支那の刑罰は、
実に恐ろしい。
古代の文献を見てみると、
男のキンタマを、切り取ってしまう「宮刑」や
足を切ってしまう「足切の刑」などが載っている。
支那では、
「悪いヤツ」は、見せしめのためにも、
徹底的に、痛めつけてやれ・・・という思想があるからだ。
朝鮮も残酷だ。
犬を平気で食べるし、
しかも死ぬ前に、うんと痛めつけた方が、
血が全身に充血し、化学物質も放出され、
おいしいとされている。
日本は全く逆で、
江戸時代には、
肉を食べることさえも、はばかられた。
だから鶏も、卵は食べたが、
肉を食べないことも多かった。
以上は、『逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)』 渡辺京二著・・・に出ていることだ。
現在でも、日本の囚人は、
「懲役刑」が中心だ。
そして刑務所の中では、
「矯正教育」がされる。
つまり、「オマエは、悪いことをしたが、
もう一度、心を入れ直して、がんばれ」
という精神が、日本の司法制度の中にはある。
宗教観もそうなっていて、
たとえ悪人でも、
「仏様」になる可能性はあるし、
そのために、「浄霊」とか「御護摩祈祷」などが行なわれる。
つまり日本人は、死んだ人も、
その魂を救おうとするのである。
逆に、もし彼らの魂を見捨てると、
それは怨霊や地縛霊となり、
人々を苦しめたり、
この世に災害をもたらすと思われている。
また日本の鬼は、どこかユーモアがある。
『泣いた赤鬼』という、浜田廣介作の児童文学もある。
そもそも「鬼」という言葉も、
日本語では、いい意味にも使われる。
「鬼籍に入る」とか「鬼才」とか「鬼脚」など、
いずれもいい意味だ。
靖国問題では、
A級戦犯、BC級戦犯、いずれも、合祀されている。
その理由は
「たとえ生きているとき、どんなことをしても、
彼らの魂を見捨てるよりも、
彼らの死後の魂を、浄化する方が、
ずっと、この世のためになる」
という日本独特の宗教観があるからだ。
俺は、全く、これは正しいと思う。
今、支那は、チベット人を虐殺しているが、
将来の支那は、真っ暗だろう。
なぜならチベット人の怨霊が、
支那の未来を食いつぶすからだ。
同様に、北朝鮮も、粛清などをやっているが、
粛清された者の怨霊は、
将来の北朝鮮に大いなるマイナスであろう。
死後も人間は、生き続けるのである。
とすれば、
死者の魂を、見捨てるよりも、
靖国で合祀し、「どうか、やすらかに眠ってください。
そして貴方たちの力で、世界に平和をもたらしてください」
と祈るほうが、1万倍も、正しいことではないだろうか?
見捨てられた霊は、ヤケのヤンパチで何をするかわからん。
前回も書いたが。
崇徳天皇、菅原道真、平将門たちの霊は、
大きな災害をもたらした。
そういうことが、実体験として、わかっているからこそ、
日本では、彼らを祀る神社や寺院が、
建立されているわけである。
靖国問題の結論を言おう!
靖国にA級戦犯、BC級戦犯を合祀し、
彼らの魂を、鎮魂することは、
世界の平和と安寧に役立つことであり、
支那や朝鮮にとっても、
非常にプラスになることなのだ。
そして・・・
A級戦犯、BC級戦犯の魂をないがしろにすることは、
支那や朝鮮への恨みとなって、
両国の未来は、真っ暗になることなのだ。
しかも・・・・
戦後の日本を見てくれ!
戦後70年、日本は、
ずっと世界一の平和憲法の下、
平和を維持してきた。
全国民に、平和希求精神は染み付いている。
しかも国際貢献も、世界一、がんばってやってきた。
それは数字が如実に示している!
武器を輸出し放題の支那とは大違いだ。
支那は、金儲けのために、せっせと戦争を輸出しとるんや!
そう!
靖国に関しては、
そもそも、中韓と日本の宗教観は、まるっきり違う。
だから、わけのわからん「子供じみた難癖」はつけんでくれ!
中華思想にこりかたまった支那よ!
小中華思想にこりかたまった朝鮮よ!
おまえらは何もわかっちゃおらん!
口を慎め!
無知は無知なりに黙っておれ!
情けないやっちゃで!