電話が入っていますから」と断り、話を打ち切った。これでホッとしたのがいけなかったのだろうか・・・ その直後に、若々しい声の女性から電話が入った。昼の『笑っていいとも!』の件である。
「あの、タモリさんが翌日のゲストに向かって『あした、来てくれるかな?』といつも言ってるのは、事前に話がついているからでしょ!?」
まるで“大発見”でもしたかのように、彼女は声を弾ませて聞いてくる。とたんに行雄は不愉快になり、つい(ほとんど無意識のうちに)口が滑った。
「そんなこと、今ごろ分かったの?」
相手はしばらく無言だったが、すぐにガチャン! と電話を切った。よほど馬鹿にされたと思ったのだろう。行雄はしまった! と気づいたが、もう遅い。相手を怒らせてしまったのだ。
視聴者には誠心誠意、努めて丁寧に対応しなければならないが、時にはうっかりして、つい失礼なことを言ってしまうことがある。行雄は大いに反省したが、このことは永く忘れられない出来事になった。
番組では“やらせ”は厳禁である。しかし、演出上 それに近い言動や所作はいくらでもある。「あした、来てくれるかな?」と聞いて「いいとも!」と返事をもらう。それが番組進行のパターンになっているのだ。
もし「駄目だ」とか「都合が悪い」などの返事が来たらどうなるか。番組はメチャクチャになるだろう。もちろん、そうならないように担当者が事前に打ち合わせるから問題はないが、行雄はふと思った。
「駄目だ」などの想定外の返事があって、番組がメチャクチャになるのも面白いのではないか。彼は部外者だからか、時々 奇想天外なことを想像して楽しむ癖があった。(続く)