元日恒例の隅田川に行き、
浄霊を行なった。
光る川面を見て、
合掌した。
世界平和を祈った。
そしていつものように、
ポップコーンをもっていった。
カモメたちにあげるのだ。
鳥たちって、本当にかわいいね。
人間より、ずっと好きだ。
元日恒例の隅田川に行き、
浄霊を行なった。
光る川面を見て、
合掌した。
世界平和を祈った。
そしていつものように、
ポップコーンをもっていった。
カモメたちにあげるのだ。
鳥たちって、本当にかわいいね。
人間より、ずっと好きだ。
ネットに、
よくありそうな年末の夫婦喧嘩が載っていた。
二人は共稼ぎ。
だから夫は、正月は、妻にゆっくり休んでもらいたい。
でも妻は、お節を、どうしても作りたい。
そもそも、夫は、お節なんか、どうだっていい。
別に食べたくもない。
黒豆?ナマ酢?昆布巻き?栗きんとん?・・・
そんなの、どうでもいいじゃないか!
今は飽食の時代だ。
スーパーに行けば、おいしいモノはいくらでも売っている。
でも妻は、どうしても作りたい。
だから大晦日、一生懸命作っている。
台所に立ちっぱなしでがんばっている。
夫は、そんな妻を、冷ややかに見ている。
(バカバカしい!ゆっくり休めばいいのに!)
そして、夫は、年末のテレビを見ている。
酒も入っている。
ゲラゲラ笑う。
妻はシャクに触る。
夫が笑うたびに、いらいらする。
たまらず、夫に言う。
「私はたちっぱなしなのよ!
ちょっとは、ありがとうとか、言えないのかな?」
夫は、言い返す。
「お節なんか作ってくれなんて、一言も言ってないよ。
むしろ、最初から、要らないって言ってるんだからな」
妻はカチンとくる。
「でも自分で作った方が安上がりでしょ!」
夫は、言い返したい。
でもバカバカシしい。
彼は、そもそもお節など、全く食べたくないのだ。
だから、またテレビを見て、再度、ゲラゲラ笑う。
妻は、頭に血が上る・・・
そして言う。
「そもそも、あなたには思いやりがないのよ!」
夫は黙っている。
黙っているけど、内心では、こう思っている。
(俺は妻に対する思いやりがあるから、
「何も作らなくていい」言っている。
妻に対する思いやりがあるから、
「ゆっくり休んで欲しい」と言っている。
妻に対する思いやりがあるから、
「お節なんか、食べたくない。作らなくていいよ」と言っているんだ)
・・・こうして、この夫婦、翌朝も、ずっと口も聞かない。
夫はお節を食べる気には、全くなれない。
妻も、自分だけ食べるのも空しいので、
全く食べていない。
冷蔵庫に入れっぱなしだ。
・・・ああ、よくある家庭風景だ。
このケースでは、
女は「世間的ないい妻」になりたいようだ。
「あなた、お節を作るいい妻なのね」・・・
と世間に褒められたいのだ。
ただし、世間に褒められたとき、
夫に嫌われる女になっている。
世間と夫の両方から、褒められることはできないわけだ。
妻は、「夫の好む女になりさえすればいい」のに・・・・。
ところで俺も20年前に、同じ経験した。
そして離婚した。
今でも思う。
俺は妻のことを、きちんと考えていたつもりだ。
俺の結婚は6年半続いた。
1ケ月で別れた夫婦もいる。
タレントの高見恭子だ。
彼女は、「世間的に理想的な妻」を演じようとして、
1ケ月で、夫に嫌われた。
もう一度言おう。
妻は(すべてとは言わないが)基本的に、「夫の好む女になりさえすればいい」。
結婚した以上、
夫は妻のことを、親身に考えているもんさ。
違う?
