♪大地一人のスカイツリー暮色♪

有料版/運命鑑定
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苦手を克服する瞬間!~ 北の湖-輪島の戦い

2013-03-27 19:09:42 | 日記

大相撲を見ていると、

ある力士が、苦手を克服する瞬間がある。

 

これがメッチャ面白い。

 

一番有名なのが、

大鵬―柏戸だろう。

 

最初は、柏戸が、大鵬を、軽く負かしていた。

 

ところが、そのうち、逆転し、

大鵬が勝つようになった。

 

そういう例は、意外に多いんだ。

 

今回、ヒット大地が、注目するのは、

「北の湖―輪島の戦い」だ。

 

これも最初は、輪島が、圧倒的に有利だった。

 

北の湖を、左からの上手投げで、軽く負かしていたんだ。

 

ところが、何度も対戦しているうちに、

北の湖は、「負ける理由がわかった」んだな。

 

それは・・・こうだ。

 

輪島は、北の湖と対戦すると、

たいていは、左四つになる。

 

そして、北の湖の左下手を取る。

 

その後、右手は、北の湖のマワシを取らずに、

北の湖の左手首を、「絞る」。

 

「絞る」とは、何か?

 

これは・・・・

下から強烈に、押さえ込み(というより、上方への圧力を加える)、

相手の攻めの威力を半減させるんだよな。

 

もしも攻めようとすると、どうしても腰高になってしまう。

 

最初、北の湖は、直ぐに攻めた。

攻めるのが大好きな力士だからだ。

 

ところが、腰高になるから、

簡単に、輪島の左の下手投げを食らった。

 

そのうち、北の湖は、気づいた。

 

「そうか!俺は、じっくり攻めればいいんだ!」

・・・・こう気づいたんだ。
これ、コペルニクス的転換だよな。

 

つまり・・・ちょっと詳しく説明すると、

こういうことなんだ。

 

北の湖が、じっくり攻めているうちに、

輪島の「絞り」は、少しずつ甘くなるんだ。

 

甘くなったところで、グイと攻めれば、

自分の腰が、安定する。

 

だから、下手投げを食らわずに、

寄り切ることができる・・・こう考えたんだ。

 

そして、その考えは正しかったんだ。

 

これに気づいてから、

北の湖は、ほぼ必ず、輪島に勝てるようになり、

優勝回数を増やし、結局、輪島を引退にまで、追い込んだんだ。

 

要するに、ヒット大地の言いたいことは、

勝負は、「技術」や「実力」の他に、

「時間」が大切なポイントだということだ。

 

「急がば回れ」という、ことわざがあるよな。

 

これ、なんだな!

 

結論はこうなるだろうか?

 

「人生、早く結論を出さずに、

じっくり、腰を落ち着けて、

牛のように歩くこと」

 

・・・これって、すごく大切なことなんじゃ、ないだろうか?

 

 

 

 

 


今日は、ある韓国人の誕生日

2013-03-27 10:49:17 | 日記

今日3月27日は、

ヒット大地の大好きだった韓国人男性の誕生日だ。

 

もう故人となったが、

ヒット大地、毎年、必ず、

彼に誕生日プレゼントを贈っていた。

 

海老が好きだったんで、

海老を中心とした贈り物だった。

 

よく一緒に、食事にも行ったもんだ。

 

ヒット大地、韓国人の気質そのものは好きじゃない。

 

今の政府も、全くおかしいと思ってるんだ。

 

そういうのは全部、韓国の悲しい歴史が生み出したものなんだよ。

 

彼らの歴史は、メッチャ悲しいぜ!

中国、満州、沿海州、モンゴルに、新しい政権ができるたびに、

それにペコペコ、頭を下げないと生きてゆけなかった!

そんな朝鮮民族の、悲しい悲しい歴史!

冷酷な歴史だ!

 

その反動として、過去にペコペコした民族を、徹底して否定するようになったんだ!

 

その悲しい歴史は、今も連綿と続いていて、

日本にめちゃお世話になった日韓併合時代なのに・・・

あれほど、日本に、ペコペコしていたのに、

今はそれを否定してるよな。

 

70年前、日本が、朝鮮人志願兵を募ったとき、彼らは、50倍もの倍率で、

日本兵になろうとしたではないか!

なれなかった者は、悲嘆のあまり、自殺したではないか!

 

両班にいじめられ、死ぬほど苦しんでいた奴隷階級を解放したのは、日本ではないか!

