京都新聞社著 京都新聞社企画事業部刊 214p 2008年初版 既に絶版なので古書だと1000~6000円近いのまである。元々は昭和53年9月に出た同名の本をそのまま復刻したもの。図書館から借り出して来たのは復刻された2刷だ。それでも 裏表紙はぼろぼろでもう後ろから分解しそうな勢い。昭和の終わり以降に生まれた人は京都に市電が走ってたことすら知らないだろう。あたしは 子供の頃奈良にいたこともあったので京都にも行ったのでうっすら記憶にあるくらいだが それでも懐かしい。今京都の交通は2本の地下鉄と網の目のように張り巡らされた 系統番号で呼ぶ市バスだが 当時は大路のあちこちでレールを軋ませながら トロトロ走ってた記憶がある。交差点を曲がるときなんか盛大に音がするのだが これもなかなか良い。油引きの木の床に狭い車内だが 不思議と京都の町にあう。モーターリゼーションの波に押されて 軌道内に車が入ってくるともう警笛鳴らしぃ・・ので 騒々しいのだがそれも良し。車より遅くバスよりも遅いがなぜか落ち着くのだ。京都は2m掘れば遺跡が出る・・という土地だから 代替えの地下鉄建設案は随分昔からあったようだが 南北線の烏丸線の工期も建設費も当初予算の何倍にもなったそうな。で 収益上がってるかと言えば赤字・・て笑えない話もある。東西線が追加されて少しはマシにはなったみたいだが やっぱり市民の足は市バス。あたしが京都にいたころは 七本松通を52系統が走ってたのだが 路線の統廃合で今はもうない。600円だった一日乗車券も10月からは100円上がるみたいだし 敬老乗車券も年齢引き上げとか聞く。京都市内ですらそれである。昨今 高齢者(ご老人と言ってはいけないそうだが)のブレーキ踏み間違いからくる事故が多発してるが 地方にいくと 車一択にならざる得ない。採算の取れないバス路線なんか一日朝昼夕に1本ずつなんて どうやったら使えるのか?みたいな時刻表だし 鉄道も国鉄からJRに移行してから不採算路線はどんどん切り離してそれを引き受けた会社もどんどん廃線にしていく。東京都内まあ奥多摩とかそういうところ以外はJRと私鉄が1時間に何本も運航してるので正直車のメリットは無く 自転車かカブがあれば用が足りちゃうので交通問題てそんなに言われないのだが 地方に行けば もう生活の足だから大根1本買いに行くのも(まあ農家さんなら自家用があるだろうが)車。だから高齢になったからといって車を降りれなくて90近い高齢者が軽を走らせてるわけだ。池袋の事故でも杖があってもまともに歩けない人が運転してるわけだから怖いな・・と思う。まああたしはバイク乗りなんだが 大病して体力が半分になっちゃったから大型バイクはもう無理。みんなどこかで いろんなものを手放していくのが時代なのだけれど 京都の市電て本当に捨てて良かったのか 今でも疑問に思う。カーボンニュートラルが叫ばれ2050年までにCO2排出量50%削減なんて言われてるが じゃ 代替えエネルギーはどうするのか?って話である。昨日野党の党首討論聞いてたが みんな脱原発で5割を再生可能エネルギーに置き換えると言ってる。あたしは仕事で原発の制御プログラム(補器だけど)を書いてたから絶対安全とは言わないまでも かなり安全でクリーン・・というと使用済み核燃料はどうするのか?という話も出てくるだろうが これは六ケ所の再処理工場がちゃんと稼働してプルサーマル(プルトニウムも混ぜて燃やす燃料)が軌道にのればある程度解消できる問題だ。六ケ所の再処理の制御にも関わってたからある程度実情を知ってるから言える話で まあ石炭火力の全廃はいいが 原発を全廃して その分のエネルギー みんな再生可能エネルギー・・というが そんなもん現在は雀の涙しかないのだ。車が電動化されれば 更にその分の積み増しがいる。今再生可能エネルギーの総量がこれだけで 対して原発と石炭火力を止めて車が全部電動化になっても これだけ余る・・というならそりゃ廃止もあるだろうが 再生可能エネルギーって絵にかいた餅なのだ。代替えできるようなものは今現在無いのだ。野党もアホだが与党もアホ。日本はいい国だが 政治力の貧困さだけはどうしても埋められないのが残念である。
