私はメンタルチャットの管理人

メンタルチャットでおこるさまざまな非日常

先日

2021-06-25 11:33:18 | メンタルヘルス
夫婦別姓の婚姻届けを受理されなくて 最高裁まで争った東京都内の事実婚カップルが三組いただが 結局最高裁では違憲ではないという判決が出たのだけれど あたしからすれば訴訟そのものが謎だ。別にどっちでもいーじゃん?て思うし 今更家がどうのこうの・・という時代ではない。長男が跡を継ぐ責務を負わされる時代でもない。あたしの姓は どう考えても江戸時代は農民だったろうな・・というありふれた姓だが 嫁はんは日露戦争の英雄の家系。 だがあたしらは 深く考えずになんとなく入籍の時にあたしの姓にしちゃったが 今思えば嫁はんの姓にしときゃ良かったなと後悔するくらいである。嫁はんは未だに旧姓で仕事してるし 嫁はんの会社も旧姓を社名にしてる。それで何の問題もない。逆に夫婦別姓にして子供出来たら どちらの姓を名乗るのか?0歳児にどっちがいい?と決めさせるのか?という問題もある。大人は いろんな障害を理解したうえで別姓にするのはかまわないと思うが 子供の権利はどーすんの?という話である。子供って両親の姓が違うだけで十分虐めの対象になる。その場合は誰が責任とるのよ?と思う。いっそのこと 両方の姓を捨てて新しい姓にするとか 某天皇家みたいに 姓がなくて名前だけでもいいと思う。今急速にマイナンバーカードが普及しつつあるわけで 個人の特定なんかこの国民総背番号で解決できると思うのだけれど。なんか争点がおかしいというか どうでもいいことで国民の税金を使うなよ?とさえ思う。あたし? 嫁はんの姓にしときゃかっこよかったのになぁ‥と後悔してるんであるw 普段は名前どころか愛称で呼んでるわけだし なぜそこまで姓にこだわるのか不思議だ。伝統文化の家元とか歴史のある大店の跡取りとか言うなら そりゃ考えなきゃいかんだろうが コンピュータの世界で言えば単なるラベルでしかない。それがどこまで個人の権利を阻害するのか どう考えても不思議だ。
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昨日ちょろっと