 

名前さえなかった朝鮮女性を解放したのは、日本ではないか!

 

文字を全く読めなかった朝鮮市民を、学校に入れて、教育を与えたのは、日本ではないか!

 

その他、その恩恵は、インフラを初め、筆舌に尽くしがたい!

 

それは外国人も、皆、認めているんだ!

 

でもよぉ、政権が変った途端、過去を全否定する運命の、悲しい朝鮮人たち!

 

だから・・・自分たちが選んだ大統領たちも、同様だぜ。

韓国の大統領たちは、任期が終わると、逮捕されたり、

糾弾されたりし、皆、悲惨な目に遭っている。

だろ?

(自殺した者もいる!)

 

そんな朝鮮半島の悲しい歴史!

 

でも個人は別だぜ。

 

素晴らしい韓国人はたくさんいる!

 

その一人が、ヒット大地が誕生日プレゼントを贈っていた、素晴らしい男性だ。

 

ヒット大地、他にも、素晴らしい韓国人を知っているんだ。

 

歴史上にも素晴らしい韓国人はたくさんいる。

ちなみにヒット大地の好きなのは、チェジェウ(崔済愚)だ。

思想家・宗教家として活躍した男だな。

 

また現在、日韓併合を全肯定する韓国人作家・金完燮(キムワンソプ)も素晴らしいよな!

勇気ある立派な男だ!

 

真実を認める勇気をもつ、快男児だぜ

 

 

日韓は、協調しないとアカン!

手と手を取り合わんとアカン!

 

でも、アホな韓国人も多いからなあ・・・

 

アホな韓国人を思うとき、悲しい歴史のせいとは言え、

ため息の出るヒット大地である。

 

 

そう言えば・・・

 

数年前、ヒット大地は、韓国に旅行した。

 

そのとき、ある中小企業の日本人社長と、同じ飛行機だった。

 

50歳くらいの彼は言った。

 

「もう50回も、韓国に行ってますよ。

 

技術供与のためです。

 

でも、韓国人には、心底、あきれますよ。

 

どんなに俺たちが、一生懸命尽くしても、一切、日本人には感謝せず、

 

全部、ウリナラ(わが国)は素晴らしい・・・

 

韓国人の力で、工場を作った・・・ですからね。

 

ま、滑稽と言えば、すごく滑稽なんですけどね」

 

 

 

本当のところ、韓国市民・・・特に韓国女性は、

 

日韓併合時代の日本に対して、

 

土下座して感謝しないといけないのになあ・・・

 

 

 

・・・な~んて考えると、

 

最終的に、人間は、絶対に、個人だよね!

 

Say Yes!

 

今日は、ヒット大地、

素晴らしい韓国人のことを思って、

一日を過ごすぞ!


女優・清水由貴子は、なぜ自殺したか?・・・今日、真実を教えよう ~ その1 ~

2013-03-27 05:21:06 | 日記

タレントの清水由貴子は、

2009年4月21日、49歳で、自殺した。

 

ちょっと壮絶な死だったな。

 

なぜなら・・・父親の墓前(=静岡県小山町大御神(おおみかみ)の冨士霊園)で、

黒いポリ袋を頭から被って発見されたんだ。

 

ポリ袋の中には、硫化水素がためられていた。

 

しかも、近くには体の不自由な母親が・・・。

車椅子に乗って・・である。

 

このニュースを聞いて、

ヒット大地、大変驚いた。

 

なぜなら、自分にとって、

清水由貴子は、「最も自殺しないタイプの女性」と

思っていたからだ。

 

彼女のことは、高校生のころから知ってるしな。

 

そこで、ヒット大地、

いろいろ彼女のことについて調べてみた。

 

またヒット大地、テレパシー能力があるので、

死後の彼女ともコンタクトを取ってみたんだ。

 

そうして少しずつ、真相がわかってきた。

 

まず言えることは、

死の原因は、「複合的なものである」ということだ。

 

よく言われる「介護うつ」だけではない。

また、これもよく言われる「創価学会による嫌がらせ」だけでもない。

 

また、ここで注意して欲しいのは、

「彼女が死のうとした理由」と、

「客観的に見た死の原因」とは、必ずしも、一致しないことだ。

つまり、本人に原因を尋ねても、「その答えが、本当の理由だ」とも言えないんだ。

 

要するに・・・こうだ。

「自分は、こういう理由で死のうとした」と思っても、

外から冷静に見れば、違うかもしれない。

「もっと別なことが原因だった」かもしれない。

 

すなわち・・・・

「あいつのせいで、ひどい目に遭った」場合でも、

実際には、「本人の性格の中に、そもそも欠点があった」ということも、多いのだ。

 

そういうことは、世間にはよくあることだ。

 

 

例を上げよう。

「韓国人は、日本にひどい目に遭った」と思っているが、

実際は、「韓国の繁栄と近代化の基礎を作ったのは、他ならぬ日本である」わけだ。

それが客観的な間違いのない真実なんだぜ。

だろ?

