ずいぶん前のブログで、俺は述べた。
陸軍軍医・森鴎外のせいで、
日露戦争で、6000~30000の兵士が、
脚気で死んだ。
(ただし、どの程度の責任かは、断定はできない)
この問題に関して、
一人の読者(Sさん)から、
名前を付記して、メールで質問を受けた。
「森鴎外は地獄に行くの?」
こういうメールは大歓迎なので、
これからも、送ってほしいと思っている。
ただし、できれば、年齢、職業なども、
書いてもらうことを望む。
なぜなら、
たとえば、俺がタバコの悪口を書けば、
タバコ会社の人が、反対するのは当然で、
そういう人に、俺が反論を述べても仕様がないからだ。
ところで、今回の質問であるが、
はっきり言うと、
森鴎外は、地獄には行かないと思う。
なぜなら、脚気で死んだということは、
戦争で戦って死ななかったわけで、
殺人を犯して死ぬ人よりは、
まだマシとも言えるからだ。
また森鴎外は
作家として、また医師としての役割り、
その他の陸軍行政の中の役目・・・・
そういう機能も、ある程度きちんと果たしているわけであり、
相当の来世は保証されると思われる。
つまり、俺が言いたいのは、
神の裁きと言うのは、
「***をしたから、****だ」というのではなく、
その個人の行動を総覧し、
また、その個人の精神的レベルを判断し、
総合的に決定するものであり、
ひとつの出来事だけで判断してはいけない・・・ということだ。
一言で言えば、
「個人を総合的に見る」ということだ。
だから二人の人間、AとBが、同じことをしても、
神様の審判は全然違うということも、当然のことだ。
次に、Sさんの二番目の質問は、
「世の中には、必要悪というものもあり、それは、
宇宙の中では、悪も必要ということを意味するのではないか?」
というものだった。
これも、先ほどの質問の答えと似ているが、
個別性というものが非常に重要になる。
つまり「絶対悪」というものが客観的に存在するのではない。
たとえば猛毒の青酸カリも、金属メッキには、必需品だ。
女性の嫌がるミミズも、
いい畑を作るには、
大変役に立つものだ。
味噌汁を作るときだって、
「味噌の量」が、一番重要だ。
入れすぎたら、しょっぱすぎ、
足りなかったら、薄味になる。
もしも腐敗菌が存在しなければ、
これまた、大変なことになるだろう。
太った人に、
「デブ!」という人だって、
受け取り様によっては、
「その悪口のおかげで、ダイエットに努力し、健康になる」こともあるし、
逆に、
「頭に来て、殺し合いの喧嘩になる」かもしれない。
売春婦も、
一般女性の貞操を守るためには必要だし、
じゃあ売春婦の来世はすばらしいかと言うと
それは一人ひとりの売春婦の精神レベルにより、
神様が判断されるもので、
人間ごときが、判断できるものではない。
ただ確かなことがある。
俺たちの心のレベルが高ければ、
どんなに悪いものでも、
うまく利用できるということだ。
勝海舟は、
江戸開城のとき、
江戸のヤクザの親分たちと前もって会談し、
江戸に混乱が起きないように、取り計らったという。
そう。
心のレベルが高ければ、
ヤクザも悪ではなくなるのだ。
逆に、薬だって、
服用を間違えたら、死ぬこともある。
そして、最後に言いたいこと・・・
「どんな悪でも、未来は開かれている」・・・ということだ。
つまり・・・・俺たちは、いかに困った状態でも、
それをプラスに逆転できるということだ。
すべては、俺たちの心次第ということになる。
だから結論を言うと、
{*****だから、*****だ}
という決め付けの先入観は、常に間違っている・・・ということだ。
「悪」が役に立ったとき、
それはもはや「悪」ではない。
ただそうは言っても、
悪になりやすい行為は、いろいろあることは、容易に想像はつく。
人殺し・・・うそつき・・・窃盗・・・不倫・・・などだ。
それを神様は、
十戒という形で、聖書の中で、示されたわけだ。
でもモーセは人を殺しても、
神に許されている。
だから殺人だって、絶対悪ではないわけだ。
要するに、すべては、
「個別性」の中で処理されるということだ。
Sさんは「必要悪」と言ったが、
その悪を「必要なもの」とするのは、
その個人の能力なのだ。
決して、「必要悪」が、客観的に存在するわけではない。