おはようございます。23年1月9日(月) 名護市西海岸は今日も晴れています。帰宅して3日目だから、そろそろ通常に戻したい。昨日は県外から来ている方と初めてお会いして、お話しできました。予想外にも、私の絵はがきを20部と言われて、持ち合わせの18部を買っていただきました。ありがとうございます。これでセットが殆どなくなった。組まなければなりません。
今日は沖展の準備のために額縁等を買いに行きます。片道約2時間。バスの旅。近くにある飲食店は漫画喫茶しかない場所(飲み屋は別として)。いやね、昨日お会いした方に言わせると、名護市は立派な街だと。うちのほう(中国地方)はもっとないと。確かに今度の旅でも痛感しましたが、全国的に経済が地域がダウンしていることはいうまでもない。ごく一部の場所があでやかなだけ。格差は地域の中にも如実に浮き上がっている。
結構大きな街でも飲食店がない駅前が案外ある。もう全然昔の常識は通用しない。中央政府は、下々のことなどお構いなし。まるで意識していない。意識していることは政権の維持と米国様のご機嫌だけ。見ていないのだから、お話にならない。昔の悪代官そのもの。「愛国心」が泣けてきます。
しかし私たちに如何なる展望があるのか、まるで見えてこない。悪代官にいいようにやられている。沖縄も50歩100歩だ。何がどうして、こんな世の中にされてきたのか。琉球の「日本」化だろう。あの「平和憲法のある日本国」への復帰願望。沖縄の現実と願望の巨大な隔たりが甘い幻想を増幅していった。
それから50年が経ち、「平和憲法」は瓦解している。しかしどれほど廃墟になったところで、私たちが生き残るために必要なものならば立て直すしかない。長崎の浦上天主堂が原爆で破壊されたものをカトリックの皆さんは立派に立て直したのだ。信念があリ、団結できればできる。
ただ物の再建は可能だが、心の創建は可能だろうか。心・頭の中に、平和憲法を描けなければ無理だろう。平和というか、人権・平和・民主の憲法をだ。その根底に沖縄を戦場にしない、日本を戦場にしないことを置くことだ。廃墟になるのは、物だけじゃないのだ。私たちの命の営みが廃墟に押しつぶされていくのだ。今回、原爆資料館で見た廃墟の中に転がる頭蓋骨の写真。これっきゃ、形が残っていない。これをきちんと撮った人に私は、最大の敬意を表します。
昨日私は、沖縄と長崎について一文を書いたが(2日がかり)、1945年2月に開かれたヤルタ会談はウクライナのクリミヤでだった。歴史という奴は思わぬところで顔を出すものだ。そう重なることで、ヤルタ会談もクリミヤも、ウクライナも一歩づつ、印象が深まる。ヤルタ会談は汚い権力政治だが、そんな積み重ねが今にねじくれて繋がっているのだがら、容易ではない。だが、無視できない。何事も歴史を通して考え直すしかない。各国史、世界史、日本史。しかし国なんて融通無碍なのだ。日本は島国だからあたかも「変わらぬ伝統」があるかと言われているが、歴史に「もし」を差し挟んで考えることが重要だ。
この歴史に「もし」はないというのは、過去を考えるためにはそうだが、未来を考えるためには全く間違った観念となる。結果こうなった、結果こうなったと積み重ねたら、出口は塞がれて行く。出口を開くためには、私たちの想像力が問われている。生きる為の想像力。これが枯れ尽くしたらオシマイ。「平和憲法」、「人権・平和・民主」の憲法も作り直していくことを考えなければならないだろう。形骸化した物に命を吹き込むことをしなければ、私たちの未来は持たないだろう。だから私たちの憲法に自治を根底に据えることが重要なのだ。
2023年の新年を迎えてすっきりしないが、私はがんばります。皆さん、がんばりましょう。