最近、タレント・春香クリスティーンのTV発言が、
物議をかもしている。
2013年12月26日の
「もしもドイツの首相が、
ヒトラーのお墓に墓参りをした場合、
他の国はどう思うのか?」
という発言だ。
この21歳のお嬢さんは、
何もわかっていないようなので、
大地一人が説明することにしよう。
まず戦前の日本に、断言するが、
「ヒトラーのような独裁者」は
一人もいなかった!
ここから話を始めようか!
まず昭和天皇であるが、
基本的に、自分の意見は発言しない・・・
というのがルールだった。
政策や作戦は、一切、重臣たちに任せ、
天皇のすることは、
「疑問点を、尋ねる」
という形式だけだった。
ところが、重臣たちの言っていることが、
しばしばウソが多いということが、判明した。
そこで、止むを得ず、
昭和天皇が、政策や作戦に、
口を挟むことも一部、行なわれた。
しかし、基本的には、
信頼できる重臣の言うことには、
素直に従った。
・・・以上が、昭和天皇のスタンスであった。
昭和天皇は、もし口を出したら、
「自分も抹殺される」と思っていた。
「陸軍は自分を殺して、秩父宮を天皇にしようとしている」
と考えていたんだ(これ、ホントだよ!)。
そして・・・
これは言うまででもないことであるが、
開戦と終戦の詔勅も、
他人が作ったものを、
天皇が読んだだけの話だ。
次に、首相の東条英機であるが、
彼も独裁とは程遠~い。
戦後の彼は、
「いかに自分が、軽んじられていたか」
を怒りとともに、愚痴っている。
そう。
首相だった彼の言うことは、半分くらいしか、
聞き入れられなかったのである!
だから彼は腹いせに、
言うことを聞かない者を、
左遷したり、予備役にしたり、
激戦地に送ったのである。
殺すためである。
次に、軍部独裁・・・と、よく言われるが、
これも、半分は、間違いだ。
なぜなら、軍事の基本政策は、
執行部である「内閣(長は首相)」と「大本営(長は参謀総長)」が
決定し、議会に一部責任を負いながら、実行していたし、
また当時のマスコミだって、
基本的に、自分の判断で文章を書いていた。
そもそも軍部独裁なんて、こっけいだぜ。
なぜかって?
武藤章(陸軍中将)、こう言っている。
「当時の軍部はバラバラだった。
戦争だって、訳のわからぬまま始まり、訳のわからぬままに、
終わったようなもんだ」
そう!
当時、陸軍と海軍は、犬猿の仲であった。
また陸軍も、作戦部と資材部は、いつもケンカしていた!
その上、陸軍大臣と大本営参謀総長もケンカばかりだ。
首相兼陸軍大臣東条は、
あまりに、参謀総長が言うことを聞かないので、
最後は、参謀総長も兼任している。
海軍も同様だった。
海軍大臣と軍令部総長との間には確執があった。
当時の海軍では、
空母と戦闘機の地位が飛躍的に伸びていた。
だから、それを管轄する海軍航空本部と、
従来の戦艦・駆逐艦などを管轄する海軍艦政本部とのケンカは、
すさまじいものがあった。
つまり陸軍も海軍もケンカだらけ!
(注:当時、空軍はなかった)
ってわけで、
軍部の独裁などは、ウソであり、
そんなバラバラなら、独裁をしようにもできないではないか!
だろ?
ただしマスコミや国民への「小さな取締り」に関しては
軍部の圧力が、しばしば、威力を発揮した。
またマスコミの検閲も、非常に厳しい部分もあった
(たとえば作戦に関する記述など)
その他、戦前の日本には、統制を合理化するために、軍需省が設置された。
そして法律として、「国家総動員法」や「国民徴用令」など、
以下に述べる統制令が発令された。
(「電力管理法」(1938年)
「国民徴用令」「米穀配給統制法」「賃金統制令」「地代家賃統制令」(1939年)、
「生活必需物資統制令」「農業生産統制令」(1941年)、
「食糧管理法」「日本銀行法」(1942年)など)
これらは、国民の生活を束縛したが、
しかし全部、日中戦争が始まってからできたものであり、
どの国も、戦時中は、多かれ少なかれ、
似たような法律を作るもんだよ。
だろ?