大型本だ。川辺光男著 京都新聞社企画事業部刊 2008年度初版 まだ新本が買えるので2515円。これを買わないかどうか判定するのに どこにも書評が無いので困っていたのだが 図書館検索したらあったので借り出してきた。表紙の分厚さと言い紙質といい豪華本の部類に入る。が amazonのマケプレで良い・・が200円から買えるので??だったわけ。借り出して来たら まあ近衛家って天皇のお側に仕えてた家だから 重文やら国宝がごろごろ載ってる。印刷も発色もきれいなのだが 125pしかない。半分はお品の解説なので 写真はその半分。で いきなり藤原道長の自筆の・・に始まって 天皇の自筆の色紙とか表装した軸やら屏風がでてきて おおっ・・と思うのだが 草書体で何書いてあるかわからんw 解説には口語訳も載ってるのだが 現物は草書体?なんでみみずがのたくってるような代物だ。屏風なんか素晴らしいものもあるのだけれど ただそれだけ。200円から古本があるのがすんなり理解できる。装丁の豪華さに期待すると 絶品のオードブルが出てきて さてメインに期待するとオードブルだけで終わり・・みたいな すさまじく物足りない本だ。まあ こういうのがお好きな人ならいいのだろうけど あたしはただの京都好きなんで 残念・・で終わった。一応先方には市価を伝えてあるので ある程度安く出るとは思うのだが欲しいか?と言われるとうーん・・なのだ。こういう時図書館はありがたいのである。
立花隆著 講談社文庫刊 1983年初版 借り出して来たのは1992年の12刷。著者に関しては説明するまでもない著名人だからいいとして ずっと気になってた本だ。amazonのプライムのクーポンが来たので 上下で1400円くらいなのが900円になるから買おうか・・と思ったが 1983年と言えばもう歴史の本だ。昭和58年の時点での話だからだ。で お決まりの図書館検索したら売れた本なので当然あった。古い本なんで誰も待ちはいないので即借りて読んだ。中核派って学生団体のセクトで 上部団体は「革命的共産主義者同盟全国委員会」といい中核派はつかない。この下部に学生組織として「マルクス主義学生同盟・中核派」がある。共産党と民青のような関係。これに対して核マル派は 上部団体を「革命的共産主義者同盟委員会・革命的マルクス主義派」といい学生組織は「マルクス主義学生同盟・革命的マルクス主義派」という(抜粋)まあ 民青が必ずしも共産党員でように マル学同中核派は必ずしも革共同の同盟員ではないそうだ。更にマル学同とは別に両派とも学生大衆団体として「全学連」を持つからややこしい。労働者組織としては両派ともまた別の団体があるから更にややこしい。本書は60年安保以前から73~75年ごろの内ゲバを中心にして詳細に書かれてる。 そもそもの始まりが56年頃というから 昭和31年か。当時どういう状況だったのかというのに興味があったのだが 中核も核マルも手段が違うだけで目標とするところは共産主義革命だ。あの当時はメディアは紙ぐらいしかなかったわけで 全体を俯瞰的に見る・・というのは無理な話で 結局重箱の隅をつつくような意味のない殺し合いに明け暮れたわけだ。マルクス・レーニン主義による共産主義革命を理想としていた当時の若者たちだが 今の中国やロシアを見てあれが理想の姿だ・・と思えるのだろうか・と今なら言えるが 当時はそんなこと考える人がいないほど 戦後の日本は貧しかったようである。70年代ってもう高度成長期に入ってたと思うのだが。さて本誌 内ゲバについての詳しいレポートが大半で立花氏の言いたいことは下巻の最後の方 ”勝利なき戦争”の終結を・・に凝縮されてる。今なら見えるが 当時は見えなかったというか そういう時代の記録。買うかどうか迷ってるが とりあえず保留。アマゾンプライムのクーポンはリラックマのぬいぐるみに化けるだろうw 60~70年前後に学生で活動家だった人たちももうご老人だ。そういう方たちにこそあの時代はなんだったのか再考する意味でも読んでいただきたい本だ。昭和の終わりから平成に生まれた人たちには いい意味で何の意味も無いし大体読んでもわからない。戦後76年 日本は平和だが菅のあと誰が総理になってもお先は真っ暗で明かりすら見えないのは悲しいことである。
いつも使ってるマシンでメルカリにアクセスすると購入ができない事態になってる。常用してるブラウザはFirefoxだがバージョンが古いのか?と見てみたら最新。が よく見たら32bit版・・・まあCPUがペンティアムデュアルコアのE2180なんて骨董品なんで 32bit版の7を入れて10にしたのかも知れないが。とにかく32bit版ではログインすらできなくなってる。キッチンで音楽聴くだけに使ってる更にボロのE2160は64bit版なんで これに最新の64bitFirefoxを入れたら普通に使える。メルカリ使ってる人の大半はスマホからだと思うがPCからだと こんな変な現象で頭抱えることになる。スマホ持ってるけどPCの方が使い勝手がいいのでほとんどスマホは使ってない。通話はアンドロイドだがガラケーだ。スマホの電池の持ちの悪さに辟易してるし オンラインチケットかMAPくらいしか使わないのだけど 嫁はんのアクオスの電池が3~4日持つので 買い替えようかなぁ・・とも思うが困ってないので放置。やっと東京も神奈川も新規感染者が減ってきたので 明日からまた病院通いだ。
