新約聖書を読むと、
イエス・キリストは、
とんでもない男だったことが分かる。
ユダヤ教の戒律を
どんどん破った。
静かに休息すべき安息日にも、
いろいろな活動をした。
母親が、会いに行っても、
拒絶した。
実は、ヒット大地も、
とんでもない男だ。
父親の葬儀にも出席せず、
このブログでは、
使ってはいけない言葉、
キンタマとかオマンコなどを、
ときどき使用している。
なぜ、イエスは、戒律を破ったか?
その理由は、彼は本当に神を愛していたからだ。
神を真に愛するとき、戒律なんて、屁のようなものだとわかったわけだ。
そんなことよりも、貧者への愛が一番大切と気づいたんだ。
ヒット大地も同様だ。
神様の目からご覧になると、
冠婚葬祭などは、どうでもいいことだ。
そんなことよりも、一人でも、日夜、貧者や弱者を救いたいと思っているんだ。
ただ、読者の中には、
「日本の掟は守るべきだ」と考える人も多かろう。
「言葉遣いは丁寧に」と考える人も多かろう。
そういう人は、どうぞ、
他のブログをお読みください!・・・と言うしかない。
ヒット大地、昔は丁寧な言葉を使っていた。
でも、弱者は救われず、自殺者は増えるばかり。
そこで、考え方を変えたんだ。
崖に向かって進む人々に対し、
「おまえら!さっさと、俺の言うことを聞かんかい!」
と、大声で怒鳴ることにしたんだ。
首根っこをつかんで、引き止めることにしたんだ。
それはヒット大地の、本意ではないが、
でも、そういう乱暴な行為や言葉遣いで、一人でも、
「ハッ」と我に返る人がいれば、それでいい・・・と考え方を変えたんだ。
そう!
自分の心の奥の良心に目覚めるためには、
ストレートな言葉遣いが必要ってわけだよ。
それで、ときには、あえてキンタマ、オマンコなどを使用するわけだ。
そういう言葉を使うことによって、
心を飾っている、虚栄心とか、体裁などを、かなぐり捨てて欲しいんだよ。
いいか!
人は、裸に成れば、海中でも、浮くんだよ!
裸になれば、自分を救うことが、できるんだよ!
そう。
ヒット大地のブログは、魂の叫びだ!
ヒット大地は思っている!
もしも日本社会のチッポケなルールを守りたい人は、
彼らは、幸福な人たちなのだろう・・・ってな。
そういう人は、ヒット大地のブログなど、読む必要はないだろう。
ヒット大地のブログを読んでほしい人は、
今、本当に、困ってて、
本当に、真理を知りたくて、
本当に、自分を救いたい人!
そういう人に俺のブログを読んで欲しいと思っているんだ。
そういう人は少ないかもしれない。
でも、そういう人を救うのが、ヒット大地の役目なんだ!
この世に生まれてきた理由なんだ!
ヒット大地はいつも考える。
もしも現在、イエス・キリストがこの世に現れたら、
今のキリスト教徒の99.9%は、誰も、イエスの言うことなんか、聞かないだろうな・・・
そう思うんだ。
そして、それだけは確かだってな。
つまり、現在のキリスト教徒は、ほぼ全員、ニセモノだ・・・ということになる。
きれいな服を着飾っている坊さんなんかに、
イエスの本当の心が分かるはず、ないではないか!
だろ?
イエスは、神様を、「父っつぁん!」て、呼んでいた男なんだ。
イエスにとって、神様は、そういう身近で、絶対的な存在だったんだよ。
ま、きれいな服を着飾っている坊さんには、わかるまいが・・・・な。