写真集だ。写真集成 京都百年パノラマ館 吉田光邦監修 白幡洋三郎編集 淡交社刊 平成4年だから1992年初版 定価6800円 淡交社って京都市北区の出版社だから出せた本 B4のハードカバーで254ページの豪華な写真集 明治から大正にかけての京都の古い写真を集めたもの。前半4割くらいはカラーだが 当時はカラー写真なんかないから モノクロの写真に手彩色したもの。既に絶版なので あたしもamazonで京都がらみの本を買ったついでにお薦めで出てきたやつをカートに入れてたんだがいい値段なのでためらってた代物だが まさか無いだろうとうちの図書館検索したら驚くことにあったので借り出してきて 即ヤフオクでポチった。元値が高いのでそれなりにいい値段だったけど 街としての京都が好きなあたしには持ってなきゃもぐり‥と言われるぐらい良い。ただし 京都観光が目的の人にはただの邪魔な代物だ。まあ 四条通なんかの写真はえっ?という感じだがw これは文字にしてもわかんないと思うし 京都を国際観光都市として見てる人には100年前の写真なんか意味が無い。ただ京都が好き・・てだけの人にはお薦めである。この本の価値を決められるのは読み手の京都愛のパーセンテージのみだ。
そんなに頭が痛いなら借りなければいいのにと思うが どっかの書評で褒めてあって amazonのカートに入れたんだが 図書館検索したらあったうえ誰も読みたい人がいなかったようで その日のうちに準備できました・・になった。 不寛容論 アメリカが生んだ「共存」の哲学 森本あんり著新潮社刊 2020年12月初版だ。タイトルからみて面白そうだったんで 迷わず借りたのだが 借りてみたら哲学本だ。ここんとこ ヒンドゥーやらインドやら・・と速読のあたしが 頭抱えながら一冊読むのに一週間以上かかる本が連続する。本書も何度投げようか・・と思ったことか。5ページもも読むと投げたくなるのだ。でも 買えば1760円・・と思うともったいなくて投げれない。amazonの出版社からのコメントには こうある。
「不愉快な隣人」と共に生きる哲学――。「わたしはあなたの意見に反対だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」――こんなユートピア的な寛容社会は本当に実現可能なのか。不寛容だった植民地時代のアメリカで、異なる価値観を持つ人びとが暮らす多様性社会を築いた偏屈なピューリタンの苦闘から、そのしたたかな共存の哲学を読み解く。現代でこそ役に立つ「キレイごとぬきの政治倫理」。『反知性主義』に続く、異形のアメリカ史。 まあ最初に著者がどういう経歴なのか調べなかったあたしも阿呆だが 著者はICU つまり国際基督教大学の教授なわけで 寛容・不寛容という見方が キリスト教を核に述べられている。異形のアメリカ史・・て 要は宗教上の理由があって新天地アメリカ大陸に移住した英国人の思想的背景を描いたものであって 一般的な寛容・不寛容ではなくて キリスト教としての寛容・不寛容が主な内容だ。個人的には最初の50ページと最後の50ページを読めば事足りるとは思う。300ページのわけのわからん・・といっても 筋は通ってるところが さすが大学教授。凡人とは違うところだが あとがきで散々苦労した・・と書いてるのをみると ちょっと安心するw まあ これも図書館にはあるだろう。興味と時間と意欲のある人は読まれるといいと思う。本書は前書きにある通り 宗教から問う寛容論だ。しかし 哲学専攻する人の頭の中ってどういう構造してるのか?と前に書いたけど 凡人には理解できない。人生で何かを成し遂げることに意味はあるとは思うが 四六時中これではまいってしまう。脳みその構造が根本的に違うのだろう・・とは思うが 物事の見方というのは角度を変えてみれが見えてくるものがある・・という見本のような本。
「不愉快な隣人」と共に生きる哲学――。「わたしはあなたの意見に反対だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」――こんなユートピア的な寛容社会は本当に実現可能なのか。不寛容だった植民地時代のアメリカで、異なる価値観を持つ人びとが暮らす多様性社会を築いた偏屈なピューリタンの苦闘から、そのしたたかな共存の哲学を読み解く。現代でこそ役に立つ「キレイごとぬきの政治倫理」。『反知性主義』に続く、異形のアメリカ史。 まあ最初に著者がどういう経歴なのか調べなかったあたしも阿呆だが 著者はICU つまり国際基督教大学の教授なわけで 寛容・不寛容という見方が キリスト教を核に述べられている。異形のアメリカ史・・て 要は宗教上の理由があって新天地アメリカ大陸に移住した英国人の思想的背景を描いたものであって 一般的な寛容・不寛容ではなくて キリスト教としての寛容・不寛容が主な内容だ。個人的には最初の50ページと最後の50ページを読めば事足りるとは思う。300ページのわけのわからん・・といっても 筋は通ってるところが さすが大学教授。凡人とは違うところだが あとがきで散々苦労した・・と書いてるのをみると ちょっと安心するw まあ これも図書館にはあるだろう。興味と時間と意欲のある人は読まれるといいと思う。本書は前書きにある通り 宗教から問う寛容論だ。しかし 哲学専攻する人の頭の中ってどういう構造してるのか?と前に書いたけど 凡人には理解できない。人生で何かを成し遂げることに意味はあるとは思うが 四六時中これではまいってしまう。脳みその構造が根本的に違うのだろう・・とは思うが 物事の見方というのは角度を変えてみれが見えてくるものがある・・という見本のような本。