その他、政党は昭和15年大政翼賛会で、
一応まとめられたが、悲しいかな、
内部を見たら、バランバランであった。
昭和17年4月30日に、
衆議院の翼賛選挙が行なわれ、
東条内閣は総選挙に初めて、
候補者 推薦制度の導入を決定したものの、
推薦されない議員が、80名以上も当選しているんだ。
軍部に批判的な斎藤隆夫も、当選しているんだぜ。
このよう、ずらっと見ていくと、
戦前の日本には、
ヒトラーのような独裁者などは
まったく存在しなかったのは明らかだ。
それどころか、皆が、どうしていいかわからず、
右往左往していた・・・というのが、悲しい実情だ。
ただし戦争はしていたので、
国民全体はがんばった。
そして耐えていた。
たとえば学校教育でも、軍事教練や皇国思想の徹底があった。
その他、女子挺身隊の創設・・・・
男たちは、在郷軍人会や町内会、
そして婦人たちも、愛国婦人会や国防婦人会に加入し、
その他、宗教団体や芸能界も、慰問などをしながら、
戦争に深く協力していた。
笑っちゃうのは、愛国婦人会と国防婦人会の会員獲得合戦の激しさだ。
日本は、縦割り行政の国だから、
どこでも、ケンカが絶えないようだ(笑)。
やっぱり滑稽だ。
当時、スローガンは、たくさんあった。
「欲しがりません勝つまでは」
「ぜいたくは敵だ」
「鬼畜米英」
「うちてしやまん」
「挙国一致」
そして、
「兵隊さんも、がんばっているんだ」と思い、
皆が艱難辛苦に耐えていた・・・というのが、
当時の日本の実情だろう。
そして実際、
終戦直前は、
日本の都市は、軒並み空襲を受け、
最後は広島と長崎に原爆を落とされた。
それで、ジ・エンドや。
他方、ドイツはどうだろうか?
ドイツは、第一次世界大戦に負けたあと、
1919年パリ講和会議が開かれ、
ヴェルサイユ条約が、
ドイツと連合国の間で締結された。
この条約により、
ドイツは、
天文学的な賠償金を支払うことになり、
その結果、ドイツ経済は、
ハイパーインフレ、膨大な失業者など、
著しい経済の疲弊を招いた。
このような絶望的な状況の中、
ヒトラーの率いるナチスは勢力を伸ばしが、
これは選挙という合法的な手段によるものであった。
ヒトラーが首相になってから行なった経済政策は、
非常に効果的なものであり、
600万人の失業者を
一気に50万人にまで減らした。
(具体的な方策は、大量の国債を発行し得られた資金で、
アウトバーン建設を初めとする公共事業を行なうものであった)
また労働者は、
自家用車であるフォルクスワーゲンを持ち、
また海外旅行などのリクリエーションを楽しむことができるようになった。
こうしてドイツ国民の絶対的支持を勝ちとったヒトラーは、
さらに権力を得ようとして、
ワイマール憲法48条に規定のある大統領緊急令を発令した。
これがヒトラー独裁の第一歩であったが、
その後の選挙でも、
第一党には、なったものの、
過半数を取れなかった。
そこで、他の政党やカトリックと手を結び、
結局「全権賦与法」を国会通過させ、
独裁者となったわけだ。
ヒトラーは、自らを「総統」と称し、
また人々は、ヒトラーを見ると、
右手を挙げて、
「ハイル、ヒトラー(ヒトラー万歳)」
と敬礼するようになった。
もはや完全な独裁者である。
そしてユダヤ人の迫害を
大規模かつ組織立ってするようになったが、
日本の場合は、
朝鮮人の迫害は、組織立って行なっていない。
(ここは非常に大切だ!)
