日本プロ野球の歴史で、
最も変わったものは、投手の起用であろう。
大地一人が子供の頃、
ピッチャーは、
先発もすればリリーフもした。
その結果、
金田正一は先発勝利 268勝であるが、救援勝利 132だ。
その他・・・
秋山登は 通算193勝だが、先発勝利が104勝、救援勝利89勝。
杉浦忠は、通算187勝だが、先発勝利が112勝、救援勝利75勝。
皆川睦雄は、通算221勝だが、先発勝利が134勝、救援勝利87勝。
稲尾和久は年間42勝の記録を持っている(1961年)が、
そのときも先発勝利24、救援勝利18であった。
俺が子供の頃は、
ダブルヘッダーがあり、
一日2試合やっていた。
秋山登はなんと、このダブルヘッダーで、連勝5回なんて記録がある。
つまり5回も、一人で一日2勝しているわけだ。
今では、とうてい考えられない。
つまり「この試合は勝ちそうだ」と思われたときは、
第一試合で完投していても、秋山は、
第二試合で投げたわけである。
この秋山登は登板過多で有名だ。
1962年には、72試合に登板!
(一年の試合の半分以上に出場!)
阪神戦では(戦後唯一の)2日連続完封勝利も達成!
(しかも、この年26勝12敗。防御率1.92!・・・すごすぎて、笑っちゃう!)
1960年の日本シリーズでは4連投だ。
彼は1956年から1964年までの9年連続50試合以上登板。
これも日本記録である。
彼は大学時代から、記録を作っている。
明大時代は、954年春に東大戦で
1試合22奪三振の六大学野球新記録を達成している。
すべて今では考えられない記録である。
(ただし9年連続50試合以上登板は、中日の岩瀬も達成した)
実は金田の400勝だって、
そうやって出来上がったものなのだ。
逆に、
現在のプロ野球の先発投手は、
明確なローテーションがある。
したがって、
投げるのは、一週間に1度程度である。
その結果、
最多勝の推移は、2000年以降のセリーグでは、以下のようになっている。
14、14、17、20、17、15、17、16、17、16、15、18、15、16
(平均は、16.5勝である)
16.5勝でも、13年続ければ、200勝になる。
逆に言えば、13年間毎年、最多勝投手にならなければ、
名球会には、入れないわけだ。
むろん、15年投げるとして、ある年は、6勝と7勝をしても、OKだが、
現代では、かなり厳しい条件だと言わねばならない。
金田正一は実働20年で、400勝した。
とすれば、7回くらいは最多勝を取ったと思うが、
しかし最多勝記録は、たった3回しか経験していない。
最多勝を3回以上取った投手はたくさんいる。
スタルヒンは6回。
稲尾は4回。山田久志と鈴木啓示は3回だ。
金田は逆に298敗もしている。
これ、日本記録だ。
4勝したら、必ず3敗はする・・・という割合だ。
生涯防御率は、さぞかし3位以内くらいかと思ったら、
2000回以上投げた投手の中では、
なんと10位に過ぎない。
以下のように、よく言われる。
「金田は、国鉄という弱小球団にいながら、400勝したのはすごい」
というが、これは大ウソである。
350勝の米田哲也が言っている。
「俺は、弱小球団にいたから、350勝できた!」
これは、すごく正しい!
その証拠に金田は、巨人に移ってからは、
ひどい成績である。
金田の15年間の国鉄時代の勝利数は・・・
8、22、24、23、23、29、25、28、31、21、20、20、22、30、27
・・・だ。
5年間の巨人時代は・・・
11、4、16、11、5
・・・だ。
移籍の前3年が、22、30、27なのに、
移籍後は、11、4、16だ。
がたっと落ちている。
あまりに違いすぎる!