 

・・・というわけで、

このブログの目的は、タレント清水由貴子の自殺の真実を伝え、

彼女の冥福を祈り、また読者各自が、「人生、どう生きたらいいか?」を、

真面目に考えて欲しいと思っているからだ。

 

これが、このブログを書く理由であり、

亡くなった清水由貴子も、それを望んでいるんだ。

 

まず確かなことは、

現在の彼女は、自殺を深く深く後悔していることだ。

 

最初にそれを伝え、まず彼女の生い立ちや家族構成から、簡単に見てみよう。

 

彼女は、1959年(昭和34年)9月7日、 東京・浅草で生れている。

ちなみに現在、ヒット大地が住んでいる、すぐ近くなんだ。

 

その後、1965年(昭和40年)、 東京・竹ノ塚団地に引っ越すも、

2年後の1967年、再び、浅草・駒形へ戻り、

この年には、7才下の妹・良子(よしこ)が誕生している。

 

翌年、ショッキングなことが起きた。

最愛の父が「心肥大」で急死したことだ。

 

そのため、生活苦が訪れた。

彼女は、米屋にしばしば、米を借りに行っていたという。

 

しかし、彼女は負けん気が強く、しっかり者であり、

中学校では、卓球部の副部長をし、活躍した。

 

またフォークソングに興味を持ち、ギターを購入している。

 

結果的に、幼児のころ父親に買ってもらったオルガンと、

このギターが、歌手・清水由貴子の誕生の要因となっている。

 

その後、高校生(東京・京橋商業高校)のとき、日テレの『スター誕生』に応募した。

 

『スター誕生』の彼女は素晴らしかった!

ヒット大地も実際に見たが、輝いていた!

 

なんと、決戦大会では最終的には、14社からの指名を受けているんだ。

(これ、メチャ、ものすごいこったぜ!)

 

それだけ、彼女には、大きな魅力があったってことだな。

 

その中から、「芸映」が彼女の所属事務所と決まった。

 

その後、彼女は、『お元気ですか?』という歌でデビュー。

これは、阿久悠作詞、三木たかし作曲の曲だ。

その結果は?・・・

レコード8.2万枚の売り上げで、オリコン最高が30位。

 

その後、『銀座の雨の物語』がレコード8.7万枚で、

オリコン最高25位・・・・、

結局、歌手では、期待されたほどの活躍は見せていない。

 

ただし、彼女の活躍の場は、他の方面に広がった。

女優、バライティ、情報番組のレポーターなど・・・だな。

またCMにも多数出演した。

多くのタレント仲間からは「ユッコ」と呼ばれ、とても愛された。

 

女優としては、4度の主演を初め、脇役は多数。

バライティは、萩本欽一の『欽ちゃんの週刊欽曜日』(TBS)が有名だよな。

これ、ヒット大地も、よく見たぜ。

小西とか、佐藤B作とか、風見とか、出てたな。

 

仕事は順調で、

1995年には、武蔵野に一軒家を購入。

ローンも、予定の半分の期間で返済している。

 

この「ローンの早期返済」は、

彼女の生真面目さや責任感の強さ示す、

何よりの証拠と言えよう。

 

話をちょっと横道にそらせるが、

今、ヒット大地は、この文章を執筆しているそばに、

清水由貴子がいる。

 

彼女は「早く、真実を書いて!」と、

朝からずっと、俺を急かしている。

 

その不思議な感覚は、口では言えず、俺にしか分からないが、

たとえて言えば、ゴムがピーンと張った状態だ。

また彼女の霊は、コンピューターにまでも影響を与え、

俺のパソコンは、いつもとは、全く違う、スピーディな作動を繰り返している・・・そんな状態だ。

 

さて清水由貴子が、ずっと気にかけていたことがある。

一つは母親(咲子)の病気だ。

 

これは重要なことなので、詳しく記したい。

 

