矢嶋武弘・Takehiroの部屋

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疑わしきは罰する・推定有罪

2012年04月25日 19時45分09秒 | 社会・事件・事故

(以下の記事は、2011年10月2日に書いたものです。)

何をおいても裁判ほど嫌なものはない。出来るなら関わりたくない。大抵の人がそうだろう。70歳になってホッとしたのは、例の「裁判員」にならなくて済むことだ(笑)。 「裁判員制度」にはいろいろ疑問があるが、ここでは述べるのを止めよう。とにかく、裁判にはロマンもへちまもない。
そうは言っても、先日の民主党・小沢一郎氏の元秘書3人に対する有罪判決については、幾つかの疑問を感じた。裁判って状況証拠ぐらいで有罪になるのか。いや、ほとんど裁判長の心証や推測、価値観で判決が下されるのか。
素人の自分は、裁判とは「疑わしきは罰せず」とか「推定無罪」が原則だと思っていた。ところが、先日の有罪判決を見ると、「疑わしきは罰する」 「推定有罪」に変わってしまったのかと思うほどだ。
すでにマスコミなどで報じられているから詳しいことは述べないが、判決文の要旨を読むと「なるほど、なるほど。さもありなん」と思うことが多い。まるで“名探偵”が推理しているみたいだ。ところが、被告側の主張と食い違っている点については、これを論破するような決定的な証拠が示されていない。何もかも推測、推論ではないか。こんなことで有罪の判決が出るのか。
小沢一郎(以下、敬称略)と言えば政界の実力者だし、マスコミで何かと「政治とカネ」問題を取り上げられてきた。だから、怪しいと思えばどこまでも怪しいし、疑い出したら切りがない。しかし、現代の裁判は「証拠第一」だろう。明白な証拠がなければ、その元秘書たちを簡単に有罪にするわけにはいかないはずだ。
あいつは怪しい、疑わしいから有罪にしてしまえとなると、まるでナチス・ドイツの裁判か、スターリン時代のソ連の暗黒裁判を思い出す。法廷に連れ出されると、いちおう形式的に裁判をするが、みんな有罪になってしまうのだ。まさか、現代の日本の裁判がそうではないと思うが、先日の東京地裁の判決を見ていると、そう疑いたくなるのだ。

概論だけ述べると不十分だろうから、一つだけ疑問点を示したい。例えば、西松建設がつくった政治団体が“ダミー”かどうかについては、裁判長はそうだと断定したが、それがダミー献金なら、20人以上の自民党の政治家にも渡っている。ところが、小沢一郎の所だけ馬鹿正直に政治資金収支決算書に記載しているのに、自民党議員は誰一人として記載していない。これでは完全に“闇献金”になるではないか。
記載した小沢側の方が有罪になって、記載しなかった自民党議員らが全く訴追されないというのは、あまりに不公正・不公平ではないか! こんな馬鹿な話はない。明らかに、小沢とその秘書たちだけを狙い撃ちにした裁判である。
そう考えると、これは「政治裁判」だ。実力があって何かと官僚から嫌われている小沢と、その周辺の者を排除しようという政治裁判である。私の言っていることが間違っているだろうか。とにかく、一方的で不公正な裁判なのだ。
最初に言ったが、私は裁判が大嫌いで、あまり触れたくない。しかし、余りにも不公正な感じがするのでつい述べてしまった。これからも触れたくないが、我慢できなければまたぶっ放すかもしれない。(2011年10月2日)


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