なぜか気になるトイレだのうんこ本w 以前にインドのトイレ事情を書いた13億人のトイレ 下から見た経済大国インド 佐藤大介著 角川新書なんかを読んでここに書いたが 今インドはコロナ大国で大騒ぎになってる。あの衛生観念ではああなるのも仕方なしとは思うが・・ さて本書はうんこ関連でも別の本 ウンコはどこから来て、どこへ行くのか 人糞地理学ことはじめ 湯澤規子著 筑摩書房刊 2020年10月初版だ。うちの図書館は多少でもセクシャルなものは絶対置いてくれないのだが こういう社会学的なものはどんどん新刊を買ってくれるのでありがたい。まあ 大体日経か新潮・文春の書評から拾って来るので ベストセラーになりそうな本ではあるのだけどれど。出版社コメントをamazonから拾うと 私たちの身近な存在でありながら、流されてしまえば忘れられてしまうウンコ。しかし、お尻の拭き方、始末の仕方も世界では様々な方法があったりするし、歴史的にはそれが重宝される時代もあったのだ。さらに、処理の対象とされるがその処理も一筋縄ではいかなかった。ウンコの視点から環境、経済、世界を見渡せば、新たな一面が見えてくる。 ・・・だそうだ。著者は 法政大学人間環境学部の教授 1974年生まれだから 今一番脂がのってる時期だろう。内容的には日本の古代から始まり 中心となるのは近世 江戸から昭和40年代くらいまでのトイレというかうんこの事情。あと世界的なトイレ事情がちょろっとだ。まあ昭和の終わりころに都市部で生まれ育った人は 汲み取り便所(ぽっとん便所ともいうが)や 四角いちり紙(鼠色のもあったらしい)やバキュームカーなんて知らないと思うが そういう時代の話が中心。ぽっとん便所って下水道が普及するまではあたりまえで 化学肥料がなかった時代は 汲み取ったし尿が野菜の肥料として使われてたわけで それを下肥という。畑の片隅にコンクリートでできた肥溜めがあったりして汲み取ったし尿をそこで発酵させて野菜の肥料にしてた。今でも地方に行くと畜産の堆肥を田んぼや畑に漉き込んだりして地力をあげるのだけど それの人糞版。まあ戦後は生野菜を食べるようになったからそれじゃまずい・・と下肥から化学肥料に変わっていくわけだけど まあ一番嫌悪感を示したのが進駐軍だったというから笑える。まあ 下肥というのは 今でいうSDGsの最たるもんで 完璧な循環型社会だったわけで今の時代生野菜を食べる我々には受け入れ難いものではあるのだけれど。我々日本人は何百年も前に循環型社会を普通にやってたわけで 衛生観念が・・という以前にそれはすごいことだと思う。まあ あたしは受け入れ難いのだがw 戻るが 聖なる河ガンジスで沐浴すれば罪も穢れも流せるみたいだが 実際のガンジスって死体が流れてたり 都市排水は未処理のまま流れ込んで(当然ウンコもだが)るわけで それが聖なる河なんだからインドというかヒンドゥー教というか 宗教ってすごいな・・とか思う。SDGs自体もある意味宗教と言えなくも無いのだが。大量生産の使い捨て・・て文化を世界中に広めたアメリカに一番責任があると思う。最近ではビール瓶や牛乳瓶の存在すら知らない人がいるわけで コーラはガラス瓶で買うものは無く 既にアルミ缶でもなくPETボトルだ。その日に使うお豆腐すら パック詰めされてるし 卵のパックもワンウェイのプラスチックだ。都市部で卵を養鶏場に買いに行く・・てのは無理としても京都のように街中に豆腐屋さんがあって ステンレスの水槽?に豆腐が泳いでるのを見ると こりゃ鍋持って買いに来なきゃなーと思う。既に牛乳は瓶でなくてバージンパルプの紙パックで それを一生懸命リサイクルしてるわけだけど 昭和の時代はガラスの瓶に入った牛乳を牛乳屋が毎朝配達してたわけで 明け方瓶の触れ合うガチャガチャした音が昭和の音だったりする。コカコーラだってガラス瓶で完全リターナブルだったしビールだって 酒だってみんなそう。効率を考えると難しいのかも知れなけれど 昭和の良さはまだそこにある。もっと正しいリユースというか単純なリサイクルを選ぶのが本当の循環型社会ではないか?と思うのだがいかがだろうか? ちなみにアルミ缶は電気の塊といってもいい。アルミ缶禁止すれば どこかの原発一基くらいは減らせるかも知れんw で あたしも原発がらみの仕事してたし ヒンドゥー教の本も読んだ。世なのか複雑にからみあってるわけだが 現状を維持しながら循環型・・というより ちょいと前の時代を見回せばいっぱいヒントはあるわけだ。本書図書館にあると思うので一読されたい。