2021-06-25 09:54:03 | メンタルヘルス
書いた 高橋繁行の土葬の村を読み終えた。面白かったんで一気に読んじゃったの実際は4時間ぐらいで読んだことになる。すさまじくコスパが悪い。1100円が4時間だw 全体は4章に分かれてて 1.今も残る土葬の村 2.野焼き火葬の村の証言 3.風葬 聖なる放置屍体 4.土葬、野辺送りの怪談・奇譚だ。あたしも最近 嫁はんの母 まあ義母だが・・を無くして お通夜で初めて遺体に触れた。うんと世話になった伯母の時は 葬儀社が触れてお別れしてあげてください・・と言わなかったから触れなかったけど 今となっては後悔してる。母以上に世話になった人なのに最後にちゃんとおくれなかったのを未だに後悔してる。お骨は納骨せずに母が持ってる。母が亡くなったら あたしの家の墓・・まあそれすらどこにあるか知れんのだが そこに入れる気にはならず 多分最後に残るのは あたしの弟か嫁はんか 嫁はんの弟に頼んでみんな一緒に樹木葬で京都の土に還そうと密かに思ってるのだが 親戚からは何言われるかわからんよなぁ・・と思うと気が重い。昔は火葬場というと 町のはずれの山の方にあって 高い煙突がそびえ立ち黒い煙をもうもうと上げているのが普通で 独特の臭いとああ あそこから天に昇っていくのだなぁ・・と思ったものだが 母を送った大阪市立北斎場って天神橋筋六丁目の駅から少し歩いたところにあって 建物はどこかのホールみたいにきれいで 言われなければこれが火葬場とは思えない。道路を隔てた向かいには高層の大きなマンションが建ってて ここに住んでる人は目の前で毎日何人もの遺体がお骨になっていくのをどう思って住んでるんだろうな?とちょっと思った。もう最近の大都市では火葬場は山奥の人里離れたところではなく 街の真ん中にあるものだ。天神橋筋六丁目というと大阪では誰もが知ってる天神橋筋商店街なので 東京の感覚で言えば 歌舞伎町に火葬場があるくらいの感じ。まあ 今は二次燃焼をして集塵フィルタもついてるし 臭いは全くしないし高い煙突も煙も出ない。なんか入ったらお骨になって出てくる芸術ホールみたいな感じだ。で 戻るが 土葬の村を読んで土葬に関するのは第一章だけで 二章にある野焼き火葬なんか うへっ・・と思ったものだが インドでコロナの死者が大量に出て 町なかで薪積んで焼いてるのを うげっ・・と見てたのだが ところ変わればなんとやらで あれが普通らしい。まあ普通はガンジスの川辺で焼いて 遺骨も遺灰もガンジスに流してはいおしまい・・だそうだ。墓は作らない。まあインドって西洋人が行くとすさまじいカルチャーショックがあって人生が変わるらしいが火葬もそうだろう。お金がある人はそれなりの量の薪を買って完全に焼いてから流すが あんまりない人は生焼けのままガンジスに流す。更に貧乏な人はそのままガンジスに・・で そこで沐浴して聖なる河なんだからそりゃカルチャーショックだわ・・と思う。ああ 余談だがこないだ書いたインド人が飛行機のトイレを詰まらせる話だが インドでは基本お尻は 缶に入れた水で洗うそうな。なので 紙で拭いて流す習慣が無いので詰まるそうだ。エアインドには乗りたくないw 戻るがネパールでもタイでも野焼きだそうである。ヒンズー教徒は魂の輪廻を信じるので焼いてガンジスにネパールでも川に流されて墓は作らないそうである。日本でも南の方の島にいくと風葬・・つまり そのまま放置して 数年後に遺骨を洗って墓に納めるなり そのまま風葬墓所であるジシに入れられる。今 若者が夏のバカンスに行く与論島なんかは それが普通。まあ沖縄諸島。奄美諸島あたりは似たようなもんらしい。なんでこの本に興味を持ったか?と言えば あたしは大病してるから明らかに普通の人より寿命が短い。今はこんな駄文を書いているが 普通の人よりも20年くらいは短いのではないか?とすら思う。一度三途の川ツアーしてきたので 自分が死ぬのはこんなもんか・・とは思うが じゃあ遺体や葬式はどうなるんだ?と興味を持ったわけである。健康な人がこれ読んでも うげっ・・と思うだけだろうが ぼんやりとでも自分の死期が見えてる人には いいガイドブックになると思う。ちょっとお高いのであたしも買うかどうか検討中だ。図書館にはあると思うので一読されてそれぞれが決められたらいいと思う。賞を取った小説のように派手さはないが みんな一度は通る道だ。読んでおいて損は無い・・と思うのがあたしの感想。次に待ってる人がいるので7/1までしか借りれないが半日で読んじゃったが もう2,3回読み直して返してこようと思う。
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自営・・