日本人が朝鮮人の迫害をしたように見えるのは、
それは「個別ケース」である。
たとえば、日本の若者は戦前、
学校では、平気で上級生から殴られていた。
これは山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読めばわかる。
また軍隊に入れば、初年兵は、
殴られ放題だった。
この資料は無数にある。
また共産主義者や無政府主義者などは、
官憲により、拷問され、虐殺された。
日本の女性たちも、
『女工哀史』(1925年(大正14年)、改造社。細井和喜蔵著のルポルタージュ)や
『あゝ野麦峠』(1968年山本茂実著のノンフィクション)などに見られるように、
きわめて悲惨な状況であり、
また「ハナイチモンメ」の歌にあるように、
東北などの少女は、
売春婦になるべく、売られていった。
大阪の娼婦たちの平均寿命は20台だったという。
性病で亡くなる子が非常に多かったようだ。
北国の兵士たちは、
真っ先に激戦地に、送られていたことも、
公然の秘密だった。
また朝鮮人は、
日韓併合前は、両班階級の支配下にあり、
ひどい虐待を受けていた。(イザベラ・バード「朝鮮旅行記」)
李氏朝鮮時代は朝鮮人の4割は奴隷階級であった。
また戦後も保導連盟事件(1950)で、韓国政府より、
20万人以上、虐殺されている。
また戦後の半島や日本で、
朝鮮人は、日本人に対して、
信じられないほどの乱暴狼藉を働いた。
また朝鮮人は、小中華思想により、
日本人を「チョッパリ」と軽蔑し続けてきた。
日本が朝鮮を差別した歴史は、
あったとしても、ほんのわずかだ。
しかし彼らは、何千年も、日本を軽蔑し続けてきたんだぜ!
どっちがどうよ!
そういうことを全部考えた上で、
朝鮮人迫害を評価してほしい。
すると、『個別的にはあったが、
組織的にはなかった』というのが正しいことがわかる。
だから「自分は個別的に、朝鮮人が迫害されているのを見た」とか
「周りの人が、朝鮮人を差別していた」いう事実だけで、
「ああ、朝鮮人は、かわいそうなんだ」とは、
絶対に思わないでほしい・・・ということだ。
俺も「朝鮮人は、かわいそう」とは思えない。
あくまでも、「あの朝鮮人は、かわいそう」というのが正しいと思う。
日本人から見て「憎たらしい朝鮮人」も山ほどいるのである。
これが支那人となると、まったく逆だろう。
2000年以上も、
中華思想により、
日本を「東夷(東に住むケモノ)」呼ばわりしてきた。
ほんの一時期、支那人を「チャンコロ」と呼ばれたからと言って、
それがどうしたというのであろうか?
だろ?
しかも日本人は、戦時中、多くの支那人を助けたのである。
虐殺しまくったというのは、そのほとんどは、
中共幹部の捏造した「まやかしの数字」だ。
いつも言ってるが、俺は基本的には、
支那人も朝鮮人も好きだ。
大好きと言っていい。
というより、
俺は全民族平等だと思っている。
男女も平等だと思っている。
万民が平等だと思っている。
しかし現在のように、ほぼ90%以上は、
デタラメの嘘っぱちばかりが、
喧伝されているのを見ると、
東国原じゃないが、
「どげんかせんといかん」
と思い、連日、ブログに書いているというわけさ。
マスコミも大学教授も
何もわかっちゃいないんで、
俺のようなバカでも、
書かんといけんわけや。
ってわけで、
ここしばらく支那や朝鮮の批判を書いているが、
ま、悪く思わんといてえな!
だって、俺の言うこと、
ホンマモンの真実やさかいな!