由貴子がデビューして間もなく、母親は糖尿病と腎臓病を患った。

その後、合併症で、視力も低下していった。

また2005年ころには、家の中で転倒し、

腰の骨を折って歩行困難にも成っている。

これにより、武蔵野市に要介護認定を受けている。

2008年8月、母親は自宅で再び転倒。

今度は肋骨を折った。

(別のネットでは、2006年10月には、首も骨折・・・となっている)

 

このころには、視力をほとんど失い、認知症も出るようになった。

 

介護保険法に基づく要介護度は、「要支援2」から、最も重い「要介護5」になった。

このころ、母親は、週5回の介護支援サービスを受けるようになった。

 

清水家はずっと、独身の妹も含め、女ばかりの3人暮らし。

妹は、すし屋で働いていた。

 

次に、もうひとつ、由貴子が、ずっと気にかけていたことがある。

それは創価学会との関係だ。

 

事務所の社長が創価学会員ということもあるのか、

清水由貴子は、学会の仕事も、していた。

どの程度していたか、詳細はわからないが、

生真面目な清水由貴子は、仕事を請けるときは、

「自分は、学会員じゃないけど、いいですか?」

と確認していたようだ。

 

ところが、いつのころからか、

清水由貴子と学会の関係は、気まずいものになっていった。

 

で、清水由貴子の言うには、「かなりの嫌がらせを受けた」

と証言している。

これは彼女の肉声テープとして残っていて、

ネットにも、公開されている。

 

そのため、「創価学会の嫌がらせが、清水由貴子を自殺に追いやった」

と、考える人も多いようだ。

 

しかし、ヒット大地は、「それは直接の原因ではない」と思っている。

 

・・・じゃあ、なぜ彼女が自殺したか?

 

主原因は何なのか?

 

原因は多々あるが、以下、一番大きな原因を考えたい。

 

それは、「芸能界の仕事をやめたこと」・・・これだとヒット大地は考える。

 

このように、書くと、「それはおかしい」と反対する者がいるだろう。

 

なぜなら、清水由貴子は、自分から、2006年3月に、事務所「芸映」を辞めている。

そして、その後、地方のTVの仕事を少ししているが、

結局、そのうち芸能関係の仕事は、全くなくなり、

2007年9月には芸能界から完全に身を引き、

自宅近くの衣料品会社で、通信販売の電話オペレーターのパートを始めている。

 

人々は言うだろう。

「自分から芸能界を辞めたんだから、芸能界に未練はないはずだ」

 

しかし、それは全く違う。

 

清水由貴子が辞めたのは、芸能事務所だ。

芸能界ではないんだ。

芸能事務所を辞めた理由は、創価学会との関係もあったろうと思われる。

その他、いろいろ気まずい人間関係もあり、

責任感の強い彼女は、「身を引いた」わけだ。

 

繰り返すが、芸能事務所から身を引いたのであり、

芸能界から身を引いたわけではないんだ。

芸能界自体から、身を引くことは、常識的にも、考えられないことだ。

 

なぜなら、芸能界というところは、

一度経験すると、仕事がある限りは、

辞めることはほとんど考えらない世界なんだ。

 

芸能界を辞める人は、仕事がないから辞めるのであり、

清水由貴子のように、4度も主演を勤めた女優にとっては、

当然、大きな未練があってしかるべきだ。

 

報酬的にも、

電話オペの時給**円という世界とは、全く違い、

**十万、**百万という金が、一度に入ってくる。

 

しかも、皆からチヤホヤされる。

また自分の発言で、社会が変ることも多い。

自分の発言一つで、人々を救うこともできる。

人々を泣かせることもできる。

人々を感動させることもできる。

 

そういう芸能界から、完全に自分から身を引くことはありえない。

 

また、もう一つ言えば、妹は独身で、おすし屋さんで働いていたが、その収入と、

由貴子が芸能界で働き、稼ぐ収入を比べると、まさに雲泥の差だろう。

 

つまり介護は妹に任せ、自分は芸能界で働くのがベストなわけだ。

 

結論を言うと・・・・

由貴子は、芸能界を辞めたのではなく、

「続けたかったけど、いろいろな事情で、続けられなかった。あるいは仕事が来なかった」

・・・というのが、真実だろう。

 

 

ただ、他にも自殺の大きな原因はあろう。

 

それは「結婚」だ。

 

普通の女性にとって、「結婚」は、大きな夢だ。

 

彼女も、それを内心では、強く望んでいたことは間違いない。

 

20代、30代、40代初めのころは、仕事が面白く、

また35歳ころに購入した、豪華な家のローン返済もあり、

仕事中心でやってきた。

 

ところが、ふと気づくと、

自分ももう45を過ぎている。

 

45を超えると、もはや「いい結婚」は望めない・・・そう考えたのだろう。

まして、50歳になれば・・・それは無理だ!