2021-06-25 08:34:37 | メンタルヘルス
といっても 半分は自宅療養なので そんなにたいした仕事はしてないのだが大体部屋にいる。時々NHKが受信契約のお願いに来るが テレビはないのでお引き取り願ってる。倒れる前はソフト屋だったから帰宅は早くて8時くらい。まだJAZZ喫茶があったころは職場から直行してたから 部屋帰ってもシャワーして ネット繋いで 更に音楽聴いて寝るだけ。週末は 金曜の晩から日曜深夜まで山にいたので TVは映らない。というわけでますますTVを見る時間はない。なので観ないTVを買ってもしょうがない。放送法ではテレビを設置(買った)だけで受信契約を結ばないといけない・・と定められてるから買わないのだ。今のTVってBS放送が映るのが普通だから 放送契約を結ばされると月額3500円程度の受信料を払わなければいけない。NTTのフレッツの回線使用料とプロバイダの費用を合わせると5千円ちょいだが これはもう毎日使うから仕方ないとしても 観ない放送に3500円も取られるのはほぼ強盗と同じ。まあ子供の頃は観てたけど それでもNHKって観るものが無かった記憶がある。ニュース・天気予報くらいのものか? 大河ドラマなんて大嘘だと思ってるから観ないし 国民的大晦日の過ごし方なんてNHKが勝手に思ってる紅白は更に興味がない。民放もNHKも 出張先や旅行先のホテルでちょろっとつけることはあるが ドラマはつまんないし アニメはどれもみんな同じ顔とストーリーで興味をそそられない。民放すら見る番組が無いのだ。映画があるだろ?とか言われそうだが 吹き替えの洋画は観る意味が無いし いかにも低予算で2時間埋めました・・みたいな邦画は更に興味が無い。洋画は映画館で字幕で観るものだと思ってる。そう考えるとTVって必須ではないのだ。だから買わない。先日知人と話してて ドラゴンなんたら・・て民放のドラマがヒットしてるらしいという話題になった。観てないからなんとも言えんが 落ちこぼれが東大を目指すって根性ドラマみたいだが それ巨人の星の大学受験版?て思ってしまうあたしである。邦楽の凋落が激しい。まあ洋楽も酷いもんだが。あたしは邦楽は2000年までの山下達郎や荒井由実で終わってるのでそれ以降はどうでもいい。大体21世紀に入って自分で詩を書いて曲を書いて演奏して歌える人が減少したのが大きい。誰かの作った曲を歌う人は多いが それでは口先だけの詐欺だ。自分の言葉で語らなくては説得力も何もあったものではない。洋楽も20世紀でほぼ終わった。あたしが今メインで聴いてるのは モダン・ジャズ それも50年代~60年代のハードバップだ。今はいい時代で ネットでJAZZの専門ステーションがあるので一日中聴きながらいれる。JAZZ喫茶みたいな横の繋がりが失われたのは残念ではあるけれど。なんだ もうおっさん領域じゃん=過去を懐かしむという意味ではそうだが 日本の町並みだって京の町家だってその領域に入るんだから なんと言われてもしょうがないw 昨日も図書館に本を取りにいった帰りにふと見たら 中学生ぐらいの少年が二人 会話するでもなくスマホをいじってる。時代だな・・と言ってしまえばそれまでだけれど それで楽しいのか?と思う。本人たちは楽しいんだろうがw さて また邦楽に戻るが 21世紀に入ってから 数の暴力みたいな邦楽が増えた。なんたら48だの46だのというガールズグループや 男子6人くらいのグループ。誰も曲を作れないただ歌って踊るだけ。それが悪いとは言わない。ショービジネスてそんなもんだからだが。でもそんな中身の無い音楽を3000円近く出してCD・・あー最近はCDを知らない人もいる。音楽は定額のサブスクで聴いたり 曲単位でDLして買ったりして アルバムの意味が無くなったからだ。で みんな何が良くてああいうグループの音楽を買うのか?って話。 46だの48だのって特段かわいい子がいるわけでもなし個性があるわけでもない。男子グループはTVのバラエティに出るのが仕事みたいだが・・ 友人が週刊誌を貸してくれる。当然グラビアがあるわけだが そこに出てくる女の子って若いだけで ちょっと街に出ればその辺歩いてるような人たちだ。まあ会いに行けるアイドルらしいのだが・・これとて 特段かわいいわけでもない。あれならうちの嫁はんの方がもっと可愛いと思う。 まあそれなりの歳だから勝てない部分はあるが みんな歳とれば同じなんよ 光り輝いてる時間は短いw もっとわからんのは最近はやりのK-POP まあBTSしか知らんけど あれのどこがいいのかわからん。あれ映像無しで聴いたら レベルの低さに唖然とする。まああたしは男子だから興味なくて当然だが。ミュージシャンて詩が書けて曲が作れて演奏できるのがミュージシャンだと思うので あれは単なるダンスユニットとしか思えん。異論もあるだろうが あたしの見方はそんなところ。46や48も映像が無ければ学芸会としか思えん。鬼滅の刃が全米でトップセールを記録したのはみんな知ってるだろうが それに続くと言われてた呪術廻戦は話題にも上がらない。日本のアニメも何かがヒットすれば みんな同じ方向を向いて二匹目の・・を目指すのでダメなんだと思う。民放のドラマがつまんないのはプロダクションが売りたい俳優(レベルは低いが)で アニメやコミック原作でドラマを作るから・・と誰かが書いてたがその通りだと思う。二次創作がつまんないのはどこの世界も同じなのだ。
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