泉谷しげる・・・本当は、弱い人間だ。
生年月日を見れば、一目でわかる。
彼は『恋から』で、
学生時代の小林麻耶を泣かした。
髪をつかみ、
引きずり回したのだ。
女学生を泣かすとは、
トホホだ。
また先日も、
音楽スタッフを殴った。
絶対的に立場の弱いスタッフを殴るとは、
これもトホホだ。
彼は、『笑っていいとも』で、
歌を歌った後、ギターの弦を、ブチ切った。
俺は大笑いしつつ、怒った。
「このバカめ!モノを大切にしろ!」
昨日の紅白(2013年12月31日)、
泉谷しげるは、
手拍子する観客に向かって、
「おい!手拍子してんじゃねえ、誰が頼んだ!」
と怒鳴った。
泉谷を見てると、
かわいい。
彼は他人が怖くて仕様がないんだろう。
泉谷は、
世間の同情の下で生きている。
世間も、彼が弱い人間だってこと、
心の中では、わかってるんだろう。
5歳のヤンチャな坊やのように・・・。
でも、たまには、彼をTVで見たくなる。
俺は彼が好きなのかも知れぬ。
ウドンに、唐辛子は必要だから。
『桜っ子クラブ』は、
1991年4月13日から1994年8月27日まで、
テレビ朝日で放送されたバラエティ番組だ。
メインキャラクターは、桜っ子クラブさくら組。
さくら組は、約40名の女の子から構成されていた。
彼女たちは歌を歌い、
『なにがなんでも』『DO-して』などを発表している。
また、これらの歌をステージで歌っている。
先日、彼女たちのビデオを久しぶりに見た。
踊りながら、歌を歌っていた。
じっと見ていると、
カメラが自分を捕らえたとき、
カメラに向かって笑いかける三人の女性がいた。
この一瞬の出来事ができたのは、
菅野美穂と加藤紀子と井上晴美だ。
踊りながら、歌を歌うとき、
カメラ目線で、笑いかけるのは、
ある程度、心に余裕がないとできない。
そして、この三人の女の子は、
その後、三人とも、ブレイクした。
その他の、ほとんどは無名のまま、消えていった。
俺は面白いと思った。
カメラが自分を捕らえるのは、
ほんのわずかの時間だ。
一瞬と言っていい。
そのとき、カメラに向かって、笑いかける!
俺は思った。
人生も、そういうものかもしれない・・・って。
神様は、万人に運を与えられる。
でも、その運に対し、
自分の方から笑いかけられるのは、
わずかなのだろう。
皆、義理とか人情とか、
そういうことに心を奪われ、
運を取り逃がす。
神様への微笑返し!
これができるかどうか!
・・・・それが、ホンマモンの人間になれるかどうか?
の違いなのだと思った。
忙にいて、閑を忘れず!
閑とは「のどか」という意味だ。
『Amazing Grace』
・・・・なんと、すばらしい歌なんだろう!
Graceとは、「神の恩寵」という意味だ。
これなくて、
俺は、一瞬も生きられないだろう。
これがあるから、
俺は、未来に希望を寄せられる。
これがあるおかげで、
俺の心から、悩みは消え、
俺の心を、喜びが満たす。
2014年の新春を迎えるに当たり、
大地一人、
久しぶりに、『Amazing Grace』
・・・・英語の歌を訳してみた。
なぜなら、「この世とは、まず神の恩寵ありき」・・・だからだ。
花が美しいのも、空が青いのも、
天体が規則正しく公転するのも、
すべて神の恩寵のおかげなのだ。
まったくもって、元旦にふさわしい歌なのだ。
神を知らずして、真の幸福に至ることは、決してないであろう。
・・・・・・・・・・・・・・
Amazing Grace(驚くべき、神の恩寵)
訳:大地一人
Amazing grace!
How sweet the sound!
That saved a wretch like me!
I once was lost, but now I am found;
Was blind, but now I see.
驚くべき神の恩寵!
なんと甘美な響きなんだろう!
神の恩寵は、私のような、みじめな人間を救われた。
かつて私は、道に迷い、しかし今、目の前には、道がある。
かつて私は、盲(めしい)であったが、今は見ることができる。
'Twas grace that taught my heart to fear,
And grace my fears relieved;
How precious did that grace appear!
The hour I first believed.
私に、恐れることを教えてくれたのは、神の恩寵であった。
そして、その後、私の恐れは、神の恩寵により、癒(いや)された。
最初に私が神の恩寵を信じたとき、
それは、なんと貴(とうと)く感じられたことか!
Through many dangers, toils, and snares,
I have already come;
'Tis grace hath brought me safe thus far,
And grace will lead me home.
幾多の危険、幾多の苦労、幾多の試練を潜り抜け、
私は今、ここまで来ることができた。
神の恩寵は、無事に私を、ここまで導いてくださった。
そして、神の恩寵は、私を、
永遠のすばらしき我が家へと、届けてくださることだろう。
Amazing grace!
how sweet the sound
That saved a wretch like me
I once was lost, but now I am found
Was blind, but now I see.
驚くべき神の恩寵!
なんと甘美な響きなんだろう!
神の恩寵は、私のような、みじめな人間を救われた。
かつて私は、道に迷い、しかし今、目の前には、道がある。
かつて私は、盲(めしい)であったが、今は見ることができる。