つまり投手というのは、弱小球団にいるほど、
勝ち星を増やせるのである。
東尾修がいい例である。
黒い霧事件(1969年)のあと、
東尾は西鉄で、実力もないのに投げ続けた。
投手がいないからである。
そして通算、251勝をあげた。
まして、当時のような、
勝てそうな試合は投げる・・・という登板スタイルではそうである。
もうひとつ証拠がある。
通算310勝の別所毅彦は、巨人で221勝しかあげていない。
通算303勝のスタルヒンも、巨人では199勝しかあげていない。
その他、巨人在籍だけで200勝できたのは、
なんと堀内恒夫の203勝だけだ!
たった一人なのだ!
藤本英雄は200勝だが、
中日に一年在籍し、
巨人時時代は183勝だ。
ちなみに藤本は朝鮮系で旧名は「李八竜」という名だった。
巨人に在籍すると、超大投手でも、200勝できない。
以下、例を示そう。
斎藤雅樹・・・180勝
桑田真澄・・・173勝
城之内邦雄・・・141勝
江川卓・・・135勝
藤田元司・・・119勝
・・ということになる。
金田は、水道橋博士に言われた。
「400勝は、昔だからできた記録でしょ?今なら、かなり低いですよ」
これに対し、金田は、
「この小ワッパめが!」
と毒づいている。
(水道橋博士、やる~)
また最近の大リーガーについて、金田は
「大リーグなんて、ボールを落としておけば、
抑えられる」
・・・なんてことも述べている。
これについて、上原浩治は「渇!」を入れている。
(そんな、甘いもんじゃ、おまへんで)
俺は金田が大投手であることは認めるが、
大々投手とは思わない。
また彼の品性まで考慮すると、
決して大投手でもない。
退場も8回食らっている男である。
名球会を私物化し、
事実上、追放された男である。
ただ、とても立派なところもある。
彼は、体の手入れをきちんとし、
そのせいで20年、投げることができた。
投球回数は日本一だ。
(5526.2回)
その積み重ねとして、400勝できたのだ・・・と俺は思っている。
本当に立派なことだ。
また金田の奪三振記録もすばらしい。
4490個だ。
ただし金田は与四球日本一だ。
1808個だ。
ともに2位以下を、ぶっちぎっている。
これも投球回数は日本一だったからだ。
しかし投手の価値を、
勝ち星だけで決めるのは大いに間違いだ。
たとえば稲尾和久は「針の穴を通すコントロール」と言われた。
桑田真澄は、高一から甲子園で大活躍し、
プロでも巨人で173勝もしている。
秋山登のタフさにも、頭が下がる。
その他、優勝請負人の江夏豊もすごかった。
(この人の日本シリーズ、9連続三振は参った)
近年では、
大リーガーで2度のノーヒットノーランの野茂はすごいし、
ダルビッシュの活躍も、「この投手が、最高では?」
と思いたくもなる。
つまり、偉大な投手の判定は、
いろいろな見方があるということだ。
以上の前提で、以下の話をするが・・・
じゃあ、どうやって、
大地一人は、金田の勝ち星を
科学的に230勝と計算したのか?
これはパソコンを使って、丹念に計算したものだ。
これについては、
有料版で述べたいと思う。
なお、大地式の計算によると、
米田哲也(350勝)→→(大地式)215勝
小山正明(320勝)→→(大地式)196勝
スタルヒン(303勝)→→(大地式)192勝
別所毅彦(310勝)→→(大地式)169勝
・・・などとなる。
やっぱり230勝の金田はすごいか?
いや、金田以上に、勝ち星を挙げていた投手がいた!
その男は238勝を上げていた!
その男は誰だろう?
これについても、
有料版で述べたいと思う。
もう一度言おう。
金田は、間違いなく、偉大な投手であった。
でも現代では科学的に計算し、
現在に換算すれば、
230勝程度しかできない。
また彼よりも勝ち星を挙げた投手もいたのだ。
またバッティングマシーンのせいで、
現在の投手の技術も格段に向上している。
だから「金田が一番の投手」というのは、
仮定であり、幻想にすぎない。
少なくとも、400勝したからすごい!・・・と言うのは、
現代プロ野球に当てはめれば、とんでもないウソだってことだ。
有料版は・・・
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