どちらも 平安建都1200年記念出版 小学館刊 先の方は(以降 便宜上 正と称する)1994年初版 続は1995年初版だ。記念出版だから重版されないし そもそもどちらも2900円と高価な本。セミハードカバーで上質紙 著者というか監修が 裏千家家元の千宗室氏と 森谷 尅久氏という豪華な顔ぶれで凝りに凝った本。京都って条坊制なので南北と東西の通りで桝目に区切られてるので 通りを知ってれば あああの辺ね・・と当たりが付く。めったに乗らなかったけどタクシー使うときに観光地以外町名言っても まず聞き返されるのがオチだ。接してる通り+近い交差する通り+上ル(北)下ル(南)東入ル 西入ると言わなきゃダメだったが。東京なんかだと住所知ってても行けないんだが京都は通りの名を知ってればどこにでも行ける。 昨今はスマホがあるから日本全国迷うことはないだろうがw あたしが住んでたのは上京の日蓮宗本山の立本寺の近くなんだが 町名は一番町だ。歳いった人なら上京の一番町でも通じるだろうが この人どこの人や?と思われそうである。場所的には七本松中立売下ル‥と言えばそれでいいのだが 郵便はその後に一番町なんたら・・と書かなければいけない。古い人に上京の一番町で通じるのは 七本松通りって以前は歓楽街だった千本通の一筋西なので千本中立売はすぐそこ。千本中立売って歓楽街というか 戦前は遊郭街だったので1番町から7番町まである。あたしは西の外れにいたわけだが 水上勉の五番町夕霧楼の碑まで10分もかからない。戦後は千中ミュージックてストリップ小屋や 洋画エロ映画館の西陣キネマ 今もある一部の人達ご用達の千本日活てピンク映画館とか まあ西陣で働いてる人たちの歌舞伎町みたいなエリアだったわけ。七本松通は西の寺町と言われるくらい寺が多いので静かだが。戻るが京都の通りの言われと歴史と通りの地図が書いてある本。京都の人が京都の人の為に書いたような本なんで 観光ガイドには絶対ならない。正で洛中とその周辺をほとんど網羅してるので あえて言うなら続は無くても事足りる。この2冊 ほんの一か月前位までは手ごろな値段であった。amazonで 正が400円台 続が350円位だったのだが 売りつくしたのか既に1000円超えてる。続ですら850円からだ。この2冊をまとめて大判のビジュアルワイド版としたのも出てる(森谷 尅久氏監修 小学館刊 2003年初版 これも重版されなかったらしい)が 古書で大体1500円くらいから。もっとも定価3800円だから十分安いのだが。地図の見やすさはビジュアルワイド版の方が上なんだが 京都らしさ‥と言う点では先に出た方が上。ビジュアル版の監修に千宗室氏は関わってないようだ。あたしは若い時代京都に住んで仕事してたから なんとなくは知ってた通りだがとても全部は知らないので買った。読んでみたらすごくいいので こりゃそのうち高沸するだろうなと思ったので安いのが出るたびに買ってたので 正も続も数冊本棚にあるw (杉本秀太郎氏の新編洛中生息なんか既に絶版なので540円の文庫に1400円+送料で1757円も払ったが 今見たら3990円になってるから恐ろしい) まあ余程の京都好きか地元民以外には ほぼ必要のない本だが奥が深い。京都の通りの本としてはこれがベストと思うが そうだ京都に住もうwという人以外にはただの高い古本なのが惜しい。うちの図書館にあるか?と思ったらあったので 程度を見るために借り出してきたら美本。収蔵が書架ではなく書庫なので借りる人はあたしみたいな京都に戻ろうとしてるオタク以外いないのだろう。こういうのは時々借りてあげないとそのうち除籍になっちゃうので定期的に借りることにしている。うちにも岡山の図書館を除籍になった正がある。京都に優しいあたしだw 戻るが内容では ほとんど写真が無く京都出身の画家 山谷和弥氏のペン画なのもいい。ビジュアルワイド版は写真が多くなる。まあ これも持ってる。どちらも欲しい人は今のうちに買われることをお薦めする。