彼女は、心の中で、そう結論付けてしまったと思われる。

 

しかも、50歳になれば、女性の体は、閉経に伴い、

更年期障害も、訪れる。

(注:閉経の平均年齢は、52歳ころだ・・・52・・・「ごじゆうに=ご自由に」と覚えて欲しい)

いや、彼女には、もう更年期障害が訪れていたとも思われる。

 

急に涙もろくなっていたからだ。

 

 

このように考えるとき、

清水由貴子という女性の、不器用さと生真面目さが、思いやられる。

 

平均的な女優であれば、

適当に男と遊び、

芸能関係者と適当にセックスして仕事をもらう・・・

いわゆる枕営業をしている者も、ずいぶん多いだろう。

 

また創価学会との関係にしても、

仕事をもらうために、

入信した・・・と、口では言いながら、

心の中では、信心など、ほとんどない者も、ヒット大地は知っている。

 

そういう、いい加減なことのできなかった女性、

それが清水由貴子という生真面目すぎる女性なのだと思う。

 

そんな彼女は最初、学会員には、すごく評判が良かったと思われる。

 

ところが、そういう評判のいい人ほど、「私は入会しない」と言うと、

ものすごく嫌われるもんなんだよな。

 

愛憎は「反比例」するんだよ。

愛が深ければ、憎しみも、また深くなるんだな。

 

それが彼女への嫌がらせにつながったわけだ。

(繰り返すが、嫌がらせ被害の肉声テープは残っている)

 

そして、もう一つ、清水由貴子の大きな勘違いがある。

それは・・・清水由貴子は、「芸能界と一般社会の違い」を、あまり深く考えなかった・・・これだ。

しかし、事実はどうか?

事実を言えば「芸能界と一般社会は、全く違う」ということだ。

とくに清水由貴子は、もはや「大物ベテラン」の仲間に、入りかけていた大タレントだ。

 

そういう女性が、一般社会に戻ろうとしても、

社会は、彼女を、一市井人としては、絶対に扱うはずがない。

電話オペの仕事をしているときも、きっと

「なんで、最近、テレビに出ないの?」

とか、いろいろ言われたと思う。

 

それは当然だよな。

 

一般人にとってはよぉ、清水由貴子は、「芸能人そのもの」なんだよ。

絶対に、彼女を、一般人の仲間には入れてくれないんだよ。

 

そのせいで、彼女は、深い孤独感を味わったと思う。

疎外感と言ってもいい。

その孤独感も、真面目な彼女を苦しめただろう。

 

もう一つは、先ほども述べたが、

更年期による精神の不安定要素だ。

これが、その孤独感に、さらに追い討ちを掛けたことだろうな。

 

これ、専門用語で、「気分障害」という。

 

清水由貴子の「気分障害」の場合、

具体的に、どの程度の症状かは、分からないが、

「もうすぐ閉経である」という事実だけでも、

女性を、大きな不安に陥れたのだろう。

 

・・・以上、いろいろな理由を述べたが、

今度は、逆から、原因を考えてみようか。

 

まず妹の良子の言うように、「主原因は介護うつ」というのは、

客観的事実を見てもおかしい。

なぜなら母親は・・・

 

1. 週5回の介護支援サービスを受けていた

2. 独身の妹も介護できた

3. いざとなれば、介護施設に入院させることもできた

 

という3つの事実を見ても、これが自殺の主原因とは、到底思えない。

(もちろん、大きな副原因ではあるが・・・)

 

早い話が、由貴子が、今すぐに結婚しても、

取りあえずは、妹に母を託せばいいわけだ。

 

 

じゃあ、なぜ「介護うつ」を、主原因にする人が多いか?

その理由であるが・・・

これについては、gooブログの字数制限の関係で、

後半で述べたいと思う。

 

明日の内容は・・・

 

1. 死因の全貌・・・・

2. なぜ父の墓前で死んだか?

3. 「いかにすれば、自殺を回避できたか?」

 

・・・・をアップするので、ぜひ読んでほしい。

 

それでは、読者にとって、今日も、いい一日であることを願っているぞ!

 

(明日につづく)